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ヒガワリテイショク

BGM:Last Dinosaur

現実逃避ではない,現実飛翔である

2006-02-07 07:39:59 | 雑記
我々は,想像力により現実から離陸するのだ.
そう,決定されているが故に我々の可能性は無限であり、
止められているが故に我々の飛翔は永遠である.
…とりあえず切腹でもするか.

ここ一年,暗中模索しつつ手探りでやってきたが,
どうやら研究も一区切りをつけることができそうである.
ありがたいことだ.実に,有り難い.

なんと言っても,明後日締め切りの論文に載せる実験をまだこれからやらねばならぬ.
こんな状況は本当に有り難い.やれやれ,先のことが思いやられる話だ.

そんな狂つた日々を少しでも楽しいとおもつてしまうのだから,
ああ,きつと私ももう既に少しだけ狂つているのでせう.

更新が多いのは

2006-02-05 21:37:27 | 雑記
勿論現実逃避中だからですよ.暇なら更新せずに遊びに行ってますって.

まぁ,そんなこんなであと概ね3日で卒論提出です.
時間的には100時間切った感じ.書いててびっくり.

あと1週間あったらもっと素晴らしい論文になるのになぁ…
と一瞬思ったのですが,あと一週間あっても一週間さぼるだけでしょう.
つまり,それが自分の限界と言うことですな.

細々したこと

2006-02-05 10:35:22 | 雑記
・朝9時段階で霜柱が出来ていた.それもかなりでかいヤツ.
 小学校の時よく田んぼで踏んだものだ.懐かしい.
 3分ほどざくざく踏んで楽しんだ後,あまりの寒さに凍死しそうになった.

・なんばんの粕漬が美味い.米ががんがん食べられる.
 酒にも合うこと請け合い.もっと量があればなぁ…

・最近また出会い系スパムがよく届くのだが,なんと今回58歳女性とかいうメールが.
 世の中には想像も出来ない世界があるようだ.恐ろしい.
 ていうかそれは茶飲み友達募集,とかじゃないのか.

老舗の永続性

2006-02-05 10:01:48 | 雑記
老舗になるのは,難しい.

他の分野は詳しくないので料理の世界に限定しよう.
料理の分野で老舗になるためには,看板料理が必要である.
それは,完璧な料理のことだ.

これ以上改良点がない,完璧で普遍的な料理こそが看板料理となる.
それは誰にも真似されぬものであり,そこでしか食べられないものだからだ.
それを目当てに客がやってこなければ店は続かぬ.

一方,それだけではたち行かなくなる可能性が高い.
人は飽きる生き物で,新しい店は次々とできる.
だからこそ,自らが作り出した完璧な料理を超える料理を模索せねばならぬ.

勘違いしがちだが,それを超える料理を提供することが重要なのではない.
それを超えようとする姿勢が重要なのだ.
それは店のあらゆる面に波及する.旧態依然で守りにはいると衰退していく.

そうやって日々研鑽を積むうちに,何時しか老舗と呼ばれるようになるのだろう.
多くの人と時間に研磨され,洗練されてきたと言うことに老舗のすごみがある.
ここまで書いて思ったのだが,これはブランドと同じなのかも知れないなぁ.

人生の転機

2006-02-05 06:45:14 | 雑記
いや,人生観の転機と言うべきか.

世界観を揺さぶられるような経験というのは,なかなか忘れることができないものだ.
ここまで変わり者になるには色々強烈な体験があるのだが,
高校時代で特に影響が大きかったのはディベートの全国優勝だった.

元々ディベートなどと言う聴いたこともないモノをやり始めたのは,
以前その高校から全国優勝した人たちがいるという話を聞いたからであった.
何のことはない,一度日本一というものになってみたかったのである.

多分に打算的に始めたディベートであったが,適性があったのかラッキーなのか,
全国大会で優勝するという結果を出すことができた.

優勝の瞬間思ったのは,世の中こんなもんか,であった.

日本一なんて言う,大きなものになってみると,それがちっぽけに思えたのだ.
それは広くて遠いと思っていた世界が,ぐぐっと小さくなった瞬間だった.
井の中の蛙,意外と大海でもないことを知る.

高校生の中でとか,その年の一番とか,所詮マイナーなディベートとか,
そういうネガティブな条件付き日本一であることもその時ちゃんと認識していた.
だが,その瞬間世界が変わったのは事実である.

勿論,日本一になったって相変わらず足は遅いし,腹は減るし,近所の犬には吠えられる.
しかし,世界に通用するという手応えが,しっかり残った.
それまで何となく考えていた東京に行くと言うことを,熱望しだしたのはそのころであった.

金は尊い

2006-02-04 01:16:17 | 雑記
何故ならば,可能性を生むからだ.

あと100円あれば,牛丼じゃなくて普通の定食が食べられるのに.
あと100万円あれば,病気で苦しむ娘を救えるのに.
あと100億円あれば,貧困にあえぐ国を丸ごと救えるのに.

ただし,決してこれらが悪なのではない.
牛丼は悪ではないし,娘は死んだ方が幸せなのかもしれないし,
国なんて無くなった方が良いのかもしれない.

