ペコのひとりごと・・・。

嬉しい事も、愚痴も、泣きも、ぜ~んぶその時々の本当の私です。。。

私の場合・・・

2005年04月04日 09時55分44秒 | Weblog
ずっと、自分の中で整理しきれずにいた『事実』があります。
もう、、、10数年前の出来事です。



『離婚』・・・。

少し前に、いつもお世話になっているくろさんの“決断の春、、、”と云う記事を読んで
ふと、“今”振り返ってみようかな・・・と思いました。

一部、以前に書いた事があるかもしれませんが・・・。


私達は知り合って最初の数年間は特別な感情はありませんでした。
彼(元夫)には結婚を決めた彼女が居たし、
私にも初めての彼が居たし。

彼は一人っ子、私は2人姉妹の長女。
お兄さんと妹のような存在だったと思います。


いつからだったろ・・・気になり始めたのは・・・。

お兄さん達はチョット込み入った事情で結婚を取りやめました。
私は相手の(宗教的な)強引さから逃げました。

そんな時、お互いが近くにいた。。。
カッコよく言葉にすると、、、『運命』だったのかもね。


たまたま、私と知り合う前に私の父が彼を知っていて
結婚取りやめについても浅くではありますが、知っていました。
そのことと、彼が『母ひとり、子ひとり』と云う環境から
私達の交際は大反対され・・・。


大袈裟ではなく、この数年間は闘いでした。


叔母は見かねて占い師に相談に行ってくれました。
占いの結果は・・・
『この娘が小さなカバンを両手に持ち家を出て行く』
『でも、こんな形で結婚した相手は家に帰ってこない』
こんなでした。

この結果に慌てたかのように開かれた“親族会議”(それこそ大袈裟ですね)
元々、認める気の無かった父は私に『親子の縁を切る』と言いましたっけ。
私は『それしかないなら、仕方ない。』と言わざるを得なかった。





色んな事が、たくさんありました。




結局、この『反対』が結婚したあとの“嫁姑関係”の
どこにでもある確執に油となって注がれてしまったのですが・・・^^;


元夫はとても優しい人でした。
こんな私のことをたくさん愛してくれました。
反対されて、私の母にどれだけ意地の悪い事を言われても、
待っていてくれました。

私も大好きでした。
歌がとても上手くて(チャゲあすも演歌調にするくらい 笑)
何をするのもどんな時も彼でなきゃダメでした (照)



こんな私達だったのに。。。

あんなことやこんなことが積もり積もって・・・。



『理由』なんてたくさんあるようで、結局はひとつなんでしょうね。
でも、結婚の『形』が人それぞれ千差万別なように
離婚の『形』も然りです。

私の離婚は、、、義母が第一で次に元夫が満足でした。
私自身は不満どころか納得できず。
でも、毎日毎日、3歳の長女と生まれたばかりの次女の育児をしながらの
説得には相当の忍耐と体力と我慢も必要でした。

最後は疲れちゃったのかな・・・
魔が差したというか・・・
どうでもよくなってしまった一瞬だったような気がします。


数年間は引きずっていましたよ。
私、トコトン想い込んでしまう性質ですからね...
やっと、やっと、吹っ切れてからは
私とは他人でも子供たちのパパには変わりないって思えるようになって
1~2年に一度(子供絡みで)の電話も楽しくお話できるようになりました。
去年、長女が高校に合格した時に電話したから
次は再来年のダブル受験後の結果報告かな。





☆たったコレだけ書くのに何日もかかってしまいました。
 思い出して懐かしかった事、泣きたくなった事、後悔、、、。
 もっともっと細かく吐き出したくなっちゃったけれど
 ここではこの辺で。。。

追伸:くろさん、突然ごめんなさいね~


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