YOU-PROJECT BLOG

YOU-PROJECTのウェブログです。
毎週月曜に座付き演出家松浦友が書く「演出者の眼」が掲載されます。

ま:待つ

2018年11月13日 | プロデューサーズボイス
ま:待つ

僕のワークショップを受けたことのある人や、稽古場を経験したことのある人は、必ずやらされるワークです。

「待つ」って自動詞なんですよね。
なので、相手に左右されることなくやり遂げられる。
その場に、居やすい、動詞です。
ただし、喋ったり、動いたりって普通は極小になるので、アクションしたい人には辛い時間です。

でも、何事につけ、待つって大事ですよね。

ある講演で、「忍耐」ってただ耐えるだけじゃなくって、燃ゆる希望を持って、あらゆる試練や迫害や誘惑や障害に面しても、勇敢で確固としている辛抱強さでもあるそうで、ただ「待つ」ことの中に、そういうドラマチックな事もあるのかもなあ、と思いました。

公演、もう少し待ってくださいね。
とりあえず新作は、作り出せそうですが、発表の段取りが、という感じです。
クスキユウも短編は早々に書き上げ、新しい完全新作もベールを脱ぎそうです。
ご期待ください。


Tomo Matsuura
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ほ:法

2018年11月05日 | 演出者の目

法とは何か。昔、実は法学部で、通常は「あ法学部」でした、とボケる。
専門はほとんど取らず、文学部と産業社会学部と京都の他の大学(コンソーシアム京都という単位互換制度)で卒業した(※最低限の専門科目はとっている)。
ちなみにうちの法学部は通常卒業論文は書かなくても卒業でるのだが、あえて書いた(※6単位は確か貰えた、しかも専門として)。その論文名も「中世のゴミ処理」であったから、全くもって文学部的な、そういえば今思い出したけれど、コンソーシアムで取ったのが、夏休み、小説家の先生の授業を受けるもので、大変面白かった。
そう言うのが今の役に立っているのかも。

それはさておき、法がどのように演劇に関係あるのか、というと。
まず第一に、法とは調和のためにあるのだと思う。
次に大学で学んだこととしては、法は弱きもののためにある。
第一の点は、宇宙や自然を見れば明らかである。高いところから落ちれば死ぬが、重力があるから私たちは適度に歩け、筋肉や骨を発達させられる。
第二の点は、法の秩序がないと、必然的に弱肉強食、偶然に任せた世界になり、第一の高きところと同じで、弱きものが虐げられることが放置されうる。

第一の例をさらに補完する例として、空気中の組成物の重さについて考えてみよう。
おそらく中学で習うのだが、二酸化炭素が一番重い。ドライアイスマシンの煙が地を這うさまを思い出してもらえればいい。次に酸素である。一番私たちに重要だ。
ここに地上の植物と、私たちの位置関係を考えれば、この順番には納得がいく。二酸化炭素が必要な植物の方が背が低く、人間のための酸素はそれより軽い。
爆発する危険な水素はとても軽く、この辺りにはたまらない。
明らかな毒素であるアンモニアも軽い。
つまり人間が暮らしやすいように法則はできている。
法律もまた、人間が暮らしやすいようにできる限り設計されている。
演出家もまた、各キャラクターが動きやすいように、戯曲と調和して、音・灯・衣装
道具類・装置と協働するようにルールを作っていく。
楽しく遊べるように、鬼ごっこで“ごまめ”を作るように、楽しく創作していく。
「稽古場を止めない」ように、常に最善のジャッジを下すように心がける。
これが、演出の作る法、法則・法律・ルールであろう。
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へ:変

2018年10月29日 | プロデューサーズボイス
へ:変

‘変’ってなんだろう、と思っています。
たしかに私は幼い頃から母に「フツーにして」と言われ続けていました。
逆に言うと、‘変’だったみたいです。
たしかによく変わっている、と言われます。
なんのお仕事していますか?って聞かれて「演劇を作って売ってます」とさもフツーに言うと「変わっている」と言われます。
まあ、やっぱり「変」とはよく言われますが、僕自身は「そこまで?」という感じです。

