世界の資源は常に一定である.幸福は資源より生まれる.
∴それらを使って生み出される幸福の総量は一定である.
…しかし,人類は増え続けている.
といった悲観論を以前提出した気がするが,これは本音ではない.
そんな考え方は哀しすぎると言われてしまったので,まじめに考えよう.
結論から言えば世界の幸福の総量は長期的なスパンで見ると増え続けている.
幸福量保存の法則は成り立たないといえるだろう.
今の世界は寿命が延び,病気は克服され,季節によらず快適で食料は豊富だ.
我々の遺伝的性質の変化速度より技術発展速度の方が遙かに早いので,
世界の幸福は常に増え続けている.豊かに,もっと豊かに.
ペストで大量に死んだり,原爆食らったり,地震でつぶれたりしながら,
それでも人類は大幅に勝ち越している.少なくとも現時点では.
我々は遺伝子が求めるより多くの物を取得することができるからである.
しかし,ここで問題が生じる.
近年に入っての圧倒的勝利は焦土作戦の結果であったのだ.
太陽から降り注ぐエネルギーを植物が蓄積可能なエネルギーに変換し,
地球にため込み続けた物を消費しての大勝利だったわけだ.タメ撃ちで大ダメージ.
ところがこのモデルはそろそろ使えなくなってきている.
せっせとため込んだ資源は消費され,我々は方向の模索を余儀なくされている.
だからロハスとか小賢しい思想が生まれるわけだ.
現状維持ではじり貧になるのが見えている.
一日に使うエネルギーを一日に取得できる太陽エネルギー以下にすれば,
理論上は永続が可能である.あ~の空に.太陽が,あるかぎ~り~♪
しかし持続可能な千年帝国ができたところで,我々の幸福の総量は増えない.
むしろ遺伝子が淘汰され,徐々に徐々に現状に適した遺伝子になっていくだろう.
これはつまり技術に対する遺伝子の追走である.
人類が現状より不幸になっていくのを見過ごすならばその選択もありだろう.
また,幸せになれる薬を投与し続けるという選択肢だって存在はする.
それはいったい何を慰めてくれるんだろう.
我々が現状の幸せを維持していくためには,結局生活圏を広げるしかない.
宇宙へ出るのだ.太陽光をもっといっぱい浴びるために.月を掘り尽くすために.
環境保全技術は,結局のところ宇宙での環境作成に利用されるべきなのだ.
我々はいずれ地球を食い尽くすだろう.ゆっくりと,しかし確実に.
母蜘蛛の体を食って風に乗り飛ぶ子蜘蛛のように,我々は拡散して行くに違いない.