のびのびのぶログ

水彩画や好きな音楽について語ります。なんでも伸び伸びと書いていきます。でも忙しくて更新が延び延びになるかも。

27年ぶりの再会

2014年04月05日 10時50分06秒 | 学校
 私が再会を果たしたのは、「林竹二先生」である。
 4月1日校長室へ行くと、壁にある写真のコピーが貼ってあるのを私は見付けた。
 私は、一瞬でそれが誰であるかが分かった。
 私が教師を目ざすきっかけになった本の著者であるからだ。
 校庭で小学生の子どもの話に耳を傾けている林竹二先生の写真。
 しかしよく見てみると、耳を傾けているのではない。
 全身全霊を傾け、穏やかな表情を浮かべている。
 さらに、子どもが手をポケットに入れながら話をしているのに対して、林先生はまるで「気をつけ」の姿勢のように指先をぴんと伸ばし話を聞いている。それはまるで子どもに敬意を示しているかのようである。
 私はこの写真こそ教師の原点であると今でも思うのである。
校長先生によると、この写真は、昨年校内研修で福島学院大学教授の宮前貢先生(東北大学教育学部大学院での教え子)をお招きした時に宮前先生からいただいた写真のコピーであるという。それをラミネートして校長室の壁に貼っておいたそうである。

 私は、銀行に勤務していた時、自分を見つめ直す時間があった。その時古本屋さんでふと手にしたのが児童文学の有名著書灰谷健次郎の「兎の目」であった。今ではどうしてその本を買ったのかは忘れてしまったが、教育学部出身ではない私にとってはあまりなじみのない本であった。でも確か何かのテレビ番組で灰谷のことを目にしていたせいか、何げなく手に取ったのだろうと思う。私が23歳のころである。灰谷の著書は学校図書館にもたくさんあるので、多くの方は、もっと若い時に読むものなのだろうが、若いころの私には全く興味がない本の一つであった。しかし、私は、読んでいるうちにその世界に引き込まれていった。そしてむさぼるように灰谷の本を買って読んでいた。ついには灰谷の対談集にまで手を出した。そこによく出てくるのが、灰谷の尊敬する林竹二先生の名前であった。それからもちろん私は林先生の著書を読みあさって教師になりたいという思いをさらに高めていった。
 ここからは私の記憶による文章である。記憶違いはご容赦願いたい。林竹二先生の授業記録「人間について」は、特に印象に残る授業である。林竹二先生は宮城教育大学の学長でありながら全国の小・中・高校で300回あまりの授業を行った。
 子どもたちを大切にしない教育現場に対して、何とかしなくてはならないという思いであったのだろう。
 しかし、当時、現場の教師たちは林の授業を快く思わなかった。子どもたちが深く思索をし、黙り込むことが多い授業に対して「発言が少ない。」「活気がない。」と感じ、また一人の子どもに対して問答を繰り返していく授業に対して「全員を大切にしていない。」などと感じたからである。いやまて、これは本当にそうだろうか。これは間違った授業の捉え方ではないだろうか。本当に思考をしているとき人は言葉を失う。また、一人の子どもと問答を繰り返すことによりその問答は学級全体に広がり、一人一人が発言をしなくても深い思考をしていくのではないだろうか。
 林は、「蛙の子は蛙ということわざがあるけど、人間の子は人間と言えるかな?」と子どもたちに問う。そして子どもの発言一つ一つをしっかり吟味していく。まさにソクラテスの問答法である。問答に詰まるとまた次の話題を投げかける。「アマラとカマラ」というインドで狼に育てられた少女の話である。人間として生まれながら狼に育てられた少女たちは、うまく歩くこともできない。腐った生肉も平気で食べる。もちろん言葉も発することはできない。これは本当の意味で人間と言えるのだろうかと問う。このような問答を通して、子どもたちは、「学ぶこととは何か」「人間と何か」について自分たちなりの答えを出していく。そして、生きる姿勢が変わっていく。人はなぜ学ばなくてはならないのかを知り、生き方が変わる。定時制高校で授業をしたとき、ふてくされたように授業を受けていた不良たちの目が輝き出す。自分たちはこんな授業を望んでいたとでもいうかのように。林は、「学んだことの唯一の証は、何かが変わることである。」と言っている。

 以上、この春、私の嬉しい再会であった。


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