ただ,これをし得た,と言う可能性が元から金銭的制約で存在しないのは駄目だ.
それはつまり自由の制限だ.逆に言えば,ある程度金で自由は買える.

例えば時間は金で買える.1日24時間が上限だが.普通は時間を削って金を作るわけだ.
命も買えることが多い.金を積めば臓器移植リストの変更もお手の物.韓国とかオススメ.
人生はモノポリー型のトップに近いほど選択肢が増えて面白くなるゲームである.

清貧なんて言葉があるからいけない,貧乏はただの貧乏です,と言ったのは誰だっけ.
金を悪し様に言う人間は大抵ルサンチマンがむき出しになっている貧乏人だ.
偉大な宗教家は,大抵生まれたときから資産家で,物欲が満たされてこそ悟りを開けるわけだ.

しかし.しかしである.
何故俺が知る金持ちは大抵幸薄そうなんだろう.謎だ.
可能性は幸せの足がかりにならないのだろうか?

多すぎる金が彼らを押しつぶしたのかもしれない.我ながら陳腐な表現だ.
維持管理モードに入ってしまうからだろうか.それは確かにつまらなさそうだ.
金は,金と使い方がセットじゃないと面白みがないのかも知れぬ.

たまに,買いもしない宝くじが当たったときのことを考える.
毎回最終的に出る答えは同じ,全額貯金して何事もなく日常生活を送る,だ.
そして自分は大金を持っていて,何でもやろうと思えばできる,
と言う可能性と共にニヤニヤしながら生きていくのだろう.

金持ちの気分ってのも,こんなモノなのかも知れないなぁ.

違う空気

2006-02-03 20:17:36 | 雑記
空気が違うと感じる瞬間がある.
決して空気が読めず寒いギャグを言ったときではない.

例えば旅行して,空港に降り立ったときにそれは感じられる.
行った国はあまり多くないが,それでもその国その国で空気が違った.
ハワイの乾いた空気とか,沖縄のなんだか濃密な,ねとっとした空気とか.

今日エレベーターに乗った瞬間,ふと空気の違いを感じた.
外から入ってきた人が,ちょうど自分の階で降りて入れ違いになったときだ.
時刻は夕暮れ.一日室内にいた私は,エレベーターが運んで来た外の空気を感じたわけだ.

世界が狭くなると,身の回りの細かなことに気づけるのかも知れない.
もっとも,これからの時期最も空気の違いを感じるのは,空気清浄機の有無によるのだが.

社会格差

2006-02-02 14:43:29 | 雑記
そういえば,先日我が国の首相が国民の格差が広まることは悪くない,と述べた.
ようやく時代が追いついてきたという感じか.

格差なんてあって当たり前なんである.むしろ今までが不健全すぎた.
能力に応じて平等に機会を与える.端的だが素晴らしい思想である.

さすがに手をつないで徒競走でゴール,という話を聞いたときは本気で社会が終わると思ったものだ.
頭は悪いが足は速い,なんて生徒の見せ場はどうなるのだ.
テストもみんなで答えを丸写しでもさせるのか?

基本的に能なしは飢えて死ぬのが当たり前なんである.
お情けで食わせて貰っている人間は,それを自覚してより一層哀れみを誘わねばならぬ.
それもまたある意味能力の一つだと言える.

生物的多様さの確保のためある程度の幅のぶれは許容すべきだが,
明らかに失敗作である場合それは淘汰されるのが自然なんじゃないだろうか?
自然保護団体が顔を真っ赤にして反論しそうな話だが.

人間は誰にでも勝利の見込みがあるスタートライン上では何も言わないが,
ゴールが近づき勝利が無くなるにつれ平等を唱え出す,
と藤子・F・不二雄は皮肉を言ったが,鋭い指摘であると言える.

ただし,自戒を込めて書くが,これは持てる者の思想であることを忘れてはならぬ.
過去及び現状,どう見ても持てる者として育ってきたが故に,
こうした視点を当たり前だと思ってしまうが,それもまた一つの見方でしかないのである.

身分の証明

2006-02-02 14:12:43 | 雑記
自分の身分の証明は実は意外といい加減で,意外と難しい.
例えばバイト先の上司は,私が何処の大学に所属しているとか,
多分きっちり確認したことはないはずである.

いわゆる第三者証明が無いってやつだ.
第一人者証明なんて全く信用値しないと思うのだが…
同様に,例えば初対面の人に東大生です,と言っても大抵は信用してもらえる.

そういう人は,身分の詐称とかを何故疑わないのだろう.
社会的なリスクが高すぎてやるメリットが無いから一般にやらないと思っている?
名刺とか使えば,たかだか社会的立場や身分の詐称なんて楽勝そうだ.

つまり,まだ人間どうしのつきあいは信用が前提なんだろう.
モノに対しては大分疑いが進んだようであるが,
人間もそのうち第三者認証がないと身分を疑うようになるんだろうか.

昔は身分や立場なんて関係ないぜ,なんてよく嘯いたものだ.
良いワインはブランドを必要としない,なんてことわざもあるが,
やはり身分や立場は重要だと社会と接すると思う.

いや,重要じゃなく便利,か.学歴とかも.