アウトメディアウイークの結果から思うこと
先日のPTA通信は「アウトメディアウイーク」の報告でした。各家庭において、子どもと保護者が一緒になりながら取り組んでいることに対し、うれしく思っています。特に、2学期は1学期に比べ、高い目標へ(例えば、かめさん→くまさんコースへ、とりさん→かめさんコース等へ)、かなりの子ども達が挑戦し、達成していることはすばらしいことだと思います。そして、みなさんの感想からも、テレビを見ていないと、きちんと食事をしてくれたり、家族の会話も増えてきたり、勉強したりというたくさんの方からプラスの方向の意見をいただいています。前回の私の便りで読書のことを出しましたが、読書に家族で取り組んだ方もいました。今回の「アウトメディアウイーク」の取り組みは、各家庭でメディアに対して振り返るよい機会になったのではないかと思います。
メディアの功罪についてはよく言われています。特にゲーム漬けのディメリットについては、高学年の子ども達はよくわかっています。高学年については、メディアについてのつきあい方を自分で判断し、実践していくことが大切です。このことについては、学校でも授業等で指導していきますが、家庭での協力が必要です。また、低学年については家庭での指導が必要だと思っています。高学年になってゲーム漬け等にならないためにもよろしくご指導願います。
津波対応避難訓練を終えて
先月、津波に対応した避難訓練を行いました。この日は大きな地震の後、津波警報が発令されたという想定のもと行いました。大きな津波でない場合は、屋上への避難ですみますが、この度の避難訓練は、東日本大震災の大きさを想定して行いました。吉田小学校は海抜4メートルで、しかも益田平野のど真ん中ということもあり、避難場所は限られています。まわりで一番高い場所、辻の宮(海抜32メートル)を避難場所として訓練を行いました。集団で移動したとき、子ども達の足で何分かかるかを見るものでした。子ども達は真剣に担任の指示のもと避難しました。かかった時間は、6年生で9分、1年生で15分でした。しかし、震災時の道路事情はどうなるか分かりませんが、子ども達が安全にしかも早く移動できる場所は、「辻の宮」であることを全校の子ども達と確認したところです。
さて、先日、東日本大震災のあった南三陸町を訪問する機会がありました。南三陸町に行く道中では、家屋等については外見上大きな被害にあったような形跡は見られませんでした。道路も、所々で片側通行の場所がありましたが大きな被害は見られませんでした。震災から8ヶ月あまりたっていたので復旧したのかもしれません。しかし、私が訪れた南三陸町の志津川町に、山から下りて入った瞬間、町の様子を見、一瞬体がこわばったというか胸がギュンと苦しくなりました。山肌の杉の木が直線的に赤茶けており、前に見える町は、コンクリートの建物だけが残っており、しかも、その建物は窓もない状況でした。また、人の通りもなく、自動車が何台か通るだけでした。そこには、町の姿はありません。。建物があった場所にはがれきがうずたかく積まれ、今もなお手つかずの状況に震災への復興はこれからだという思いを持ちました。
今、あちこちに置いてあった義援金の箱も以前と比べ少なくなっていますが、この現実を見て、私たちがこれからできる支援は何か考えさせられました。今後できることがあれば行っていきたいと思っています。
先日のPTA通信は「アウトメディアウイーク」の報告でした。各家庭において、子どもと保護者が一緒になりながら取り組んでいることに対し、うれしく思っています。特に、2学期は1学期に比べ、高い目標へ(例えば、かめさん→くまさんコースへ、とりさん→かめさんコース等へ)、かなりの子ども達が挑戦し、達成していることはすばらしいことだと思います。そして、みなさんの感想からも、テレビを見ていないと、きちんと食事をしてくれたり、家族の会話も増えてきたり、勉強したりというたくさんの方からプラスの方向の意見をいただいています。前回の私の便りで読書のことを出しましたが、読書に家族で取り組んだ方もいました。今回の「アウトメディアウイーク」の取り組みは、各家庭でメディアに対して振り返るよい機会になったのではないかと思います。
メディアの功罪についてはよく言われています。特にゲーム漬けのディメリットについては、高学年の子ども達はよくわかっています。高学年については、メディアについてのつきあい方を自分で判断し、実践していくことが大切です。このことについては、学校でも授業等で指導していきますが、家庭での協力が必要です。また、低学年については家庭での指導が必要だと思っています。高学年になってゲーム漬け等にならないためにもよろしくご指導願います。
津波対応避難訓練を終えて
先月、津波に対応した避難訓練を行いました。この日は大きな地震の後、津波警報が発令されたという想定のもと行いました。大きな津波でない場合は、屋上への避難ですみますが、この度の避難訓練は、東日本大震災の大きさを想定して行いました。吉田小学校は海抜4メートルで、しかも益田平野のど真ん中ということもあり、避難場所は限られています。まわりで一番高い場所、辻の宮(海抜32メートル)を避難場所として訓練を行いました。集団で移動したとき、子ども達の足で何分かかるかを見るものでした。子ども達は真剣に担任の指示のもと避難しました。かかった時間は、6年生で9分、1年生で15分でした。しかし、震災時の道路事情はどうなるか分かりませんが、子ども達が安全にしかも早く移動できる場所は、「辻の宮」であることを全校の子ども達と確認したところです。
さて、先日、東日本大震災のあった南三陸町を訪問する機会がありました。南三陸町に行く道中では、家屋等については外見上大きな被害にあったような形跡は見られませんでした。道路も、所々で片側通行の場所がありましたが大きな被害は見られませんでした。震災から8ヶ月あまりたっていたので復旧したのかもしれません。しかし、私が訪れた南三陸町の志津川町に、山から下りて入った瞬間、町の様子を見、一瞬体がこわばったというか胸がギュンと苦しくなりました。山肌の杉の木が直線的に赤茶けており、前に見える町は、コンクリートの建物だけが残っており、しかも、その建物は窓もない状況でした。また、人の通りもなく、自動車が何台か通るだけでした。そこには、町の姿はありません。。建物があった場所にはがれきがうずたかく積まれ、今もなお手つかずの状況に震災への復興はこれからだという思いを持ちました。
今、あちこちに置いてあった義援金の箱も以前と比べ少なくなっていますが、この現実を見て、私たちがこれからできる支援は何か考えさせられました。今後できることがあれば行っていきたいと思っています。