新品のマスクは、恐らくは「清浄」だと思います。しかし、目には見えなくても「異物」が付着している場合は「不良品」と言います。これは、見た目や感性では「汚染」かどうかは判別できないので、本来は科学的な検査をしなくてはならないのですが、商品コストよりも検査コストの方が高くつ場合は、そのマスクの来歴で判断し、一括処理します。
輸入品の場合は抜き取り検査をして、不合格品が出ると一定の規模で排除しますが、これは、輸入する事が目的の検査なので「輸入規制」とは言いません。「アベノマスク」は輸入時に検査をしなかったか、サンプル数が少なすぎたからかは判りませんが、かなりの数の不良品が郵送されたようです。
「検疫」の場合は、最初から特定の病原体を排除する事が目的なので、統制国家に於ける書籍等の「検閲」に似ています。「検閲」に似た言葉で「検定」が有りますが、これは「教科書等を採用する事が目的」なので、「検閲」とは言いません。つまり、受け入れる事が目的の場合でも、検査や検定で排除する事は問題ありません。と、言うよりも寧ろ、不合格ならば「排除する義務」が管理者に負わされます。
教科書に載せる絵や文書が「芸術作品」であろうとも、「不合格」であれば「芸術性」とは関係なく、排除しなくてはなりません。例えば、小学生の教科書に「芸術の猥褻性の意味を説明する為とは言っても、猥褻物を載せてはならない」事は明らかで「著者の主張する芸術性」とは関係ないからです。
不特定多数の入場者が考えられる「公的施設」を展示場として使う場合は、「書類上の不備」が見つかった時は行政手続きとして正す必要があるのは当然として、「芸術性」とは関係なく「政治的・歴史的な妥当性」も考慮する必要が有ります。「嘘の歴史を賛美したり誹謗する作品」を小学生の脳裏に焼き付かせる事は「犯罪」と言えます。例えば「ナチスによるユダヤ人虐殺のお陰で、世界が平和になったとする”芸術作品”」は、少なくとも「日本の公共施設」からは排除されなければなりません。
これらは、「検閲」では無く行政上の手続きなので、「提出書類と展示物」が違っていた場合は一括処理する必要が有ります。「マスクに混入した異物」と同様に、個々の「展示物の価値」よりも「芸術性」を査定するコストの方が高くつく場合は尚更です。
あいちトリエンナーレ2019で中止された「表現の不自由展・その後」の「芸術監督」であった津田大輔氏は「政治家の圧力が原因ではない。自らの判断で中止した。」と記者会見で述べています。民主主義を標榜し「表現の不自由展」を”興行”するのなら、「不自由の原因」が何処に有るかを検証すべきですが、それが「政府」では無く民主主義の源泉である「民衆」からの圧力である事を認めています。日本国民は一億人以上いますが、僅か数千人の電話やFAXによる圧力です。つまり、民主主義の「定説」を否定した事になります。
日本では、それが「芸術」か「汚物」かは個人が決め、「汚染」されているのか「清浄」なのかのかは科学が決定し、「正当」か「不当」かは民主主義の手法に依ります。
「R芸術」である「”従軍慰安婦”を象徴する”平和の少女像”」が、歴史的に「嘘」であり、カネで「汚染」されている事は、その母国でも証明されつつあり、遠くない将来「汚物」として一括処理されると思います。
この「像」は、転用品にしてもこれ自体は「平和の少女像」なので問題は無いのですが、各地にあるその像と一体不可分の碑文によって「嘘で汚染」されています。日本語では、「汚染されたモノ」を「汚物」と言います。
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