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ヨッピーのアスペルガー症候群について

アスペルガー症候群という発達障害について書かせて頂いています。

ご質問への返答

2011-10-20 14:51:59 | 日記

ご質問

〇コミュニケーションの支援についてどのような形での支援の仕方が一番望ましいでしょうか。



ーわたし自身が人とコミュニケーションをとる場合に、

言葉の”聞き取りづらさ”があります。

学校での先生の言葉が聞き取りづらかったり、

また、聞き取ることができても意味が分からないときが、ときどきあります。

そのことで、一度耳鼻科へ行ったことがあるのですが、

聴力には問題はないとのことでした。

言葉の聞き取りづらさは、おそらくアスペルガー症候群という脳の方の特徴なのだと思います。

ですので、

(その人のタイプにもよりますが)アスペルガー症候群の場合、

わるぎはなく、先生の話が聞き取れていなかったり、意味を理解できていない場合がありますので、

もし分からなければ、ゆっくり説明してあげたり、2回説明してあげるなどの配慮があればいいなと思います。

わたしが学校生活をしていた頃には、先生の言葉を理解できていなくて怒られたことがしばしばありました。

また、「これ」、「あれ」、「それ」等の抽象的な概念が理解しづらいところがありますので、

できれば具体的なものの名前や場所を伝えてあげると、分かりやすくなると思います。

そして、本人の将来のことも見据えて、

”表情から相手の気持ちを推測する学びの場”があればいいなと思っています。

普通であれば社会生活の中で自然と覚えられることですが、

わたしの場合、表情から人の気持ちが分かるようになるまでに人よりも年月がかかっていたり、

今でもうまく表情や場の雰囲気を読めなくて、あとから気まずくなることがあります。

少し考えてみたのですが、

いろいろな方の顔と表情が写っている写真などを並べて見せて、

その人の思っていることや感情を当ててみるようなゲーム感覚で学べるようなものもいいのかもしれません。

実際におこなったことがないのでわかりませんが、決して無理のない範囲で楽しく学べるような形がいいなと思っています。



ご質問への返答

2011-10-18 07:47:36 | 日記

ご質問

〇子どもの頃、親への相談はできていたのでしょうか。


ーご質問ありがとうございます。
わたし自身が発達障害の診断を受けたのが22歳の時です。
それまでは、周囲との違和感は感じていたのですが、その違和感の正体が分かりませんでした。
小学校の高学年から中学、高校の生活では、主に人間関係などで悩んでいたのですが、
両親に相談しようという考えは不思議なことにありませんでした。

周りに対しての違和感やコミュニケーションの不得意な部分があったものの、
わたしの人生では、コミュニケーションがうまくとれないことが当たり前となってしまっていたため、
人間関係で悩んだり苦しんでいたわりには、
誰かに相談しようという発想は生まれませんでした。
ただ、大学を半年で中退し、引きこもりになった時に、
親に自分のつらさや、今まで孤独に耐えて学校に通っていたことを訴えました。
わたし自身が悩みながら学校生活を乗り越えてきたことを、
少しでも両親に知ってもらいたかったのだと思います。

”親への相談”と意味合いが少し異なるかもしれませんが、
わたしが”親に自分の気持ちを訴えた時”が引きこもり始めた時でしたので、
そのときに、親御さんの立場で考えると
まず、話を聴いてあげて「受けとめる」ことが大切だと考えています。

ご質問への返答

2011-10-10 10:57:08 | 日記

ご質問

〇過去に支援でかかわったアスペルガーの方は安定剤や痛み止めと常用していましたが、お薬についてどのような考えをお持ちですか。


ーご質問ありがとうございます。
わたしの周囲にも同じ診断名がついた方で薬を飲んでる方もいます。
そして、わたし自身は今のところは薬は飲んでいません。

薬を飲んでいる方に対しては、薬を飲むことによって生活が改善されるのであれば、それでいいと思いますし、
薬を飲んでいない方に対しては、薬を飲まなくても日常生活に問題がなければ、それでいいと思っています。

もし薬を飲んでいれば、飲んだ立場からどちらがいいかということをお伝えできると思うのですが、
わたしの今の状況ではどちらがいいのかは分かりません。
もしかすると薬を飲んだ方が生活が改善する可能性もある場合もあると思います。
答えになっていなくて申し訳ありません。
ただ、いろいろな方に相談することが一番いいと思います。
わたしの場合は、
発達障害を診断してくださったお医者さんと、当時通っていた作業所の先生、
そして障害者就業生活支援センターさんの職員さんに相談したりしています。

