「始まり」話です。
今日は高校の授業もなく、当然稽古もなく、何を書こうか悩んでおりました。
Sで始まる単語はいっぱいありますしね。
YOU企画として次の企画はワークショップのCDFなんですけど、演出家としては次の作品決まってませんので、どう企画が始まるのかについてです。
あー、だから厳密に言うとプロデューサーとしてなのかも。
でもあくまで演出家として次の企画に対して、ということでいきます。
ちなみに、YOU企画は来年4月で10周年になります。
普通の劇団は旗揚げ公演から数えるものですが、うちは企画なんで、企画を開始した時からですね。
200年4月から公演を企画して、C.T.T.という試演会をプロデュースする団体さんに参加するかたちで2001年4月に旗揚げに当たる公演をおこないました。
以前から(中学3年ぐらいから)演劇に関わる全ての事を自分でやるようなことをしたい、みたいなことは言っていて、映画ですけどチャップリンが目標でした。
中学校三年間でくじ運も手伝って3年連続で文化祭で演劇公演をやったんですね。
それがとても楽しく、そのまま高校三年間も(3年生は受験だったので演劇部の卒業公演に混じらせてもらいました)年に一回は演劇公演をやっていました。
大学に入り、学生劇団に入りましたが、どちらかといえばワークショップ公演に参加したりして、上述のC.T.T.を知り、幼馴染とワークショップで知り合った女の子を誘って旗揚げに至るわけです。
なんだか1年に1本は演劇作品を創りたくなるわけです。
文化祭はもうないし、当時はとにかく公演をやってみたくて、芝居工房というワークショップの方法論と平田オリザさんの演劇入門で得た知識で「ハーフ」というアパートの前の公園で4場面にわたって会話劇が繰り広げられるものをとりあえず書きました。
とにかく書いて演出し自分も出たので、演出家としてこれがっていうのはあまりなかったかもしれません。
当時のアンケートを見返していて、自然さは際立っていたが人物がまだ描けていないというような学生劇団の仲間(CDF初代アシスタントさん)の指摘があり、あたっていたかもと思います。
そこでやはり演出の視点がないようなことを言われて(試演会なので批評をもらえる)、演出しようと勉強しだしました。
そこから先は、やりたいことが次々現れて、さくっと10年計画を練ったんですね。
そしてまあ3分の2ぐらいは2006年までにやり終えられたわけです。
2001年の試演会自体、5年後に本公演をするというための“試”演で、ちょうど前々回の「ハーフ」が再演にあたるわけです。
そして今、ノープランなんで、どうしようと言う感じなんですけども。
意外に僕は計画自体は好きで、でも日々はノープランで生きたい、と言う矛盾する性格です。
プロデューサー的には、助成金を確保したり稽古場を京都芸術センターに申し込んだりするためには、早めに次の企画を練って準備しないといけないんですが、今回はとりあえずこの作品に打ち込もうと思ったので全く次の作品については出来ていません。
と、いうこともあって、ちょっと過去の作品の企画の始まり、つまりどこでどうやってやりたいと思ったかについて考えていきたいと思います。
(長い前フリだ)
初演「ハーフ」はもういいとして、次に創ったのは「キューブ」という映画に触発されて創った「ゲーム」です。
アイデア自体は、四角い立方体に突然男女が閉じ込められてしまうというもので、装置が簡単ですむのと、緊迫した会話劇になるのがおもしろく、映画自体もどうやら舞台を原作にしていると聞いて創り始めました。
でも、同い年のヨーロッパ企画の上田誠さんが「12人の追い抜けないアキレス」「囲むフォーメーション」で、ほぼ同じアイデアを用い、しかもどちらもめちゃくちゃ面白く創っていました。(まあ劇作家には向いてねえなあと自分でも思いました。)
演出家としては、即興性をテーマにしていたんですね。
毎回どうなるか分からないシアターゲームをすることで、観客に本物の舞台上のリアルを届けようとしたのです。
だから台本はなく、原案のみでした。ゲームをクリアしてその立方体から脱出していく、という。
次の「HELP!」は、演劇大学という演出家のワークショップで知った戯曲が元です。
自転車キンクリートの鈴木裕美さんが講師で、W.サローヤンの「おーい、救けてくれ!」をプロの俳優さんを使って稽古する、という内容でした。
楽しかったんですが。どうにも消化不良で、悔しくて、それがモチベーションになりました。
しっかりした戯曲にしっかりした俳優さんとがっぷり四つに組んでやる、と言うことを演出としてはしたかったのです。
そして、公演してみてやっぱりまだまだやりたりなくて翌年、再度取り組んだわけです。
それが「Hello Out There」です。
この作品では、いろいろと付加的な演出方法を試しました。
若手演出家コンクールに出すという意味でも、音響はじめ舞台装置や小道具など、いろいろなことに凝りに凝った作品でした。
30分の作品を倍以上の時間にしたぐらい盛りだくさんでしたね。
でもこれが僕の演出方法の基礎になったと思います。
そして、2年やったサローヤンの台本と同じく、演劇大学でやれなかった「ジュリエット」の一人台詞の演出をやりたくて創ったのが「ジュリエット」ですし、大学の授業で扱った横光利一の作品でとても面白かった「幸福を計る機械」をやりたくて、その他のラジコンとの競演など当時やりたかったことを詰め込んだのが「Train」でした。
こうして見ると、いい戯曲との出会いがやはり演出家としての「やりたい」という気持ちの始まりですね。
これを舞台化してお客さんに見せたい!!っていう気持ちがやはりスタート地点です。
まあ、今はとことんシリアスなものとか、社会的な題材とかを扱いたいな、と「チェロとケチャップ」で、男女間の溝について深く覗いた後は思います。
あと、止まってる「ダブル」も書き進めたいし、舞台化したいな、と言う気持ちは強まっています。
はやく次回作品について報告できるよう、頑張りたいと思います。
とりあえず今は勉強、勉強ですね。
こうやって振り返ると、やりたい台本と出会ったのってワークショップだったり授業だったりしてきたわけですから、本当の始まりは勉強からなのかもしれません。
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