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ヒガワリテイショク

BGM:Last Dinosaur

全ての物は繋がっている

2006-06-23 14:41:16 | 哲学
我々は,私と世界と違いを電子や原子の濃度の差として知覚している.
私と世界との境目は曖昧でありその境界線は常に揺らいでいる.
世界は何処までも私であり,それは濃度の違いであると言える.

幸福量保存の法則

2006-06-18 02:55:32 | 哲学
世界の資源は常に一定である.幸福は資源より生まれる.
∴それらを使って生み出される幸福の総量は一定である.

…しかし,人類は増え続けている.

といった悲観論を以前提出した気がするが,これは本音ではない.
そんな考え方は哀しすぎると言われてしまったので,まじめに考えよう.

結論から言えば世界の幸福の総量は長期的なスパンで見ると増え続けている.
幸福量保存の法則は成り立たないといえるだろう.

今の世界は寿命が延び,病気は克服され,季節によらず快適で食料は豊富だ.
我々の遺伝的性質の変化速度より技術発展速度の方が遙かに早いので,
世界の幸福は常に増え続けている.豊かに,もっと豊かに.

ペストで大量に死んだり,原爆食らったり,地震でつぶれたりしながら,
それでも人類は大幅に勝ち越している.少なくとも現時点では.
我々は遺伝子が求めるより多くの物を取得することができるからである.

しかし,ここで問題が生じる.
近年に入っての圧倒的勝利は焦土作戦の結果であったのだ.
太陽から降り注ぐエネルギーを植物が蓄積可能なエネルギーに変換し,
地球にため込み続けた物を消費しての大勝利だったわけだ.タメ撃ちで大ダメージ.

ところがこのモデルはそろそろ使えなくなってきている.
せっせとため込んだ資源は消費され,我々は方向の模索を余儀なくされている.
だからロハスとか小賢しい思想が生まれるわけだ.

現状維持ではじり貧になるのが見えている.
一日に使うエネルギーを一日に取得できる太陽エネルギー以下にすれば,
理論上は永続が可能である.あ~の空に.太陽が,あるかぎ~り~♪

しかし持続可能な千年帝国ができたところで,我々の幸福の総量は増えない.
むしろ遺伝子が淘汰され,徐々に徐々に現状に適した遺伝子になっていくだろう.
これはつまり技術に対する遺伝子の追走である.

人類が現状より不幸になっていくのを見過ごすならばその選択もありだろう.
また,幸せになれる薬を投与し続けるという選択肢だって存在はする.
それはいったい何を慰めてくれるんだろう.

我々が現状の幸せを維持していくためには,結局生活圏を広げるしかない.
宇宙へ出るのだ.太陽光をもっといっぱい浴びるために.月を掘り尽くすために.
環境保全技術は,結局のところ宇宙での環境作成に利用されるべきなのだ.

我々はいずれ地球を食い尽くすだろう.ゆっくりと,しかし確実に.
母蜘蛛の体を食って風に乗り飛ぶ子蜘蛛のように,我々は拡散して行くに違いない.

何故,看取るのか

2006-01-16 02:48:24 | 哲学
謎は解けた.彼(あるいは彼女)への最後の優しさなのだ.
英語っぽいなぁ,この文.ふぇみにずーむ.エセ平等.

死への恐怖は2種類に分けることが出来る.
哲学的な恐怖と,生物学的な恐怖だ.

哲学的な恐怖は自己の,そして世界の喪失への恐怖である.
知恵があるばっかりにこんな目に.蛇は悪いヤツだなぁ.
これは原理的には取り除かれ得ない.あるとしたら宗教だ.
宗教により永遠を手に入れるか,あるいはその恐怖する脳の回路を書き換える.
これしか手段はない.はず.あったら是非教えて欲しい.

一方,生物学的な恐怖は違う.
これは本来遺伝子をある程度,具体的には次世代に伝えるまで保存するための動機だ.
ということは,この恐怖は実は次世代が上手く作れれば無くなるんじゃないか?
もしくは枯れるとかか.まだまだ先だろうなぁ.

つまり,子供や孫が死にゆく親を看取ることに価値を見いだすのは,
遺伝子の伝達がうまくいったことを見せて死への恐怖を軽減させることにあるのだ.
社会的な価値とか,子供にとっての看取る価値とかは別にして.

