■ 「藤原宮木簡の40年」講演会メモ
「藤原宮木簡の40年」 鶴見泰寿氏(橿原考古学研究所)
○木簡の出土
・昭和36年に平城宮で木簡が『はじめて』出土
・奈良時代の木簡
・大宝令・養老令の施行時期
・『続日本紀』『律令』『正倉院文書』に次ぐ、奈良時代の実態を
知る史料
・大宝律令以前については平城宮木簡からはわからない。
○藤原宮の発掘調査
・昭和37年に国道165号線バイパスが計画され、藤原宮を通過するこ
とに。
・昭和41年から発掘調査を開始。
・藤原宮跡調査実行委員会を組織し、奈良県と奈良国立文化財研究
所が調査に当たる。
・昭和41年度はバイパス予定路線内の調査、42年度・43年度は宮域
確認調査を実施。
○藤原宮木簡の出土
・昭和42年1月25日に初めて木簡が出土
『26-J地区にてSD101の北端部の精査を行う。この部分の溝はいく
ぶん深くなっており自然木・種子・土器片の溜まりになっていた。
泥土内の加工木を検出中2点の木簡が出土した。これは藤原宮に
おける最初の木簡の発見である。』
・大宝律令施行よりも古い時期の木簡を含む
大宝律令施行の前後の変化がよくわかる画期的な史料
○藤原宮木簡の整理
・京都大学助教授 岸俊男 と 京都大学大学院生 和田萃が行った
・木簡の水洗い 持ち帰った木簡の泥をやさしく丁寧に落とす。
・記帳 形状、墨痕などを観察して図にする。
・釈文の確定 文字を読み、現代の文字に置き換える。
・保存 ホルマリン溶液に漬けて保管。現在もこの保管方法を実施。
○藤原宮木簡の特色
・郡評論争が決着 己亥年 699年 大宝令施行の2年前
・国評里制
・「郡評論争」とは?
井上光貞「大化改新詔の信憑性」
坂本太郎「大化改新詔の信憑性の問題について」
「郡」か「評」か?
『日本書紀』の信憑性
大化改新詔の評価などに影響
・文書の形式 大宝令以前の文書形式「~の前に白す」
・文書形式とは?
- 大宝公式令
差出官司と宛先官司との上下関係により文書形式が決まる
符 上級官司から下級官司へ
解 下級官司から上級官司へ
符 同格の官司同士で
・年月日の表記
- 干支で表記 → 大宝以前は元号を使用しない
- 年月日を冒頭に記載 → 大宝以後は末尾に
・古い地名の表記
大宝~和銅、2文字の地名に変更
波伯吉国 → 伯耆国、吉備道中国 → 備中国
○奈文研による調査
・飛鳥藤原宮跡発掘調査部
1973年に飛鳥藤原宮跡発掘調査部が設置される。
以後、藤原宮の調査は奈文研がおこなう。
・『藤原宮木簡』一、二の刊行
○宮外官衙の発見
・藤原京左京七条一坊西南坪の調査
約14,000点の木簡が一括して出土
当初は中務省関連木簡とみられていた。
・奈文研市大樹さんの研究成果
衙門府の本司が宮外官衙として現地に置かれていた。
・木簡は宮城門を通過するための門片旁木簡や別勅賜物の送り状
2008/02/23 朝日新聞
■ 知人退院
退職した会社の取引先の元取締役の奥様、あわてん坊の知人、
揃って退院。
■ 散歩道にて
2008/03/02 17:38
■ きょうのタマちゃん