![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/8d/c9593e90a63178188421fa0a568a4b6b.jpg)
オルセー美術館は7月からやっていた展覧会。
夏はダメなのよーなんていいながら、
オルセーで見たものもあるしー、
とか言いながらだらだら。
でも、やはりちゃんと見ておこうとぎりぎり滑り込み。
気になっていたのは、マネが主体だったからです。
印象派のひとたちの近くにいながら、
印象派と一線を隠す人たちがいる。
その大御所的なイメージがあったのがマネです。
古典でもない、でも印象派でもない、
ましてやキュビスムの萌芽でもないマネ。
心で描く、光で描く印象派の人たちが
マネの「草原の昼食」をこれほどまでに追い求めたのは、
何なんだろう、と心がざわめきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ea/a54406ddb1a85f7a88f5c53b97475502.jpg)
マネ 草原の昼食
なんで裸やねん。
奥の水辺で何しとんねん。
そんなところで、男二人、なんやねん。
今の素直な感想はそんなところですが、
描かれた当時、大センセーショナルな問題作だったそうです。
光景自体は今でも大センセーショナルですけど(笑)
当時の絵の主流は、社会的に立派な、室内で服を着た人を描くか、
神話の世界を描くか(こちらは裸でも可。だって神様だから♪)だったので、
全部「アンチ」精神だったのがわかります。
戸外で、裸で、たぶん娼婦(立派な人ではないという意味合い)で、
普段の食べちらかした生活の絵、ということですから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/c7/eaebe1e44bb65189a6894950e88c85e2.jpg)
少し前のミレーも同様です。「レアリスム」です。
農民の尊い労働と美しい畑のほうが描く価値あるでしょ、というわけです。
はじめて、ってやはりすごい価値があるんですよね。
そのときはただの異端かもしれないけど、
一石を投じる。続ける。その信念とか、思想とか、哲学は
やはりこの人が行動を起こし続けていないと
このムーブメントにはならなかったわけです。
こう考えると人間っていろいろな役割があるのだなぁと。
一石を投じていく人。それを形にしていく人。価値を昇華していく人。
スターになる人、中心になる人、バックアップする人、賛同する人。
マネの絵にインスパイヤされて、セザンヌも描きました。
そしてモネも描きました。借金のかただとかに取られて、
大きなこの絵は分割されてしまいましたが。
裸はいらなかったんだね。外の光が重要だったんだね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/92/7d3773903c43e8d79aff197d471abc70.jpg)
そして賛同する人、バックアップする人がカイユボットとバジール。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/df/af6f7d8684ac13fae9c8e4eab96cc90a.jpg)
カイユボット
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e0/c5b96ee85b9bbd55013327c175c9d792.jpg)
バジール
絵も洒脱でその精神を表す画家ですが、
たぶん人徳もお金も理解もあったのでしょう。
印象派など、新しい絵に挑戦する人たちを支援をしつづけました。
お金持ちはやはりこういうことをしないといけないんだなぁ。役割なんだなぁ。
カイユボットのこの絵を見るのはたぶん初めてではなかったのですが、
この人の丁寧で統一性のある人格を改めて感じました。
マネ、セザンヌやルノアールの人物画や静物も、
普段の美しさを描くこと、描くことの自由を昇華させていったのですねー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/1e/595446a113772539cea8ddcb9b33b461.jpg)
今の自由はどれほどありがたくもあり、
ほんの少し前の世界はどれほどいきづらいものだったのか。
反面、自由というのは社会への責任もあるはずで、
それは自由なのだろうか。
こう考えると、人間はどこに向かっているのだろうと思ったり。
こんなことを考えられる絵はニンゲンの心の戦いの痕跡なんですね。
そんなことを思ったオルセー美術館展。
さすが懐の深さを感じるのでしたー!
