
やっと今日AERAを手にしました テキストはもう胸がいっぱいで

読んでいると色んな思いや情景が浮かんできて とても泣けてきました

ジャニーさんや蜷川さんに込められた亀ちゃんの想い

心が揺さぶられました
そして蜷川実花さんとのコラボ それはまさに「圧巻」の一言に尽きます
※エンタメ記事にもupされてました
亀梨和也 二人の恩師がつないだ5年ぶりの舞台 せりふを覚えず向き合った新しい自分とは
亀梨和也さん5年ぶりの主演舞台となる、「迷子の時間 ─語る室2020─」が11月7日から開幕する。
演出家と話し合い、あえてせりふを覚えず、稽古初日を迎えた。AERA 2020年11月9日号から。
* * *
舞台「迷子の時間 ─語る室2020─」は、前川知大の作・演出による、過去と現在、未来が複雑に絡み合う、謎に満ちた物語だ。
亀梨にとって初めてのストレートプレイであり、故・蜷川幸雄演出の音楽劇「青い種子は太陽のなかにある」(2015年)以来、
5年ぶりの舞台になる。取材したこの日は稽古4日目にあたった。
亀梨和也(以下、亀梨):5年前の蜷川さんの舞台は、「みんな稽古初日までに台本を完璧に覚えてくる」みたいな噂を聞いて、
初日前に共演者と本読みをしたり、万全の備えをして稽古を迎えたんです。
でも、今回、前川さんには「全然覚えてこなくていいです。準備しすぎて硬くなっちゃうのも嫌なんで」
「ゆっくり作り上げていきましょう」と言われて。「わかりました」と答えたものの、
せりふを覚えない、準備をしないって、やっぱり怖いですね。
ちょうど立ち稽古が始まったんですけど、せりふを覚えていないって、つらいんですよ。
すごい“渇き”が出てくるんです。お芝居しているときに「こう動きたいな」と思っているのに、それができない。
一言一言台本を見て、大リーグボール養成ギプスじゃないけど、自分の動きではない動きを入れないといけない。
そこにどんな効果があるのかはわからないし、プラスなのかマイナスなのかもわからないですけれど。
■いまを漂ってみる
過度な準備をせず、稽古をしながら脚本の解釈を試していく、という工程は、今回の舞台でのチャレンジでもある。
亀梨:前川さんは、稽古前にみんなに「うまくやろうとしないでほしい」とおっしゃっていて。
稽古初日はありえないくらいバタバタして、我ながら「下手くそだな」と思いました。
下手だからうまくやろうとしちゃうし、技を入れたくなるんですよね。
ジタバタして、自分の情けなさや足りなさを知って、がっかりして稽古を終えるというのは、僕にとって新しい経験です。
この仕事を始めてからの僕は、失敗して恥をかくことを回避するために、
本能的に多くの時間を割いて準備してきたと思うんです。
だって、ちゃんとしていたいし、カッコつけていたいじゃないですか。
だけど、今回の稽古ではあえて準備せずに飛び込んでみよう、と。
まさに「迷子の時間」にいますけど、迷走しているわけじゃない。
「ここに行ってみようかな」「あそこに行ってみようかな」と、寄り道したり、直感で進んだりしている。
どこにたどり着くかわからない状態ですけど、出口に向かって道を進んでいる感覚だけはあります。
前川さんは、「本番初日にベストでいられればいい」とおっしゃっていました。
僕は「今日、試合できます」はいらない、と解釈して、初日に間に合わせるというのは自分を信じてあげて、
いまの時間を漂ってみるのもいいかなあと思っています。
先日、(松岡)広大は「座長に合わせますよ!」と言っていたのに、速攻でせりふを覚えてきていて、
僕も3日後には完璧にせりふを覚え始めるかもしれませんけど(笑)。
初主演舞台は、故・ジャニー喜多川が手掛けた「DREAM BOYS」だった。
05年から12年まで主人公のボクサーを演じ、後輩にバトンを渡した。
亀梨:10代から座長としてジャニー喜多川の舞台に立たせてもらったことは、僕の中で一番大きな経験です。
