近所のK夫人の、今は亡きご主人M氏は「満州」からの引き揚げ者。元高校の美術教師で、ある時、終戦前後一年間の悲惨な体験62枚を一気に紙芝居風に描いた。
Kさんは油絵などたくさんの遺された作品と一緒に大切に保管してきた。その紙芝居がDVD化され上映会が開かれた。
M氏が終戦を迎えたのは12歳のとき。ソ連軍が進攻し、人間そのものの尊厳さえ奪われる状況の中、帰還船に乗るために逃げ惑った。コウリャン畑の中に隠れたとき、お母さんが「みんなバラバラになるくらいなら一緒に」と短刀を見せたシーンがあった。このときのトラウマで死ぬまでM氏は刃物が使えなかったという。
Kさんは元小学校教師。怪我で会場近くに入院中だが外出許可をもらって一時間ほどお話をされた。昔の同僚も大勢詰めかけ盛会だった。
ご自宅で遺作を観賞させてせてもらったことがある。その中にKさんの日常の姿を菓子箱やチラシの切れはしを利用して一日も欠かさず日記がわりに描いたスケッチの束があった。強い絆を感じ穏やかな生活とお見受けしていたがそんなトラウマを抱えていたとは。
今の若者や子供たちがこんな目に遭ってはならない。