イスラエルソング

イスラエルの歌手、作曲家、作詞家の方々の訪問記。

ドヴ・ゼルツェルさんは「ハコーテル」の他に「エンテベ作戦」の映画音楽も手がけていた。

2013年05月26日 | Weblog
1996年3月24日は、私にとって2回目の
イスラエル音楽家取材をした記念すべき日だ。
記念は2回目までにしておこうと思う。
その日はヤッフォに住む「ハコーテル」を作曲した
ドヴ・ゼルツェル氏を訪ねた。



1回目は「オセー シャローム」を作曲した
ヌリート・ヒルシュさんを取材したが
録音機を彼女に許可しないで撮ったため、
うっかり彼女が、友人の音楽家等の悪口を
言ったものも録音されており、
「これがマスコミに知られては大変!」と言うことで
その場で貴重な取材テープは、没収の刑になってしまった。
いくら悔やんでも悔やみきれなかった。



それがトラウマになって、
今回は録音を撮ろうか、撮らないでおこうかと
散々悩んでいる間に
ドヴ・ゼルツェルさんの自宅まで
着いてしまった。




ドヴさんの自宅近く・ヤッフォ



で、時間切れで、この日は録音することをしなかった。
要はボクは大変気が小さい男なのだ。
ドヴさんはドゥービーと呼ばれていた。
そして早速名曲「ハコーテル」について話してくれた。



「1967年、エルサレム解放は私はにとって
聖書に書いている奇跡が現に今起こっている。
その驚きと感動を曲に表したいと思い、
友人の作詞者ヨッスィー・ガムズとわずか数日で作った歌が
この「ハコーテル」なんだ。私は興奮の中から、
インスピレーションでメロディーが湧いてきんだ。


エルサレムの歌は、それ以前はほとんど存在しなかったけど、
このエルサレム解放を機に「黄金のエルサレム」をはじめ、
たくさんのエルサレムの歌が作られていったんだ。
「ハコーテル」はその最初のエルサレムの歌なんだよ」



インタビューを続けていて、
あとびっくりしたのが、ドヴさんは
イスラエルフィル・オーケストラに在籍しており
ときたま指揮もやるという実に偉いお方だったのだ。



また「エンテベ作戦」の映画では音楽全てを
作曲担当していたとのことだった。
長い長い「エンテベ作戦」の映画オーケストラの音楽を
全て聞かせていただいた。(とても疲れたが、ここは少し我慢)
でもこの日は大変有意義な取材ができて、めでたしめでたしだった。



そして最後、帰り際にドヴさんはこう言った。

「先日、ヤッファ・ヤルコニーが
いいものを聞かせてあげると言って、聞かせてくれたのが
日本語の歌詞で歌われていた『イスラエルの翼』
と言う曲だった。もちろん私の作った曲だよ。
ビックリしたよ。いつの間に日本語の歌詞が・・・。
まぁ、でも私は嬉しいよ。
で、ヨシヤ、この事について知っている?」



ボクは少しその事情を知っていたが、
言うとややっこしくなるので、
「い、いえ・・・」
と言って一目散で帰ったのだった。



ドヴさんの取材のほんの一部で済みません。
また詳しいことはいつか「みるとす」誌に
書かせていただきます。

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