芸術家の‘変’さは尋常ではありません。多分、エッシャーには世界があのように見えていたのかなって思います。フェルメールはやっぱり、あの時代にあそこまで計算して書くって、やっぱり変です。
僕の大好きなマグリットは、ふつーに見えて、やっぱり変です。

画家ばかり言いましたが、作家や劇作家や作曲家も同じです。
ショパンには雨の日に「雨だれ」が聞こえていたのでしょう。

「世界がわたしにはこのように見えて(聞こえて)いる」ということの表明が作品なのかと思っていましたが、少し違うかもしれません。
常識では計り知れない感性で世界を感じているからこそ、そこの出発点から物を作るので、結果、創造的な作品が生まれるのだろう、と。

少し変、なだけだと思うので、思い切り作品は作りたいです。
常識をぶっ飛ばすようなものを。
こと芸術創造に関しては、「フツーにして」はいられません。


Tomo Matsuura
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ふ:再び

2018年10月25日 | プロデューサーズボイス
ふ:再び

演劇って再演が必要だと思っています。
うちも、2003、2004年と同一キャストでW.サローヤンに取り組みました。
2012、2013年も連続して、G.フォワシイに取り組みました。

作・演出を兼ねる場合が多い小劇場の場合は、新作がたくさん生まれます。
僕の場合は、自分が書く作品はまだまだだ、と言う思いと、他者のことばを扱ってそれを作品化する面白さがありました。
ワークショップで得意とするところですが、簡単な同じ台本を何百万通りでも演出仕分ける、と言うことが好きなんですよね。
乱反射する、万華鏡のような世界、というか。

再演が良いのは、興行としてもです。評判が良かったものを再演するなら、前回行けなかった人たちが見に来られるからです。また最初からある程度の質をきちんと担保できます。

ちなみに僕がいまやろうとしている作業は、YOU企画旗揚げ時の公演の上演台本を基に、全く違う物語を紡ぎだそうとしています。リライトの面白さってあると思っていて、映画の世界でもよくありますけれど、この時代に創るからこその物語になれれば、と思います。


Tomo Matsuura
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ひ:日を経る

2018年10月16日 | プロデューサーズボイス
ひ:日を経る

本当に火曜連載になりつつあります。
演劇って絶対締め切りに間に合わせないといけないのに。
それでも間に合わず、払い戻しがあった劇団さんも知ってはいますが。

今は頭が新作のことでいっぱいです。日を経てきたからかもしれません。
でも日を経て来たからこそ、30代最後の作品を作っておきたい、というのもあります。
もちろん教えに行くのがメインになっていて、それぞれでは戯曲をしっかり扱うつもりで、でもそれ以外にやはり自分でも作品を創りたいんですよね。ま、戯曲や演劇になりそうなものを片っ端から読んで見て行く作業自体は楽しいんですが。

日が経つとあせり、日が経ったのでたくさん良い物語を知っているので。
迷いますねえ。


Tomo Matsuura
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は:半人前

2018年10月09日 | プロデューサーズボイス
は:半人前

半ば火曜連載になりつつあるこの「演出者の眼」です。
演出に専念するようになって、まもなく10年です。2009年の「チェロとケチャップ(作:金明和)」が専念第1作でした。
それまでは、制作としての仕事と両立を目指していましたが、どこかの劇場に勤めるとそこのために・・・となりますし、どこかの劇団を請け負っても、自分の劇団ではないので中途半端になるなあ、ということで結局演出のみしています。

ただ、レッスンプロというか、教える仕事としての演出の機会が多く、今年も細かく数えれば手の指でかぞえるぐらいはあって、ありがたいことです。
たくさん現場があると、やはり謙遜さが必要になって来ます。

