『韓流ドラマ』のようにいかぬ『“菅”流ドラマ』”。(「箸休め」より)〈No.183〉

2011年05月30日 | その他

◇・  24日(火)~26日(木)は、兵庫県は神戸市の湊川神社(みなとがわ-じんじゃ)の「楠公祭」でした。 25日は楠木正成公の命日に当たります。
◇・  25日(水)は、東京は湯島天満宮【旧称湯島神社】の天神祭でした。 458年に天之手力雄命(あめのたぢから-をのみこと)を祀る神社として創建され、 1355年に藤原道真を合祀(ごうし)されたそうです。
  ・  この日は、下弦の月でした。
◇・  26日(木)から台風2号の影響で雨天が続いています。 5月の台風は記憶にありませんし、況(ま)してや2号の台風が接近したなんて聞いたこともあり ません。 ここ三年間で本土へ台風が上陸したのは確か1~2本程度でなかったかと思います。 あまり想像したくもありませんが、今年辺りは大型台風が何本も上陸して来るのでは・・・。 心配です。


・社内
 ・  小さな物件の積算は大方片付きました。 しかし大きな物件の積算が入ってきました。

・現場
 ・  宇部市内の病院外壁改修その他の工事を急いで進めています。 足場の解体撤去作業を一日でも早く完了させて、お客様の外来駐車場への駐車を少しでも支障のないようにするためです。

・その他
 ・  花壇は「エスコルチア」が咲いていますが、チューリップは球根を掘り起こさずにそのままになっています。 早くしなくてはと思っているのですが・・・。 29日(日)は雨なので作業を諦めました。

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エスコルチア

               編集は村上でした

  箸休め 
 近頃、妻は知り合いから借りた『韓流ドラマ』のDVDを合間をみては観賞しています。 知り合いの方の話によると、韓流ドラマは途中から筋書きが頻繁に変更となり、その影響で毎回の撮影完了が放送日直前になることは度々で、脚本家や俳優さんの方々は苦労されているそうです。 ドラマの放映で主人公が悲惨な目に合わされたり危険に曝(さら)されたりすると、視聴者からテレビ局へ苦情が殺到し、その度に筋書きの変更を迫られるとのこと。 そのために、なかなか番組を終わらすことができず、長寿ドラマ番組となることが多いそうです。 最終的に全ての番組は「めでたし、めでたし」で終わるとのこと。 全員が納得する終わり方ならば「それも良し。」でしょう。
 一方、我国では視聴者である国民に受けようと思い付きの発言や行動を繰り返し筋書きの全く読めない御仁もいらっしゃいます。 行政権の長である方が、震災直後の首相官邸を離れ自らが現地視察を行なったり、静岡県は浜岡原発の電力がなくなった場合の影響を検討もせずに突然運転中止要請したりで、それこそ“想定外”の言動が多くみられます。 ドラマなら単に面白いで済まされますが、政(まつりごと)はそうはいきません。 この『菅(韓)流ドラマ』は長寿番組ならぬ長期政権になるのでしょうか? しかし、最後は「めでたし、めでたし」で飾れそうもないようですが・・・。
  人の心を打つ映画などは優れた監督・脚本家・俳優さんなどの大勢の努力の積み上げと素晴らしい筋書きで完成されるもの。 思い付きの筋書きの台本と、役者経験がない上に演技が未熟な「大根役者」では素晴らしい映画はできないのも当然ですが・・・。
 


「喜び」と「悲しみ」。 同じ被災地での“明暗”。(「箸休め」より)〈No.182〉

2011年05月23日 | その他

◇・  17日(火)は、栃木県は日光東照宮の春季大祭でした。
◇・  18日(水)は、「国際善意デー」でした。
◇・   19日(木)は、奈良県は唐招提寺の「うちわまき」の名前で知られている法要梵網会(ほうよう-ぼんもうえ)が営まれました。
◇・  20日(金)から22日(土)までの三日間を予定されていた静岡県は下田市の「黒船祭」は中止となりました。
◇・   21日(土)は、「小満(しょうまん)」でした。 麦畑が緑黄色に色付き始める時季と言われています。 その麦畑も最近は見掛けなくなりましたね。

・社内
 ・  当社が建てさせて頂いた宇部市内の病院のお客様より、外壁改修及び防水改修の工事の依頼を頂きました。
 ・  大小の物件の積算が10程度あり、あたふたと業務を熟(こな)しています。