薬を飲むことに関しては、
飲んだ方がいいと助言してくださる方と、
飲まなくていいと助言してくださる方がいます。



ご質問への返答

2011-09-27 01:08:46 | 日記

ご質問

〇「言葉を話さない」の説明において「周囲に悪い環境を与える」かのような表現がありました。言い換えると「言葉を自分で話すことで、自分の立場や生きている安定感をなくしてしまう。自分自身の世界を壊してしまう予感・恐怖感」と考えても良いでしょうか。私自身、対人的な不全感が幼少時からあり、アスペルガースペクトラムの軸線上にいると感じています。同じ人間ではないので、同一の表現にはなりませんが、自分なりに整理したいのでよろしければ教えてください。


ー今では年齢とともにだいぶ慣れているのですが、子どもの頃は話すことに対しての恐怖感のようなものがありました。
自分にとって言葉を話す行為は、(表現が難しいのですが、)”呪文”を唱えるような感覚があり、自分が何かを話すごとに、どこかで土砂崩れが起こったり、何かが起こるのではという感覚がありました。
”自分の立場や生きている安定感をなくしてしまう。自分自身の世界を壊してしまう予感・恐怖感”ということと、きっと同じ感覚なのではと思います。

わたしが幼稚園か小学校1年生の頃に、家族で温泉に行ったことがあるのですが、
わたしは温泉の雰囲気が自分にとって奇妙に感じていたこともあり、
温泉に入りたくなかったのですが、なぜか”入りたくない”ということを、
”言葉に出せませんでした。”
両親はなぜ、わたしが温泉に入りたくないのか不思議に思っていたと思います。
温泉に入ること自体の奇妙な感覚と、言葉を話すこと自体の奇妙な感覚の二つがあったのではと思います。
たびたび似たような状況で話せないことがありました。

話は変わりますが、以前NHKのテレビ番組で、
自閉症についての特集があり、
その番組で自閉症の息子さんとそのお父さんが公園を歩いているシーンがありました。
(※息子さんは普段言葉は話さず、「絵カード」等で自分の想いを伝えています。)
その公園で、息子さんは急その場所にうずくまるようにしゃがみこみ、その場から動かなくなってしまいます。
そこでお父さんが息子さんに、理由を訪ねるのですが、自閉症をもっている息子さんから返事は返ってきません。
しばらく息子さんの気持ちが落ち着くまでその場に一緒にいるというシーンがありました。

その番組のシーンを観て思ったのですが、
自閉症を持っている息子さんは、言葉を話すこと自体に、
わたしと同じような奇妙な恐怖感のようなものがあり、
言葉を話せなかったのではと思いました。(※あくまでわたしが放送を見ていて感じたことです。)
自閉症の方は、わたしが持っている何倍もの恐怖感を持っているのではと、
ときどき思うことがあります。

わたしの場合小さい頃は、話すこと事態に奇妙な感覚があり、
ときどき自分の想いをはなせなかったことも何度かあったように思いますが、
今は普通に話すことができています。



ご質問への返答

2011-09-16 19:53:37 | 日記
ご質問

○多くの恐怖や不得意なことなど現在の社会のなかで生きづらさを毎日の
生活の中で感じることと思いますが、このような恐怖があったとき、
どのような方法で乗り越えるのですか。


ー”恐怖”について、
年齢とともにだいぶ慣れていき、
時間が勝手に解決してくれる部分があります。
気がついたら恐怖心を乗り越えていたという感じがしています。

小さい頃は、初めての場所や体験を恐がっていました。
幼稚園の入園前は、家族で海水浴に行ったときに、
砂の感触を恐がって砂浜に敷いたシートの上から一歩も降りなかったらしく、
また、温泉の独特の湯気が立ち込めている雰囲気も奇妙に感じられて、
恐がっていたように思います。

そして、今では子供のころにあった”恐さ”はだいぶ少なくなりました。
年齢とともに、(奇妙な感覚に)慣れてきて、自然と温泉や初めての場所にも行けるように
なっています。※ですが全く恐くないわけではなく、今でもやはり奇妙な感覚があります。

中学の時には、できなかったボーリングも、
いつの間にかできるようになりました。
カラオケの店内も中学生までは、奇妙で恐かったのですが、
高校3年生くらいからは、恐さにもだいぶ慣れて普通に歌えるようになっています。
やはり”慣れ”ていったのだと思います。


「不得意なこと」ですが、
職場での何気ない雑談の会話についていけなかったり、
仕事で指示された内容が度々聞き取れなかったり、
意味が分からなかったりします。
その場合は、なるべく聴きなおすようにしています。
また、聴きなおした方がいいかどうかという判断にも若干の時間がかかってしまうこともあります。