プラユキ・ナラテボー師 「よき縁ネット」

タイの日本人僧侶プラユキ師の公式サポートブログです 師の活動をサポートし、瞑想や仏法を学ぶ人をサポートしていきます

サンガジャパン Vol.13

2013-03-14 | 出版情報




「サンガジャパン Vol.13」(発売日3月25日)

特集「言葉と仏教」で、「たかが言葉、されど言葉」をテーマに、
二段20ページほどになる長文を執筆されました。
ラベリングなど言葉を使用した瞑想に対する洞察から、
「口の四善業」にもとづいた、日常での会話や思考における言葉の扱い方まで、
ブッダの教えを通して言葉をポジティブに活かす智恵を、私たちに語りかけます。
ぜひ、手に取ってお読みください。


以下、サンガニュースレターから雑誌紹介の転記になります。
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〔1:新刊情報〕
『サンガジャパン Vol.13』
発売日:2013年3月25日
サンガジャパン編集部 [編]
定価:本体1800円+税
ISBN978-4-905425-46-5 C0015
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■特集「言語と仏教」
橋爪大三郎、プラユキ・ナラテボー、ネルケ無方、石飛道子、
藤本晃、師茂樹、中村圭志、ティク・ナット・ハン

■連載
アルボムッレ・スマナサーラ、田口ランディ×本多弘之、藤本晃

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仏教にとって言語とは何か?

仏教は、約二六〇〇年前にゴータマ・ブッダが悟りをひらいたことによって始まった。
そして、仏道を学ぶ者なら誰しも、その悟りを目指して道を歩む。
しかし、ブッダが悟りをひらいたという「体験」そのものは、
私たちもまたブッダと同様に悟りをひらくまで共有することはできない。
にもかかわらず悟りを目指し努力をするためには、自らがまだその「悟り」を体験してはいないが、
それが目指されるべき素晴らしいものであると理解できる必要がある。
だが、先にも述べたようにブッダの悟りの体験を(私たちがブッダ同様に悟りをひらくまでは)
共有できない以上、その体験は言葉によって伝えられるしかない。
そこには当然、体験そのものとの間に乖離が生じ、多くの解釈が生まれる余地がある。
そして、そこからいくつもの宗派が生じる。
果たして私たちはそのような言葉によって生じる齟齬を乗り越えることは可能なのであろうか?
そのような問題意識から、今号では、「言語と仏教」というテーマに
多様な角度から肉薄することを試みてみた。
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