ちなみに子供にとっての価値は認識だろう,多分.
まだ寿命が長くなって人間の遺伝子の書き換えがすんでないからアレだが,
親の庇護下から離れる最終的な覚悟を決める儀式だったと推測する.
(寿命が30チョイとかの時代を想定して欲しい)

「愛」とは何か

2005-12-25 02:59:16 | 哲学
(書きかけのネタを完成させた.3ヶ月ほど草稿で放置して存在を忘れていたのだが,
ジャンル分けとその整理はしておく物である.)

さて,このテーマについてまともに考えたのは高校生の頃であった.
まぁ何か事件があったとかそういう訳じゃなく,
「世紀末の詩」というドラマがやっていたのである.
(ちなみに野島ドラマ.他の野島ドラマは好きじゃないのだが.)

このドラマが素晴らしかった.実に強烈であった.
無論駄目な部分とか相容れない部分もあったが,とりあえず山崎努が良い.
若干狂いかけの老人役とかやらせるとサイコウ.

話がそれた.
高校の頃に,このテーマで友人と延々とだべってたのである.
今見るとかなり異様な高校生にも見えるし,当たり前の高校生にも見える.
まぁ,ともかく愛とは何かを考えた.

愛はどこまで変化しないのか.
相手が例えば交通事故や火事で障害を負っても,愛せるのか.
愛しい彼が(あるいは彼女が),愛を誓った彼が,耳も聞こえず目も見えず声も聞こえず,
手足は切断され植物人間で思考しているかもわからなくなって,
顔もやけどで彼と判別することすらできなくても,果たして愛することはできるのか?

当時導き出した答えは「無理」であった.
正直言ってそんな状態になられたら無理だろう.
あるいは思い出を反芻して寄り添えるかもしれないが,半分狂気の領域である.

逆説的にこれでも変わらぬのが真の愛だとすれば,
形質に(つまり上で上げた諸条件に)惚れるのは恋で,
それを超えたところに惹かれるのが愛だといえよう.

ならば,愛は不可能存在であるといえる.
何故なら,つまりその愛の定義は,相手の<私>に相当するものに惹かれあうことだからだ.
自分以外に存在しないはずの<私>に!
普遍的な<私>ならあるいは存在し得るかもしれないが…

まぁしかし,たぶん愛というのは,この理屈を超えたところにあるのだろう.
この思考の枠組みを超える何かがなければ,愛は存在できないのだから.
愛は理屈じゃない,なんて実に陳腐な結論で,実にすばらしい.

なぜ同じことを何度も考えるのか

2005-12-13 01:06:43 | 哲学
既に答えが出たことをどうして何度も考えるのだろう.
世界の答え,愛の存在,自分の由来,言葉の限界,
自分と他人,神の生死,道徳と倫理,生と死,etc^2...

そこにほころびを見つけたいからだろうか.
しかし,自分の答えは既に完成され,そこから踏みでることはない.
ならばその確認をしたいのだろうか.
それも馬鹿げている.既にそれは私の一部となってしまったからだ.

「世界の上げ底」は,もう埋まってしまったのだ.

昔のおもちゃを眺めて懐かしがる感覚だろうか.
まだ考えることは山とあり,それは新しいおもちゃなのに.
未来への指針になりうると考えているのだろうか.
それが何も生まないことを一番私がよく知っているのに.

10年後の私は,果たしてこの文章を読んで笑い飛ばせるのだろうか.

真の目的

2005-06-20 02:44:57 | 哲学
唐突に私の生きる上での目的を宣言しておきたくなった。

私の生きる目的は 世界の仕組みを知る である。
それは私の世界を征服することである。理解するとはそういうことだ。
世界には、意味でも価値でもなくそこに理由が存在していると私は信じている。
私は独我論を肯定するが、かといって世界の存在を認めぬほど狭量ではないからだ。

それを踏まえて、世界には仕組みが存在しているはずだ。
理由が体系化され、全てが繋がる仕組みが。大統一理論なんて目じゃない統一度。
その頂はかつて誰もが目指し、誰もがたどり着くことなく力尽きた頂に他ならない。

だから、たとえば長生きがしたい。
22年ほど生きてきて、まぁ役に立ったのはここ10年ほどだが、若干世界が見えてきた。
しかしそれでは全然足りないのだ。死ぬまでの時間でも全く足りない。

長生きと言ってもホントは75で死ぬはずだったけど80まで生きた、なんてのは焼け石に水だ。
いくら高跳びで高く飛んでも、月へは辿り着けないだろう。もっと抜本的に時間を作る手段が必要なのだ。

