テレビとうさん

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「マイノリティ」 と 「デュープス」

2019年09月04日 | 思想・思考

 「マイノリティ」とは一般に、その社会の権力関係においての「社会的少数者」を言いますが、現在では権力には関係なく、一定の思想や立場にある少数集団を意識的に組織する事で「マイノリティになる」事が出来ます。つまり、「社会的少数派」です。

 普通に暮らしている人でも「あなたはマイノリティに属している」と知らされる事で、有らぬ「被差別意識」が芽生えたり、逆に「マイノリティの誇り」が生まれるかもしれません。文化や科学が発達すると、あらゆるモノの分化が進み、「マジョリティ」が分断され、他人との違いを根拠にした「グループ化」がすすみます。この、単なる「グループ」を「マイノリティ」と呼ぶことが流行っているようにも見えます。

 少し前までの「南アフリカ共和国」や大侵略時代(通称:大航海時代)のように、少数白人による多数異民族支配では、白人を「マイノリティ」とは言いません。権力関係に於いては、あくまでも「マイノリティ」は弱者の集団でなければなりません。つまり、「社会的弱者集団」です。

 「社会的少数派」「社会的弱者集団」は、実態としての権力は無くても、「権力側」に属していると見做される場合は「マイノリティ」とは言いません。例えば「皇族」などの場合です。また、外見上の違いや内心の違和感などを科学的・文化的に区別すると「グループの数」は「人の数」だけ作る事は出来、これらの全てを「マイノリティ」とは言えませんが、近年の民主主義国家では、ある程度の「集団のチカラ」を持ち「マイノリティ」と自称する事で事実上の「小権力」を得ます。

 民主主義の仕組みは、少し前までは「最大多数の最大幸福」と言われましたが、現在では「多様性」が重視され多種多様の価値観が拡がり「マジョリティ」は存在しなくなりました。唯一有るとすれば、無党派層です。これは「民主主義の自明的で致命的な欠陥」とも言え、無党派層の個々人には権力が無いばかりか、投票率の低さも有って、権力の犠牲になる事もあります。謂わば、植民地の原住民的な存在です。

 この民主主義の弱点を突いて、他国の弱体化を狙う覇権国家も存在し、他国の野党や、与党でも権力から弾かれた政治家を利用し、風を起こして無党派層を取り込み、覇権国家にとって都合の良い国家体制を作り上げます。

 「心優しい自分」が、実は社会の崩壊を招く「協力者」になっている事に気が付いてない人を「デュープス」と言います。「デュープス」の本来の意味は、自分では気が付かずに共産主義の勢力拡大に、知らずに力を貸している人という意味ですが、共産主義の出自は「労働者民主独裁」なので、元々は「弱者連合」です。しかし、革命が成功し「弱者連合」が強権を獲得した時には、「労働者の代表」の名目で権力者になり、支配体制を確立します。

 共産主義者はこの仕組みを利用し、自由主義国家では「マイノリティ(少数派)」の権利(特権)を主張し、共産主義革命の手段として民主連合・統一戦線などの「ボリシェヴィキ(多数派)」を構成し、革命が成功すると他の「マイノリティ」や「デュープス」を粛正して、「マジョリティ」としての政権を確立します。反対派は既に粛正され存在していないので「理想的で完全な民主主義国家」である「ユートピア」が成立します。

 「ユートピア」とは言っても、革命前の遺産を分配する事で(生き残った)国民全員が共産主義を支持する「正当な共産主義国家」が成立するのですが、遺産が劣化した段階で崩壊します。崩壊を防ぐ為には周辺諸国を領土ごと略奪するか、他の民主主義国家にいる「デュープス」を利用して資産を奪い取るしかありません。

「民主主義国」日本は格好の餌食で、「デュープス」な「マイノリティ」も散見されますし、「ルーピー」な「資産家」もいます。

 



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