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オメガねこ

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「人権」 と 「人間権」

2019年08月23日 | 思想・思考

 「人権」と云う概念は欧州が発祥だと思いますが、これは、欧州には元々自然権としての「人権」が無かったので「実定法」として「人権」と云う「ことば」が生まれたと言えます。昔の欧州は「強い者には生きる権利がある」と云う概念が「自然権」として有りましたが、各地で市民革命などが起きて以来、「弱い市民」にも生きる権利を「自然権」として与える為の概念が必要になり、「人権」と云う人工的な権利を創り出した事に起因すると思います。

 「人権」とは言っても、当時はの欧州では奴隷制が当然であり、「人権」は人の権利ではなく「市民」に対する権利であったことからも、「自然権」ではなく、人工的な「権利」であった事は明らかです。

 一方、日本では明治になるまで「人権」と云う概念そのものが有りませんでした。勿論、奴隷がいなかったことから「権利」等を主張する必要も無かったので、今で言う「自然権」としての「人権」は意識する必要も無く当然とも言えます。

 「人権」は「ヒトの個人としての権利」ですが、「人間権」は「人と人との対等な関係性を保障する権利」と定義します。

 「人権」は、ヒトは一人でも生きる権利を与えられますが、「権利」は放棄する事が認められているので、「人権」が有っても自死することは可能で、当然、死んだら「人権」は消失し総て無かった事にできます。相続権のある人にも「人権」は有るので、個人の意思で「相続放棄」をすれば、何もなかったことにできます。「人権」とは「個人主義」には必要不可欠な権利です。

 「人間権」では、「人権」以外に、人を助けたり助けられたりする権利を保障しますが、自分の為に自死(自殺)する事は許されません。特攻隊のように「他人の為に自死する」事は「人間権」の行使になり、当然の権利として理解できます。

 「人間権」も放棄する事は可能ですが、「人でなし」になります。西洋の人工的な「人権」の概念で、日本の自然な「人間権」を理解する事は出来ないと思います。西洋では、他人を信用できないので個人としての「人権」を与え、日本では昔から信頼のおける集団としての「人間権」が意識することなく備わっていたと考えられます。




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