たとえばいろいろな知識が欲しい。
出来れば体験したいのだが、体一つでは体験できる量に限りがある。
だからこそ私は希有な思考と体験を持つ友人を欲する。
彼らから今まで多くのパーツを得てきたことは疑う余地すらないからだ。


世界は今日も謎に満ちている。素晴らしい事だ。
この謎の答えを組み立てていけば、いつかそれは世界の仕組みを形作るであろう事を私は信仰しているからだ。

正義とは

2005-06-03 12:34:14 | 哲学
最大多数の最大幸福が発生することこそが正義だと、ベンサムは言った。
正義は理屈さえつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものであると、芥川龍之介は言った。
正義とは忠誠・税金・個人的奉仕に対する報酬として、一国の政府が市民に売りつける品質の落ちた商品だと、ビアスは言った。

正義とは現実的には過半数の賛成であり、真実的には最強者の意見である。

つまり、正義とはすでに勝利したものからの定義であって、
勝者側に都合の良い結果であることは疑う余地がない。

勝てば官軍という言葉の本質はきっとここら辺にあるのだろう。

注1 最大多数の最大幸福という概念自体が怪しい。私の幸福に勝る価値は存在しないからだ。
注2 ビアスとはもちろん悪魔の辞典の作者である。念のため。
注3 勝てば官軍の本質とは、つまり勝ったことすら「当たり前」のこととして人々の念頭から消し去ることである。

錬金術

2005-06-03 01:50:24 | 哲学
によれば、物体は個体と気体を行き来して純化されるらしい。

一部の宗教によれば人間も輪廻し肉体(固体)と魂(気体)を行き来する。
では我々もこうして純化されていくのだろうか。
いつか、神様のお眼鏡にかなうまで。

しかし、その神とはいったい何だろうか。
人格神は今までさんざん馬鹿にしてきたし、
そもそも人がヒトを模して作った神はもはや神とは呼べないだろう。

以前書いた記憶があるので被るかも知れないが、
神とはあるシステムの総称にふさわしいのではないだろうか。
我々をその一部に含む、我々に繋がる膨大なシステム。
極大・極小方向に無限にシステマティックに構成された世界と、
その相似形として神が自分に似せて作ったヒト。実に奇妙な符号だ。

ヒトの在り方

2005-05-25 13:25:23 | 哲学
ヒトは現在進化の頂点に立っている。
そして、我々は進化の方向性すら「自分たち」で決めうる様になった。

我々は在り続けようとする。
これは系としての方向性によるものだが、とにかく我々には盲目的な生への衝動がある。
では、我々が在り続けるためにどの方向性へ進むのがベストか。

一つ考えられるのは地球にとどまることである。
人類の数を制限し、完全な循環系を作る。
しかし、これは破局に対処できない。
ある要因でバランスが崩壊した場合の立て直しが効かない。

つまり、より存在するために我々は生存範囲を広げるしかない。
そのために取り得る方向性は、地球を上手く「使い切り」、より遠方へ散らばることである。
散らばるまでのプラットホームとして地球を住めるように維持することは重要だが、
我々はより本質的には地球環境よりも技術開発を優先すべきではないだろうか。

非常に残念ながら私が生きている間に人類が他の星に定住することはないだろうが、
現時点での工学に携わる者の覚悟としてこの文を記す。

デジタルとアナログ

2005-02-23 20:26:14 | 哲学
世の中はデジタルで全て記述されうるのか、それともアナログな部分が常に存在するのか。
結構色々な考察に影響する部分だと思う。

可能な限り細かく計測すれば、やがて全ての物はきっちり目盛りに沿って測れる、と言うのがデジタルの主張だろう。
そして細かく測り続けると、人間の技術の限界か認識の限界に到達するはずである。
例えば小数点以下30桁の精度保証があるモノサシが出来たとしても31桁以下は測れない。
アナログ派としては測れない存在があるのだからそこにアナログが存在しうる、と主張するだろう。

しかし、技術が進めば「測りうる(able)」である以上、そのアナログはデジタルに飲まれる。
つまり測定技術の限界を取り払って考えれば、世界はデジタルに記述されうるんじゃないだろうか。
電子の存在確率のあたりでアナログに分がありそうな気がするけど、
その存在確率もデジタルに表現されうる気がする。

とまぁデジタルに記述出来そうな気がするんだけど、どうなんだろう。
絶対にアナログになる物とか存在するんだろうか?