一面のラベンダー畑に多くの観光客、フランス南東
フランス南東部バロンソルのラベンダー畑で写真を撮る観光客(2019年6月29日撮影)。(c)GERARD JULIEN / AFP
【7月3日 AFP】フランス南東部のバロンソル(Valensole)やピュイモワソン(Puimoisson)に広がるラベンダー畑。
フランスではラベンダー畑が人気の観光スポットとなっており、多くの旅行客が訪れる。(c)AFP
先月フランスを襲った水準の熱波、気候変動で発生可能性高まる 研究概要
熱波に見舞われた仏パリのルーブル美術館にあるガラスのピラミッド前の噴水で涼む人たち(2019年6月26日撮影)。(c)Kenzo TRIBOUILLARD / AFP
【7月3日 AFP】先月下旬にフランスを襲ったような記録的な熱波が発生する可能性は、気候変動によって少なくとも5倍高くなっているとする研究概要を、世界の極端な気象の要因を分析しているワールド・ウェザー・アトリビューション(World Weather Attribution、WWA)が2日、報道陣に明らかにした。
先月26~28日の3日間に観測された高い気温は、発生頻度が同程度の熱波が1900年に発生した場合に想定される気温より4度高かったと考えられるという。
一方、欧州のコペルニクス気候変動サービス(C3S)の観測によると、欧州の気温は例年と比べ約2度高く、また地球全体では昨年6月の気温と比べて0.1度高かった。
先週、欧州ではサハラ(Sahara)砂漠から吹き込んだ熱風による熱波に見舞われた。欧州全域が異例の猛暑に見舞われ、各地で単日での過去最高気温の記録が塗り替えられた。C3Sによるとフランス、ドイツ、スペイン北部、そしてイタリアの各地で気温が例年を最高で10度も上回った。
またフランス、イタリア、スペイン、さらに中欧諸国の一部では最高気温の記録が更新された。1週間続いた熱波による死者は数十人に上った。
政府統計によると、フランスで2003年に熱波が発生した際には、その影響で少なくとも1万5000人が死亡した。(c)AFP/Marlowe HOOD, Patrick GALEY
中国伝統芸能「快板」に魅せられた日本青年、小松洋大さん
「快板」を披露する小松洋大さん(左)とドイツ人のパートナー(撮影日不明、本人提供)。(c)Xinhua New
【7月3日 Xinhua News】神奈川県横浜市出身の小松洋大さん(28)は、中国で暮らしてすでに9年になる。彼が話す「北京なまり」の中国語を聞いた人々は、北京の古い町並みである胡同(フートン、Hutong)で育った若者だと勘違いするという。
小松さんと中国文化との出合いは、幼少期にさかのぼる。5歳の頃、ジャッキー・チェン(成龍、Jackie Chan)主演のカンフー映画「プロジェクトA」を見た小松さんは、その見事な立ち回りやユーモラスなストーリーに魅了され、中国カンフーのファンになった。16歳になると横浜中華街にある高校に進学し、中国語の授業を選択した。高校には一人の北京出身の中国人教師がいて、小松さんが話す「北京なまり」のルーツになった。
高校3年生で関東地区の中国語スピーチコンテストに参加し、小松さんは2位の好成績を収めた。これがきっかけとなり、日本の大学受験ではなく中国への留学を決意したという。
小松さんは2010年、北京外国語大学に入学し、中国語を専攻した。本科(4年制学部)を卒業後は、引き続き大学に残り、修士課程で中国語の国際教育を専攻した。
ある時、小松さんは中国のテレビ番組で伝統芸能の「快板」(かいばん、板状の楽器を使って拍子をとりながら早口で歌う大衆芸能)を見て、そのとりこになった。実際に快板を購入し、まねをするほどだった。
2015年に相声(中国の漫才)の名人、丁広泉(Ding Guangquan)氏が北京語言大学で「外国人の弟子」を募集していることを知ると、小松さんは自分の力を試してみようと面接に「応募」した。面接で披露した快板はまだ未熟だったものの、可能性を感じた丁氏は、快板の名人、姚富山(Yao Fushan)氏に小松さんを推薦した。
