これも日本語になっているのでしょうか、すでに。
合意、一致ですね。
この間、久しぶりに稽古場でてんぱりまして。
大体、いろんなことを普段考えていて、一応稽古の型みたいなのはあるし、流れに乗っていれば自然になんとなく次にやることというか次にやりたいこと、やるべきことが見えてきたり、俳優さんに言うこと(いわゆるダメ出し)が思い浮かんだりするんですけど、それが急になくなってしまって。
視界から消えたというか、頭が真っ白というか、「あれ、何にも出てこない。どうしたらいいの、これ。」となりました。
原因は分かっていて、つまりは準備不足です。
もちろん戯曲は読みますし、予習もします。必要だと思う勉強もして、それでも頭を真っ白にして稽古場に臨むんですが、
ちゃんと準備してたら自然に上に書いたように、演出家として必要なことが頭に浮かんでくるのです。
でも、今回はずっと一緒にやってる俳優さん、というか何作品も共同で創ってきた俳優さんで、一応こんな風にしたい、みたいなことは言ってたんですけど、実質そのコミュニケーションと、エチュードの量が足りなかったんですね。
ついつい、良く知ってて分かってるという安心というか慢心があったんです。
逆に初めて一緒にやる女優さんのほうは、石橋を叩いて渡り、いろいろと稽古をして臨んでいるので、言葉も通じやすいわけです。
まだまだ、「へ?」っていう顔してはるときもありますけど。
今回のことで、自分の演出法というのが逆に見えてよかったな、と思うのです。
僕はどうやら実際の稽古に入る前にいろいろエチュード(課題を決めた芝居の練習)やワーク(例えば鏡、インプロ)、シアターゲームなどをしてから入ります。言葉遊びや雑談(好きな映画やマンガなど)もよくします。
そういうのから、芝居のフレームや試してみたいことなどが出てくるし、稽古場で語られる語彙として共通のものが増えていくのです。
そうすると、ダメ出しもスムーズになるし、こう言えば伝わるんじゃないかな、というのも見えてくる。
ダメ出しも、その俳優さんの、その役以外のほかの演技を見ていないと僕には出せないんです。
結局その俳優さんの可能性を考えるし、その俳優さんの元の演技と今の演技の差であったり、プラスしたものであったりマイナスしたものであったりを感じ取って指示を出していくので、事前の準備時間がないと作品が創れないようです。
強固なイメージがあって、それに俳優さんから近づいてもらうという創り方なら、そんなことはいらないのかもしれません。
あ、でも僕がやるんなら、その創り方でも要るなあ、たぶん。
結局、今回失敗したのは、何回も作品を創っているけど最後に創ったのは2年前だったので、いわゆるコンセンサス(Consensus)を取るためにもっと時間をかけないといけなかったということです。
恐らくそれでもなお、初めてやる女優さんとの準備ほど時間かけなくていいんじゃないかと見積もっているのは、やはり慢心か。
まあ、普通の議論とか会議とかでコンセンサス(Consensus)を得るのも難しいんだし、稽古場ではなおのこと難しいか。
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