自分の劇団でなら、一緒に長くやっている人たちなら、京都で芝居をしていた人たちなら、僕の教え子なら、サラッとわかってくれることが常識になっていない。

つい先日など、「私としてはこれで間に合うとは思えない」とはっきり言われて「プロとしてはスピードこそが‘違い‘なんです」というのがやっとで。

実際、年齢や人生経験はあちらの方が上なんでしょうがないですし、正直、僕が思う演劇って世の中の実際のところの常識とは異なることが多いですからね。

「台本のある芝居よりない芝居の方が簡単」とか「ふつうに生活していくことが演技の糧だ」とか。あるいは「『舞台で生きる』って本当に人生を生きるのとそっくり同じだ」というようなことって僕の実感としては常識なんですけれど、演出家の言われるがままに振り付けのような演技をしていたり、学芸会のようなセリフを言うことしかしてないと、そうなっちゃうかなあ、と。

主体的に考えて動く俳優さん、「演技する」ことより「そこに居る」ことを重視する俳優さんを僕は一番欲していて、僕の予想やこうなるかなあ、こうしたいなあ、っていうのの上を超えてくる人を、場面を求めているってことがどうやったらわかってもらえるんだろう、と悩む日々です。

でも、そういう人々に会い、通じない言葉に悩み、自分のやり方を変えさせられても〆切である公演日は変わらず、稽古時間も変わらず、それでも「自分はやっぱり半人前なんだ」と「そろそろ芝居歴20年って言ってもいいなあー」って思いかけていた自分を諌める日々です。


Tomo Matsuura
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の:のんびり

2018年10月02日 | プロデューサーズボイス
の:のんびり

これまた、1日遅れで更新していることへのエクスキューズではなく、私の性格ではあるのですが、そういうはなしでもなく・・・、いやそういう話ですね。

今、描きたいな、と思っているお話は、まずは前回公演「思い出せない夢のいくつか」から考えていたことです。当時の俳優さんたちに回し読みしてもらった羽海野チカさんの「3月のライオン」8巻で、ベテラン棋士が託されて来たタスキ(いろんな理由で辞めていき)を手放せない、手放さない、そういうお話があって。僕もまた、いろいろと演劇を辞めていった人たちを知っていて、気づけば僕の知っているひとたちでも「続けているひと」に名を連ねている気がします。

で、なんで続けているのかって言ったら、多分のんびりしていたからかな、と。
これは僕の特殊状況ゆえですが、前提が普通と違うんですよね。「永遠に生きる」設定で生きてたんで、そもそも演劇をしていく前に、ひたすらいっぱいやりたいことはやりまくりました。だって時間がいくらでもあるんだから、とりあえず手がかりとして最初やっとけばじっくり極めていけるかな、と。
かつてそういうのを「八方美人」と評されたこともありますが、ちょっと違う。
これは芸術家なら誰しもわかるかもしれませんが、多分僕は作品を永遠に創り続けられます。
先日、ワークショップでやる連想しりとりでシニアの方達に「よくそれだけ新しい方向に発想が向かうものだ」と感心されましたけど、高校の授業でも全く同じ会話を8通り演出仕分けていますが、劇団にもやりたい作品6つぐらい書き送りましたけど(本当はあと2つあります)、なんだろう。やりたいことって多分無限に出て来ますよね。脳のキャパってたかだか100年分どころじゃないですよね。

と、いうことでのんびりやってきました。
最近読んだ小林顕作さんのインタビュー記事(母の友2017年12月号)で、「高い志を掲げて、頑張ってやる人は、たいがい途中で辞めちゃう」という持論を話されていて、あんまり肩に力を入れすぎると続かないらしいです。
僕の場合、のんびりやることにはっきりとした理由があるというか、「人生短いんだから」
あせってやってもちっともよくないでしょって思うというか

まあ、これをのんびり創作とでも名付けましょうか。
でも最近始めた仕事では、けっこうアセラされるというか、じっくりしたいんだけどなーって思ったりするんですが、皆さん始めたばかりで焦るのかなーと思ったり。
難しいところです。
「のんびりと」っていう信念で作りたいな。