・現場
 ・  19日(木)より、宇部市内の病院外壁改修その他の工事に着工しました。

・その他
 ・  15日(日)、(社)山口県建築士会 平成23年度 通常総会が今年は下松市の「スターピアくだまつ」で開催されました。 私は小野田支部の副支部長として参加してきました。
 ・  18日(水)、健康診断で山口市の総合健康センターに行ってきました。 近頃、腹周りが気になっていましたが、予想通り計測係りの女性に平均より4㎝多いと言われました。 そんなことは判っています!
 ・   タイル貼り替え工事をさせて頂いた市内小学校の中庭に「ヤマモモ」があります。 その「ヤマモモ」の小枝が取れた箇所の枝内部が空洞になっていました。 穴の向こう側は異次元の空間へ繋(つな)がっているような想像をさせられました。  

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               編集は村上でした

  箸休め 
 警察庁がまとめた東日本大震災の被害者数が、新聞一面の片隅に小さく掲載されています。 亡くなられた方の人数・行方不明の方の人数・避難者の方の人数が毎日のように報告されています。 死者数は日を追うごとに増え、4月の中旬にはとうとう行方不明者数と逆転してしまいました。 今では死者数は1万5千人を越えてしまい、行方不明者数は9千人足らずまで減ってきました。 避難者数も減ってきていますが、これは避難所生活から抜け出されたことを意味しているので喜ばしいことです。
  一方、行方不明者数が減り死者数が増えたということは、家族の生存を信じて探しておられた方々の微かな望みをも奪い去ったということです。 さぞ無念であろうと思うだけでも胸が痛みます。
  しかし、亡くなられた方の人数は毎日増え続けていますが、行方不明者の方の人数はそれ以上に減ってきています。 と言うことは、行方の判明した方々がおられるということです。 家族の死を心の中で受け入れていた方や、生存を信じて探しておられた方には、この上ない喜びであったことは言うまでもありません。 まだ9千人足らずの方々が行方不明のままですが、叶(かな)うことなら全員の方の生命(いのち)が救われることを願わずにはおれません。  家族の死に直面して悲しみから立ち上がることのできない人たちがいる反面、家族の生存が確認でき再会を果たして喜びに湧く人たちもいます。 同じ被災地での、この明暗を別(わ)ける情景には耐え難いところがあります。
 震災の心の傷跡が昔の記憶となるのはいつのことでしょうか・・・。
 


復帰後も変わらぬ防衛上の要、『沖縄』。その地での忘れがたい“想い出”。(「箸休め」より)〈No.181〉

2011年05月16日 | その他

◇・  10日(火)は、旧の潅仏会(かんぶつえ)でしたので、旧の「花まつり」でもありました。
  ・  この日から、「愛鳥週間」でした。
◇・  11日(水)は、岐阜県の「長良川鵜飼開き」の日でした。 1300年以上の歴史があるそうです。
  ・  この日は上弦の月でした。
◇・  12日(木)は、「看護の日」でした。 フローレンス・ナイチンゲールの誕生日のこの日は「国際ナースデー」でもあります。
  ・  この日は、「海上保安の日」でもありました。【関連記事72号 12日の欄】
◇・  14日(土)から16日(月)は、島根県は出雲大社の大例祭でした。
  ・  奈良県は當(当)麻寺の練供養会式でした
◇・  15日(日)は、「沖縄本土復帰記念日」でした。 【関連記事16号】 今年は沖縄が本土に復帰して39年目にあたります。
  ・  京都の「葵祭(古くは賀茂祭と称した)」でした。 平安時代からのお祭りです。

・社内
 ・  9日(月)は、協力業者さんと合同の安全パトロールでした。
 ・  この日の夕刻から、協力業者会(長友会)の役員会でした。 7月の安全大会などの下話を協議しました。

・現場
 ・  市内の工場内プラント増設工事の作業所は二つ目のタンク基礎の工事に着工しました。

・その他
 ・  10日(火)から12日(木)に掛けては、山口県の5月の雨としては観測史上初めての300mmを越える大雨でした。
 ・   本社敷地内に僅かですが「バーベナ」・「アリッサム」が咲いていました。

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バーベナ
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アリッサム

