のびのびのぶログ

水彩画や好きな音楽について語ります。なんでも伸び伸びと書いていきます。でも忙しくて更新が延び延びになるかも。

誇り高く、平らに生きよ。

2014年04月03日 22時33分35秒 | 日記
 毎回その道のプロの仕事を追う人気番組を私は、好きで録画している。今回は、和食料理人の中東久雄さん。中東さんが料理人として独立しようとした時、師である14歳年上の兄が残した言葉は、「誇り高く、平らに生きよ。」であった。中東さんはその中の「平らに生きよ」の意味がなかなか分からなかった。今では、三ツ星レストランのシェフをもうならせる名店を構える彼だが、「平らに生きよ」の意味が様々な挫折を通じて次第に分かってきたのである。
 私も、この言葉に感銘を受けた人の一人である。まさに今の境地「誇り高く、平らに生きよ。」である。
 この年になって初めて自分がどんな人間であるかが分かってきた。私は決して人の上に立つような人間ではないのである。原点を見失うことなく平らに生きる。しかし決して誇りだけは失うまい。

 自分ぐらいの年齢になると、周囲は、だいぶ管理職という人たちになってきた。私は、経済学部卒なので、友人は経済界が多い。大学時代に同じ下宿で毎日語り合ったK君の年賀状には、「社長になりました。」と書いてあった。彼も盛岡で頑張っているのだろう。また、一つ後輩のG君は、仙台でテレビ局の支社長だそうだ。さらには、小学校の時の同級生のW君は、小学校の校長先生になった。みんな出世したもんだ。
 みんな素晴らしい人間。彼らをとても尊敬する。ある意味で彼らも「誇り高く、平らに生き」ているのではないだろうか。思えば、私が尊敬する人々は皆、誇り高く、平らに生きた人たちである。すばらしい人たちは皆そうであることに今、はっと気づいた。人は、人に頭を下げても、地位に頭は下げない。もっと言うなら形上は頭を下げても心の頭は下げない。私が本当に頭を下げたくなるのは、思えば誇り高く平らに生きている人たちだった。今、私なりにこの言葉噛み締めている。
 
 ところで、私には、もともと「職人気質」なるものがある。祖父は、畳職人。祖母は、芸者さんたちの髪結い、今の美容師、母は美容師だ。さらに、曽祖父は和菓子店を営んでいた。私は、小さい頃、祖父の畳工場に行っては、畳が仕上がるのを見ていた。祖父に「どうだ。畳屋になるか?」といわれたがあまり良い返事はしなかったのを覚えている。その後、弟が畳屋になると言い出すと、祖父は目を細めていたらしい。私はまた、母がお客さんの髪をカットしたりパーマをかけたり染めたりするのもよく見ていた。当時は店にだけ冷房があったので、涼んでいたかったせいもある。そんなこんなで、職人ていいなと子ども心に思っており、芸術に目覚めた後には、本気で、職人(木工?陶芸?看板屋)に弟子入りしようかとも考えた。教師となった今でも、「とにかくいいものをつくりたい。」「損徳は度がえし」みたいな職人気質が出てくる。ついには、夢で教材研究をしているときがある。夢の中で我ながらよい授業をしているときがあり、本当に授業のアイデアが夢の中で浮かぶ時があるのだ。朝それを忘れないように書きとめておくことにしている。

 教師は、やはり人を育てる職業であろう。人の生き方に影響を与えるようなそんな教師になりたいものである。それにはどう生きればいいのか。教師自身の生き様を子どもたちに示していかなくてはならない。私は職人に徹しよう。職人にマニュアルはない。試験もない。ただ知識があっても職人にはなれない。いくら焼き物の知識があっても評論家や鑑定士にはなれても、職人にはなれない
のである。決して試験でなんか推し量れない世界で職人は、誇り高く生きていくのである。


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