快板の基礎的な技術を身に付けると、小松さんは師匠や兄弟子と一緒に劇場や社区(コミュニティー)、学校などを公演して回った。
小松さんは「お客さんの喝采は私にとって最高の励みであり、上演を続ける原動力となっている」と語った。また「今後何をするにしても、中国に居続けるつもりだ。もっと多くの日本人が中国を訪れ、両国の人々がお互いの理解を深めることを望む」と期待感を示した。(c)Xinhua News/AFPBB News
空から見た大連市 遼寧省
【7月3日 Xinhua News】中国東北部で重要な港湾、貿易、観光都市の遼寧省(Liaoning)大連市(Dalian)は、海の恵みで発展した都市であり、豊かな自然と開放的な人的文化的環境が独特の魅力を生んだ。上空から見る街は活力にあふれ、現代的な輝きを放っている。(c)Xinhua News/AFPBB News
北京外大の日本学研究センター、「唐代礼楽復原」講演会を開催
琵琶を演奏する唐代礼楽復原組の徐戈氏(2019年6月27日撮影)。(c)Xinhua News
【7月3日 Xinhua News】中国の民間組織「唐代礼楽復原組」と北京外国語大学の日本学研究センターが共催した講演会「千年唐楽、古譜回帰」が6月27日、同センターで開催された。
唐代礼楽復原組のチームリーダーを務める徐戈(Xu Ge)氏は講演で、チームの任務は主に、唐代の楽譜、楽器、服飾と化粧を復原することだと紹介した。徐氏は中国大陸で発見された最古の「敦煌琵琶譜」の転写本を見せながら、古楽譜を解読する過程で、日本人学者の林謙三氏の研究が大きく貢献したと説明した。楽器の復原について同氏は「以器載道(正しい器で道を貫く)」の考え方が重要であると述べ、唐代の琵琶、箏(そう)、横笛(おうてき、日本では竜笛)、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)などの楽器の特徴を細かく説明した。服飾と化粧の復原については「穿破不穿錯(みずぼらしくも正しく)」を原則としているとし、自分たちのチームは資金が潤沢にあるわけではないが、可能な限り唐代礼楽の伝統文化を正確に再現するとの考えを述べた。
徐氏は日本と韓国、中国それぞれの映画を例に、唐代の礼楽の発展や伝播、漢字文化圏における影響を説明した。同氏は、昨今の中国映画は時代考証が甘く、唐代の礼楽文化が正確に反映されていないと指摘し、この点については中国は日本や韓国とまだ差があり、これも自身が唐楽の復原に取り組むようになったきっかけの一つだと述べた。
徐氏は講演の後、琵琶の古曲4曲を演奏し、同僚と篳篥と横笛の合奏も披露した。同氏は新華社の取材に答え、中国の唐楽は主に遣唐使や遣隋使によって日本に伝えられ、日本で独自の発展を経て御神楽、左方楽、右方楽などの宮廷楽の形式となり、そのスタイルも唐楽の力強いものから、日本の「もののあはれ」の美しさを融合させたものへと変化したと説明した。
また、現存する日本の雅楽について徐氏は、私たちが現在聞くことができるのは主に明治以降の雅楽であると述べ、雅楽は明治時代に衰退の兆しを見せ始めたが、明治天皇の努力により雅楽の選定と整理が行われたと説明した。現在日本で聞くことのできる100曲ほどの雅楽は、ほとんどが明治時代を始まりとするものだが、日本では古代に中国から伝わってきた楽譜や文献などがほぼ完全に保存されており、「これに比べると、われわれの努力は十分ではない」。徐氏は「文化に対する自信は、国民が自国の民族史の実態を正確に知ることで初めて生まれる」と語り、講演会を締めくくった。(c)Xinhua News/AFPBB News
*上記はAFPBBNEWSの記事から引用しました。
*今日の一言
神奈川)もがく公立図書館支える 鎌倉の「ととも」を発足!