絵画ビジュアルはパンフレットから抜粋。
夏はダメなのよーなんていいながら、
オルセーで見たものもあるしー、
とか言いながらだらだら。
でも、やはりちゃんと見ておこうとぎりぎり滑り込み。
気になっていたのは、マネが主体だったからです。
印象派のひとたちの近くにいながら、
印象派と一線を隠す人たちがいる。
その大御所的なイメージがあったのがマネです。
古典でもない、でも印象派でもない、
ましてやキュビスムの萌芽でもないマネ。
心で描く、光で描く印象派の人たちが
マネの「草原の昼食」をこれほどまでに追い求めたのは、
何なんだろう、と心がざわめきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ea/a54406ddb1a85f7a88f5c53b97475502.jpg)
マネ 草原の昼食
なんで裸やねん。
奥の水辺で何しとんねん。
そんなところで、男二人、なんやねん。
今の素直な感想はそんなところですが、
描かれた当時、大センセーショナルな問題作だったそうです。
光景自体は今でも大センセーショナルですけど(笑)
当時の絵の主流は、社会的に立派な、室内で服を着た人を描くか、
神話の世界を描くか(こちらは裸でも可。だって神様だから♪)だったので、
全部「アンチ」精神だったのがわかります。
戸外で、裸で、たぶん娼婦(立派な人ではないという意味合い)で、
普段の食べちらかした生活の絵、ということですから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/c7/eaebe1e44bb65189a6894950e88c85e2.jpg)
少し前のミレーも同様です。「レアリスム」です。
農民の尊い労働と美しい畑のほうが描く価値あるでしょ、というわけです。
はじめて、ってやはりすごい価値があるんですよね。
そのときはただの異端かもしれないけど、
一石を投じる。続ける。その信念とか、思想とか、哲学は
やはりこの人が行動を起こし続けていないと
このムーブメントにはならなかったわけです。
こう考えると人間っていろいろな役割があるのだなぁと。
一石を投じていく人。それを形にしていく人。価値を昇華していく人。
スターになる人、中心になる人、バックアップする人、賛同する人。
マネの絵にインスパイヤされて、セザンヌも描きました。
そしてモネも描きました。借金のかただとかに取られて、
大きなこの絵は分割されてしまいましたが。
裸はいらなかったんだね。外の光が重要だったんだね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/92/7d3773903c43e8d79aff197d471abc70.jpg)
そして賛同する人、バックアップする人がカイユボットとバジール。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/df/af6f7d8684ac13fae9c8e4eab96cc90a.jpg)
カイユボット
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e0/c5b96ee85b9bbd55013327c175c9d792.jpg)
バジール
絵も洒脱でその精神を表す画家ですが、
たぶん人徳もお金も理解もあったのでしょう。
印象派など、新しい絵に挑戦する人たちを支援をしつづけました。
お金持ちはやはりこういうことをしないといけないんだなぁ。役割なんだなぁ。
カイユボットのこの絵を見るのはたぶん初めてではなかったのですが、
この人の丁寧で統一性のある人格を改めて感じました。
マネ、セザンヌやルノアールの人物画や静物も、
普段の美しさを描くこと、描くことの自由を昇華させていったのですねー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/1e/595446a113772539cea8ddcb9b33b461.jpg)
今の自由はどれほどありがたくもあり、
ほんの少し前の世界はどれほどいきづらいものだったのか。
反面、自由というのは社会への責任もあるはずで、
それは自由なのだろうか。
こう考えると、人間はどこに向かっているのだろうと思ったり。
こんなことを考えられる絵はニンゲンの心の戦いの痕跡なんですね。
そんなことを思ったオルセー美術館展。
さすが懐の深さを感じるのでしたー!
絵画ビジュアルはパンフレットから抜粋。
圧倒されましたねえ。
マネの、裸婦とピクニックみたいな絵はよく観る機会のあった絵ですが、
私は不思議と違和感がなかった・・・。
あの裸婦は実際に居たわけではなくて、
他の人たちの「リラックス感、開放感」を表現したものではないかと感じていたからです。
なんか、心地良さそうな風景と思いました。
ミレーは貧しい農民の絵を描いた人だから、彼までも貧しい画家という錯覚を起こしました。
でも、実際は結構裕福だったらしいですね。
彼の価値観と信念は尊敬に値するものと思います。
カイユボットの絵は、美の巨人たちで観たことがありました。
アメリカっぽいなあという印象ですが、
何か惹かれる絵ですね。
いろんな画家に出会えた展覧会、よかったですねえ。
ミレーさんは、思想家だったわけですね。
たしかに、ゴッホも初期は
農民を一生懸命描いていますから、
思想的な流行があったのかもしれません。
少し時代は違うけど(笑)
いろんな人のいろんな気持ちの潮流、
時代はこうやって変わっていくんだと
感じることのできる展覧会でしたー!
ココの母さんのお気に入りはどれでしたか?
あ、と思ったのが
シスレーの「洪水の中の小舟、ポール・マル
リー」です。
そんな昔にも、フランスで洪水があって、
それを描こうと思ったシスレーの想いを
想像していました。
洪水で大騒ぎのはずが、空の青さが目を引きます。
それとも、一種の「ジャーナリスト」のような気持ちで、
描き残しておかなきゃ、と思ったのか?
それほど、大きくない絵でしたが、印象に残りました。
いやーん、通好みー。
シスレーってところが、また素敵。
シスレーって対象が風景ばかりで
変化を見つけるのが難しいのに、
すごいですー。
こういうシーンを残すって、絵にしなきゃって思うって、
家族に怒られますよねー(笑)
画家、ですねー(怒)