先輩から受け継いだ役をいずれ自分も後輩に渡していきたいなとも思っていました。
一方で、(堂本)光一君や滝沢(秀明)君がジャニーさんと舞台を作っているのを見てきて、
帝国劇場で主役として立たせてもらって10年という時間を過ごすうちに、心のどこかで疑問を抱くようになったんです。
まず、ジャニー喜多川作・演出の舞台で、作品と向き合う熱量やクオリティーも含めて、
光一君を超えられる気が1ミリも感じられない自分がいました。もちろん、僕も舞台に対して全力でぶつかっていたし、
誰かを超えるためにやってきたわけでもなかったけど、そう感じた瞬間があったんです。
同時に、外の世界を見たほうがいいのではと思う自分がいた。
環境に対して不満はなかったし、とても誇りに思っていたけど、だからこそ「このままでいいのか?」と自問自答しました。
それで、区切りをつけさせてもらうことになったんです。
でも、ジャニーさんにとっては、納得のいかない部分があったんだと思います。
しばらく、距離がつめられない時期が続きました。
■縁をつないでくれた
先述の故・蜷川演出の舞台「青い種子~」に挑んだのは、その3年後だ。
亀梨:僕の中で、外の方と組む1発目は蜷川さん以外考えられませんでした。
10代で梅田芸術劇場で「DREAM BOYS」に出ていた頃、下の階のシアター・ドラマシティで蜷川さんも公演中で、
「YOU、ちょっと一緒に行こうよ」とジャニーさんに連れられて、挨拶させていただいたことがありました。
その時に蜷川さんが「亀梨君、早く僕と一緒に仕事しようよ」と言ってくださって、
ジャニーさんは「亀はダメだよ。YOUには渡さないよ」と返して、そのやりとりがすごく印象に残っていたんです。
「青い種子~」の稽古中、蜷川さんと「最近ジャニーと話してるのか?」
「こういういきさつがあって、ちょっと距離ができてしまったんです」という話になったことがあります。
そしたら、たぶん蜷川さん経由だと思うんですけど、ジャニーさんがゲネプロをこっそり見に来たんですよ。
その夜に久々に電話をくれて、「YOU、めちゃくちゃ良かったじゃない」と褒めてくれた。
ゲネプロ中はジャニーさんの姿は見えなかったし、いるとも思っていなかったから、もうびっくりして。
のちにジャニーさんの病室で、キンプリ(King&Prince)の子たちから
「僕ら、亀梨君の舞台を観に行かせてもらったことがあるんです」って言われて、それが「青い種子~」だったんです。
「ジャニーさんに『絶対観に行け』って言われた」って。ジャニーさん、
僕には全然そんなそぶりを見せなかったけど、後輩への橋渡しをしてくれていたんです。
二人の恩人について語るとき、丁寧に言葉を探した。
亀梨:もしいま、お二人がご存命だったら、僕はきっと「もう一度、一緒にやりたい」と言っていたと思うんです。
いまもそういう思いが自分の中にあるので。でも、お二人はもうこの世にはいらっしゃらないけれど、
こうして前川さんと出会わせてもらえたことが、大きな意味を持っているように感じています。
新しいことに挑戦できていることが自分にとっても大きな一歩ですし、
こういう環境を作ってくれた周りの人たちにも感謝して、公演初日を迎えたいですね。
(編集部・藤井直樹)
※AERA 2020年11月9日号

ESSEも久しぶりに買った!!\(^o^)/
ステイホーム中 亀ちゃん レースカーテンを初めての手洗いしたんだね

あたしもレースカーテン手洗いするよ! 気持ちいいよね
なになに・・・最近は模様替えしたい欲と あたしも定期的にやってくるかなぁ
亀ちゃん以外のページもあたしの興味あること色々だった~
明日は超久しぶりにヤマメに愛に行こうかと思ってま~す!
最後まで読んでくださって☆⌒(*^∇゜)v ありがとう!
よろしければ今日の記事読んだよ~って クリックいただけたら\(*^▽^*)/~♪嬉しいです

また遊びにいらして下さいね。。。
今日も楽しい一日でありますように。。。