               編集は村上でした

  箸休め 
 15日は、「沖縄本土復帰記念日」でした。 第二次世界大戦に敗れ、1951年に署名された日本国との平和条約で沖縄は米国の施政権下に置かれるものとされ、1952年の4月28日に条約は発効しました。 その後、佐藤栄作元総理とリチャード・ニクソン元米国大統領によって、1972年(昭和47年)の5月15日に日本へ復帰することができました。
 学生時代の沖縄の友人たちは、入学試験時にはまだパスポートが必要な状態であり、入学後に日本への復帰となりました。
 在学中に一度だけ復帰後の沖縄へ行ったことがあります。 当時、応援団員だった私は同じ団員の同級生と一緒に、同じく団員の同級生の実家へ遊びに行きました。 知らせをせずに訪ねたので、電話を掛けたところ彼は不在でした。
  一緒に行った友人は、沖縄へ何度も行ったことのある『沖縄通』でしたので、不安はありませんでした。 夜に沖縄の友人と会え、寝る処は確保でき一安心。
 宿(やど)を取っていなかったので大変なことになるところでした。
  沖縄が初めての私は、昼間に色々と驚くことを体験しました。 麺類が食べたくなった私は『チャンポン』を注文したところ、出されたのは中華丼のようなものでした。 次の食事では『蕎麦(そば)』のつもりで、『そば』を注文したところ、今度はラーメン【ソーキそばのこと】のようなものを出されて、またまた驚いてしまいました。
 夜の友人宅では、沖縄料理の馳走(ちそう)と泡盛を満喫させてもらいました。
 翌日は沖縄案内で各所を巡りましたが、サトウキビ畑ではキビにかぶりつき、灰汁(あく)の強い甘味を味わいました。 花緑青色の海では、水族館にいるような鮮やかな色の熱帯魚の、澄みわたった海中を泳ぐ姿が観て取れました。
 正直なところ、この魚を刺身に出されたら、いくら刺身好きの私といえども相伴(しょうばん)にあずかるのは御免蒙(ごめん-こうむ)りたいものでした。  夜になり街へ繰り出して、そこで『オリオン・ビール』を飲みましたが、いつもの馴染みあるビールとは少し違っていました。 味はまずまず・・・。 女性は目が大きく二重(ふたえ)の女(ひと)が多かったように記憶しています。
 沖縄の旅は、楽しい学生時代の想い出の一つです。
 


『憲法記念日』にして思う。国を尊び、国民としての誇りを持てる崇高な憲法を・・・。(「箸休め」より)〈

2011年05月09日 | その他

◇・  2日(月)は、八十八夜でした。 この日は立春から数えて88日目にあたりますが、この日に摘(つ)んだ“お茶”は上等品とされ、この日に茶を飲むと長生きするといわれています。
◇・  3日(火)は、「憲法記念日」でした。 日本国憲法の施行(しこう・せこう)を記念したものです。 公布日は11月3日で「文化の日」になっています。
  ・  この日と翌日の4日(水)にかけて、福岡では「博多どんたく」が開催されました。 日本で初めての人工港である「袖の湊」の造営をした平重盛が、治承3年(1179年)に病死したため、感謝を表すために行なわれた「博多松囃子(はかた-まつばやし)」が始まりだと言われています。
  ・  この日は、京都は伏見稲荷大社の「稲荷祭【還幸祭(かんこうさい】」でした。  この大社は、お稲荷さんの総本宮で1,300年の歴史があります。
◇・  4日(水)は、「みどりの日」でした。
◇・  5日(木)は、端午の節句の「こどもの日」でありました。
◇・  6日(金)は、立夏でした。
◇・  8日(日)は、「母の日」でした。 二人の娘は連休で5日まで帰省していました。 上の娘(こ)は勤めているので、妻に一足早い「母の日」の贈り物をしていました。 妻は母に贈るため、カーネーションを買い求めていました。 その点、男親はなにもしてもらえないですね・・・。
  ・  この日は、「国際赤十字デー」でした。 赤十字の創設者であるスイスのアンリ-デュナンの誕生日を記念してこの日を定めたとのこと。 赤十字の印は彼の祖国であるスイスに敬意を表してスイス国旗を反対にしたそうです。


・社内
 ・  7日(土)は、住宅改造の件でお客様と打合せをさせて頂きました。

・現場
 ・  連休中の各作業所は工事を中止していました。
 ・  市内の解体工事の作業所は道路側の解体作業が完了したので、大型機械を搬入できるようになりましたので、工事が捗(はかど)るでしょう。

・その他
 ・  本社の国旗掲揚台横のソテツは、果肉が落ちて種が剥き出しになっています。
 ・  「エスコルチア」が花を付けました。
 ・  私好みの「ハッピーゼネレーション」が一輪だけ咲きました。
 ・  本社前の歩道のサツキは満開です。
 ・  4日(水)は、久し振りに花壇の草抜きをしました。
 ・  6日(金)の夕刻、欅(けやき)下の花壇の草抜きをしました。 若い社員が途中より手伝ってくれました。 広場の草刈りも、ぼちぼちとしなくては・・・。

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ソテツ
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エスコルチア
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ハッピージェネレーション
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サツキ

