いぶり文芸 第6集・冊子の香りに懐かしさ・

2012-06-22 13:01:59 | 家族&釜石
いま、手元にある「胆振芸術祭実効委員会発行「いぶり文芸」第6集」 昭和51年のだから、36年前の文芸冊子。「贈 吉弘君  母51、5」この年5月に、室蘭から当時私が住んでいた習志野へ送られてきたもの。その中から・・・。 

<俳句> 室蘭 磯崎咲子

桜散る 寺静かなり 一周忌

おくつきに 椿残れり 一周忌

逮捕の灯 ゆれて卯月の 影おぼろ/font>

「逮夜(たいや)の灯」が、正しい。コメント欄に詳細。



<短歌> 室蘭 磯崎咲子

” みちのくの旅より ”
   
   仙台市船岡城址にて

胸をはり 天にとどけと そびえたつ 
       船岡城の 樅の木あわれ
 
さしみより 骨多からん この魚 
       夫の獲物なれば 包丁をとぐ

ものすべて 静まりかえり そろばんの 
       音ひそめつつ 記帳しおわる


※これを読んだ、息子の解説です。

「・・・一周忌」 
父は享年83歳で釜石の病院で死去。母は70位後半。「お父さんとの最後のお別れの時は、みんなの前で、接吻して送ってあげる」と生前から言っていた通り。ゆったりと堂々?と、安らかな振る舞いでした。

「逮捕の灯・・・」 
満州チチハルで敗戦濃厚の頃、母がひとりで、兵隊官舎で過ごしていた夜の句です。寒い部屋の中にいつも灯していた炎が、風もないのに揺れたことがあったそうです。父実が、ソ連軍に逮捕された一瞬で、二人だけに通じる何かを抱いたのだと言います。敗戦の満州で体験した怖い、寒い句ですね。

「樅の木は残った」というドラマがありましたね。

「さしみより・・・」
室蘭時代の一句。父は釣りが趣味で、休みなると釣り仲間“輪西釣友会”の旗を持って、噴火湾へよく出かけたいた。行くたびに大漁ばかりじゃないこの日の”釣果”を、ユーモラスに、微笑ましく捉えてますね。釣りから帰ってきた夫をお風呂に入れて、少ない小さな獲物のために包丁を研いでいる、そんな平和な姿です。

「ものすべて・・・」
これも室蘭・輪西・5条山の上“鉄源社宅“時代のもの。
狭い社宅に6人家族。寝静まった夜に、母は書き物をしたり、裁縫だったり毎晩夜なべをしていた。生命保険の外交をやっていたのもこの頃。育ち盛りの子供4人を抱えて、そろばんは手放せなかった時代でした。そんななかでも、子供たちの中学・高校野球の試合やマラソン大会などには、カメラを持って現場へ出かけてくるんです。

いぶり文芸の活字を追いながら、
          父・母を想う。



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
妹~正誤指摘 (いそざき吉弘)
2012-07-07 17:28:40
札幌に住む妹から「母の言葉の代筆者より」という手紙が。“逮捕の灯”と書いてますが“逮夜の灯”が正しいものと思われます。「逮夜・たいや」は、仏教で火葬の前夜又は、命日忌日の前夜のことを言うのだそうで、お母さんはよく”お逮夜”と私に聞かせていました。一周忌なので命日の前夜のことでしょう。卯月は、四月の別称なので、お父さんの父、磯崎徳冶さんのときのようです。昭和49年4月30日、一周忌のことは「曲水」(母の自作句集)に書かれています。
以上、ツイートするには、長文になるのでと便せん3枚にわたる手紙です。
上の間違って「逮”捕”の灯」としてしまったのは、間違いでした。ですが、息子の解説なある話は、生まれたばかりの長男と過ごしした満州のろうそくの噺は、わたしが聞いた話でついうっかりと、混同したものでした、ごめんなさい。
とにかく、妹の手紙にもありましたが、「俳句や短歌を日常の暮らしの中で楽しみ、そして苦しい時には、書くことで気持ちをやわらげていたお母さんでしたね」と。そして、「それは、私たちが今、お母さんの足跡をこのように知ることが出来るように、書き残していく大切さも感じています」
「どんなに親しい人、夫婦でも、きちんと口に出して伝えることの大切さを
思います」
「少しでも、この先、自分自身のためにも書き続けていきたいと思います」
同感!!
小生、これから書くときは、少しゆっくりと正確さを期していきます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。