Tomo Matsuura
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ぬ:ぬけ、ぬかり

2018年09月18日 | プロデューサーズボイス
ぬ:ぬけ、ぬかり

僕は演出家に専念する前に(とはいえ劇団のプロデューサーもやっているんですけどね)劇場のプローデューサーを10年やっていました。これも正確にいえば、劇場のプロデュース自体は8年ほどなんですが・・・。
公演ってすっごくたくさんやることがあります。ほんとに、“抜け”が無いように気をつけなくてはいけなくて。
もちろん、本業の演出の作業に関しても、抜けがあってはいけないことは大変たくさんあります。
色々と確認します。たとえば、舞台装置、小道具、音響・・・・・・、
逆に言えば、それだけたくさんの人と関わる、ということです。
他の人と関われば、関わるほど、いろいろと面倒でもあり、力が倍にもなり・・・。
たくさんの人と関われば関わるほど、やらないといけないことも増え、でもやれることも増えていくので、それがこの、演劇という集団創作の面白さだと思います。

実は僕の持つ蔵書の中で一定のパーセントを持つのは、仕事のやり方の本です。いわゆるビジネス本です。抜けがないように、これからもしていきたいと思いますが、“抜ける”ときは、どうか許してください。

今回も1日遅れです・・・。


Tomo Matsuura
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に:忍耐

2018年09月11日 | 演出者の目
に:忍耐

この「忍耐(endurance)」は、ある辞書では、「障害や迫害,試練,あるいは誘惑に直面しても希望を失わない,勇敢で確固とした,または,辛抱強い「忍耐」を意味します」。

またまた1日遅れで、月曜からまってくださっている方には、大変申し訳ありません。

しかし、そういう耐える、我慢する、と言ったマイナス面のネガティブな意味で取り上げたのではなく、YOU企画の得意とする、プラスのポジティブな“待つ”態度です。

我がホームページの演劇ユニットYOU企画設立趣旨にはこう書かれています。
「長期的な視野と機が熟すまで待つ辛抱強さを武器に不定期に公演を行っていく」
本当に公演ってやりたいですし、公演しとかないとまた時間があいちゃうとも思うし、やりたい台本もテネシーウイリアムズ始め、クスキユウの新作台本(まず書かないといけないんですが)も、小説・絵本原作もいっぱいやりたいんですけどねー。

でも普通の生活・人生も大事にしたいし、そうでないと芸術って作れないし。
「高嶺の花」というドラマで、芸術家が闇を見ないといいものを作れない・・・、普通の人とは違う・・・、というような流れというか、そう言う人がいましたが、実際はそんなのカンケーねー、(と僕には思えました)という結論に落ち着いた感じがあります。野島伸司さんという「101回目のプロポーズ」「東京ラブストーリー」という僕の大好きなドラマを書いた方の最新作です。「ラブ・シャッフル」も好きでした。(9月13日追記:東京ラブストーリーは野島さんではありませんでした。大変すみませんでした。)

話が逸れましたが、モノを創るって、辛抱なしには作れません。忍耐力が今、全力で欲しいです。作品を作りたいけれど、どうにも手から溢れていくような感覚、焦って作りたくなるけれど、それを待てというもう一人の自分(子供時代の自分じゃないですよ※ドラマネタです)。

難しい・・・。
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な:何

2018年09月04日 | 演出者の目
な:何

日本語で「どうして」という言葉は、英語だとWhy, How, What のどれとも取れてしまう。「なぜ」「どうやって」「何で」とそれぞれ当てられるのだけど。

と、いう前置きは、言葉通り置いておいて、今回は what つまり「何」をやるべきか、今絶賛悩み中なのだ、ということです。

YOUーPROJECTもそろそろ舞台公演の新作を、と思っているのですが、何をやろう、どうしよう・・・、と劇団員一同、右往左往しております。

戯曲なら松田正隆さんや、清水邦夫さんがしたいなあ、とか。
古典ならエウリピデス(ギリシャ悲劇)や、チェーホフ、シェイクスピアがしたいなあ、とか。

そして、山川方夫の戯曲をやってみたいとか、小説や絵本を劇化したいな、とか。

でもオリジナル脚本もそろそろやりたいし、「ハーフ2」の時のような即興で立ち上げる芝居も作りたいし。

と「何」をやるのかが一番迷走します。
決まれば早いんですけどねえ。
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