本が好きで図書館に足しげく通っていた鎌倉の母親ら7人が「図書館とともだち・鎌倉(通称ととも)」を発足させたのは、1998年1月のこと。今年、20周年記念誌にまとまった歩みは、自治体財政の悪化で公立図書館への風当たりが増した年月に重なる。鎌倉でも図書館は資料費や人員を削減され、苦境にある。とともは、そんな図書館と市民を近づけるさまざまな試みを続けてきた。
鎌倉市役所の隣、鎌倉NPOセンターに毎週水曜、ととも有志が集まる。図書館友の会は全国にあるが、毎週例会を開いているのは珍しいという。代表の和田安弘さん(76)、草創期からの中心メンバー阿曾千代子さん(65)らが、催しの相談や課題を話し合う。
目下の関心事は、国立国会図書館を中心にした文化財やコンテンツの統合データベース「ジャパンサーチ」構想。その鎌倉版を作りたい、と阿曾さんは図書館職員と開いた勉強会に今度は市議や市民も招こうと計画する。「市の博物館新設は資金難で見送られた。それなら各文化施設の所蔵品を電子化し、集積したサイトをつくればいい。収集分類なら図書館の得意とするところです」
図書館学や地方自治の専門家集団か、と思ってしまうが、長く川崎で図書館司書だった和田さん以外は、「普通の母親」ばかり。以前は、地域や学校で子どもに「おはなし会」を開いていた。そこへ、県内に図書館をつくるので意見を聞きたいと声がかかった。会合に出ると「図書館って思っていた以上に大切で、知らなかったサービスもあると気づいた」(阿曾さん)。
「要望するだけでなく、やれることは手伝おう」と、とともが誕生。図書館職員と一緒に開く催しが中心だった活動に2002年末、転機が訪れた。市が図書館を教育委員会から市長部局に移管する話が持ち上がったのだ。
とともは勉強会を重ねて「図書館の役割」を改めて考えた。「義務教育の終了後、だれもが望めば無料で知識や情報に触れられる唯一の場である図書館は、『自由で中立』でなくてはなりませんよね」と阿曾さん。多くの人に知ってもらう狙いで署名を集め、市に提出。移管は回避された。
日本経済が下降した00年代以降、図書館は予算も人も減る冬の時代が続く。1911年に鎌倉町立図書館として開館し、県内で最も歴史のある市図書館も同様だ。
市教委によると、中央図書館と玉縄、腰越など4地域館の2017年度の資料購入費は約2555万円で、一般会計の0・042%。市民1人当たり換算では全国の同規模人口の自治体49のうち38位。貸し出し・予約件数は3位、所蔵のない本を市外から借用して提供する借り受け件数は1位で、よく利用されてはいるが、多様化する要望に応えきれているとは言いがたい。
市図書館の常勤職員は30人を切り、司書採用は20年以上ない。それでも毎日のように「記念日」にちなんだ本を棚から選んで陳列するなど、少ない予算を職員の力量でカバーしている。
そんな現状に心を痛めつつ、とともは図書館をもり立てようと楽しげなイベントを企画してきた。足を運んでもらうきっかけに、と「著者を囲む会」やコンサート、落語会を図書館で開催。17年度は市の市民協働事業に選ばれ、司書削減の対象と目された玉縄、腰越の2地域館で「地域カフェで地元の歴史の紙芝居」「里山の自然の中でおはなし会」などを行い、地域の人たちに両館の存在を強くアピールした。
当初は40代が中心だった会員も、「娘のお産」「親の介護」に追われる年代になった。「いくつになっても、だれにとっても気兼ねなく使える場所であって」という思いは深まるばかり。図書館と共に、地域の文化と歴史を掘り起こし、次代に伝える役割を担う、とともの活動は続く。
*上記は朝日新聞デジタル版の記事から引用しました。
*最近は活字離れがすすんでおり、ぜひ近隣の方は足を運んで下さい。