テレビとうさん

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「演繹」 と 「帰納」

2023年12月29日 | 思想・思考
 今回は「人の思考手法」について考察します。

① 演繹法(ディダクション);規則「AならばBであり、BならばCである。」が正しければ、「AならばCである」が成立しますが、各要素[A][B][C]の定義が確立(固定化)されている必要が有ります。

 例えば、「米は食料品であり、食料品はスーパーで売っている。」ならば「米はスーパーで売っている」が正しいように思えますが、「人の食料ではない米(動物の餌など)」や「米を売っていないスーパー」「米が品切れ中」の可能性も有り、事実が固定化されていません。

 また、「Bの結果としてAが出来た」としても、AがB以外から出来る場合も有り、自然界では良く見られる「AならばBであるが、例外もある」場合は、「A=B」が常識だとしても、間違いである可能性は残されていて「科学」の対象になります。

 当然ですが、「(正しいとされる)規則」を独裁者や民主主義(絶対多数も含む)で決める場合は「科学的」とは言えず、人類は多くの間違いを経験してきました。


② 帰納法(インダクション);「AならばBである確率が高い」は自然現象を良く説明していますが、「常識」の部類であり「科学」とは言えません。

 「帰納法」は社会生活には必須のアイテムで、「思い込み」も多いのですが、個人で利用する場合は、統計的に処理(自然淘汰)されるので然ほど問題にはなりません。但し、為政者が利用すると「人工(人口)淘汰」に繋がる恐れがあります。

 卑近な例では、「ワクチン接種とマスク着用で、感染症を防ぐ確率が高くなる。」は常識と言われるだけあって、何れも「科学的証拠」は存在しません。寧ろ現実を①の「演繹法」で言うと、

「感染予防対策を徹底した国は混乱が長引いた。」「混乱が長引く国は政治が未熟。」から、

「感染予防対策を徹底する国の政治は未熟。」

が成立し、これが正しいかどうかは科学的に証明でき・・・そうですww


③ 逆行推論法(アブダクション);観察された事実(と思われる)集合を対象に、その成立過程を考察し最良の結論(前提の規則)を得る手法。集合体の個別の事象に対する説明は充足していても、全体を推論した場合には、その「説明の正しさ」から導かれる結論は保証(一般化)されません。当然、「合成の誤謬」もあり得ます。

 例えば、太った人の食生活を観察すると大概はカロリーの取過ぎなのですが、大食いギャル曽根の例があるように、大食いだから太るとは限りません。だからと言って、「事実を精査した結果、食べ過ぎても太るとは限らない」は、結論にはなりません。「例外の科学的根拠」を示す必要があります。

 事故や故障の原因を調査する時には、当然ですが「逆行推論法」が有意です。「結果」が起こる前に何が起きたかを調査して、経験則で分かっている事象をその「原因」とします。但し、「その原因」によって必ず「その結果」が起こる保証は有りません。

 例えば、マスク着用者が増えた原因を調査すると、「風邪の流行」「花粉の大量発生」などが過去の経験から分かりますが、最近の例では「マスクの着用は政府によるお願い」だったり「他人に対する思いやり」「仲間外れにされるのが嫌だ」などがあり、科学的ではないので「逆行推論法」が成立しない場合もあります。

 それどころか、「政府の命令」でもないのにマスク着用者が増えているのは「感染症が大流行しているから」と「演繹法」で解釈されて「エピデミック(パンデミックの地方版)」に繋がる可能性すらあります。

 「逆行推論法」を正しく利用するには、「間違った人為の介入(政治など)」を排除する必要が有ります。共産主義革命は「逆行推論法」を(逆)利用した結果なのですが、「例外」を強調する、現在で言う「Woke;(例外的な)目覚めた人」にありがちな「PoliticalCorrectness;(例外的な)政治的正しさ」を多用した事から、革命には成功してもその結果は悲劇です。

・マスク着用とワクチン接種で、感染症を抑えることが出来る。
・労働者階級が国を統治すれば、平和で平等な社会が生まれる。

などは、科学的に何の根拠もない「うわさ話」なので、結果として混乱を招いただけです。

 「人為」と書いて「偽」と読むww




4 コメント

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アブダクションの楽しみ方(^_-)-☆ (katumoku10)
2023-12-29 09:56:29
いい話題をありがとうございます。
>「人為」と書いて「偽」と読むww
ヒトのためのヒトとは自分だったということですね(^_-)-☆
ウソつきは人を不幸にします(;^ω^)

ところでアブダクションは証拠が少ない古代史の解明に向いている推論手法だと思います。証拠となる事実と思われるものが多すぎると頭が発散してしまいます。日本の古代史は程よい情報量だと思います。アブダクションはリトロダクション(つじつま合わせ)ですから事実に合う物語を見つけるわけで、これによってもっともらしい話ができます。もう10年ほどやっていますが、想像力が刺激されるので楽しいことこの上ないです。誰も気づかないことを発見できる喜びは最高ですよ(#^.^#)
でも大きな事実誤認があったら振出しに戻るのかも知れませんので,何かお気づきのことがありましたらお教えください(#^.^#)
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katumokuさん、こんにちわ。 (テレビとうさん)
2023-12-29 15:38:23
事実と真実について、私の定義は、

「リンゴが地べたに落ちるのは真実(現象)」
「リンゴと地球が引っ張り合っているのは事実(神が成した事)」

で、人間が見たままを正直に表現したのが真実でも、事実とは限りません。

事実を理解するのは、真実を見つけるより、遥かに困難です。

真実≒事実誤認(間違いとは限らない)
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Unknown (yoko-2-1)
2023-12-31 11:34:28
今年も素敵な記事をありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします( ^_^)
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yokoさん、こんばんわ。 (テレビとうさん)
2023-12-31 18:42:21
素敵かどうかはわからないのですが、基督紀2024年1月1日に、御めでたい記事をUPする予定ですww
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