               編集は村上でした

  箸休め 
 3日(火)は、「憲法記念日」でしたが、毎年この時期になると、憲法改正を訴える改憲派と、憲法改正を望まない護憲派の議論が活発となってきます。
 先(ま)ず大切なことと言えば、それは日本国憲法は日本人に依(よ)って立案・制定されたものであることと思っています。
 現憲法は連合国軍の総司令部民政局が憲法草案を作成し、マッカーサーが一部修正を指示したGHQ原案が日本政府に提示され、これを基に日本国憲法は 公布・施行されました。 連合国軍が立案したものを、いつまでも日本国憲法であると崇(あが)めていること自体が滑稽(こっけい)な話である。 憲法の内容は二の次にして考えてみても、憲法を日本人の手で立案することが先決であると思います。 そのためにも、一度は国民が考え納得したものを立案して、その結果として内容が現憲法と一緒になったのであれば致(いた)し方ないでしょう。 家訓や社訓を他人(ひと)から押し付けられて、平気であるような自尊心のない人はいないでしょう。 これと同様のことを憲法についても言えると思いますので、依って憲法の改正が必要と考えています。
 「憲法」とは『国の理念』を示したものと考えていますので、現憲法は内容についても改正する必要があると、私は思っています。
 いずれにしても、国を尊び日本人としての誇りを持って、そして崇高にして世界に誇れる憲法の立案・制定のされることを願っています。
 


有事に耐えられないことが実証された、我国の海上輸送能力。(「箸休め」より)〈No.179〉

2011年05月02日 | その他

◇・  25日(月)は、下弦の月でした。
◇・  27日(水)は、長崎の開港記念日でした。
◇・  28日(木)は、「サンフランシスコ平和条約発効記念日」でした。 平和条約の正式名は「日本国との平和条約」といいます。
◇・  29日(金)は、「昭和の日」でした。 124代天皇(昭和天皇)の誕生日を記念した日です。 【関連記事 14号・70号  29日の欄】
  ・  この日、英国のウィリアム王子とキャサリン・ミドルトンさんの結婚式がウ ェストミンスター寺院で行なわれました。 おめでとうございます。
◇・  1日(日)から一週間は「憲法週間」です。

・社内
 ・  設計部では什器(じゅうき)の移動などを行ない、部屋の模様替えをしていました。

・現場
 ・  25日(月)、市内の工場内プラント工事の大型タンク基礎の配筋(鉄筋を組み立てる)検査でした。 無事に合格しました。
 翌日の26日(火)は、この基礎のコンクリート打設でした。 コンクリートの立米(りゅうべい)【?】数が何百立米もあるので朝からの打設となりました。  
  天候に恵まれて無事に打設完了しました。

・その他
  ・  27日(水)の18時00分から山口県建築士会小野田支部の理事会がありました。
  ・  お客様の会社広場で「ハクセキレイ」を見掛けました。

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ハクセキレイ

               編集は村上でした

  箸休め 
 この度の東日本大震災により、高速道路や幹線道路が寸断されたために、自衛隊は部隊を海上輸送で被災地へ送り込むことにしました。 しかし、海上自衛隊の大型輸送艦は広島県呉基地の、護衛艦隊隷下の第1輸送隊に配備されている「くにさき」・「しもきた」・「おおすみ」の3隻しかありません。 それなのに震災時には1隻は修理中で、もう1隻は災害訓練に参加するためにインド洋沖を航行しており、結局は震災の救援に投入できた海自の艦船は1隻だけでした。 そこで急遽(きゅうきょ)、民間フェリーへ借り上げ要請をしたが、フェリー会社の各社は高速道路の休日1,000円などの影響により、航路廃止などで船舶数に余裕のない状態でした。 幸いにも津波警報が発令されていたために定期便の運行を中止しており、辛うじてフェリーを確保できました。
 私はブログの105号で高速道路の無償化などにより、有事の際に大切な海運業界の衰退を招いてはならぬと訴えてきましたが、この度の震災でその危惧の念を抱いていたことが正に現実のものとなりました。
 またブログの143号では、南西諸島などの離島の防衛や住民避難について述べました。 離島防衛には海自の輸送艦が不可欠で、また離島住民避難には民間船舶の利用が考えられ、海運業界の協力が必要となってきます。
 ここでもう一度訴えますが、海運業界の衰退は防がなくてはなりません。  そのためには、高速道路の休日の1,000円や無償化を中止すべきです。 高速道路は早く目的地に到達したい者が、『時間』と交換に料金という代価を支払うものです。 またこの度は震災で寸断されましたが、有事の際の輸送路として高速道路も重要な役割を果たします。 無償化などをすれば一般車両が増加して高速道路の役目を果たさなくなります。
 いずれにせよ海洋国家の我国は、海上自衛隊や海運業界の増強を怠ってはならないと考えています。 今回の『東日本大震災』のような有事に対処できるように備えをしておくべきでは・・・。