釣った魚をリリースするのも、その場で焼いて食べるのも良し。
自然保護地域を放置するのも、改良するのも良し。
地球の為に人口を削減するのも、自然に任せるのも良し。
「自然」の範疇に「人間」を含むかどうかは分かりませんが、人間による様々な環境対策には正反対の手法が可能です。
植物は、窒素や二酸化炭素から炭水化物やタンパク質を産生(人為の場合は生産)し、動物は炭水化物やタンパク質から窒素や二酸化炭素を排出(植物から見ると産生)します。
「産生」は細胞による「自然現象」ですが、「排出」や「生産」は人為によるものです。動物の細胞活動によって排出される二酸化炭素は自然現象と言え、「抗体」などと同様に「産生物」です。但し、神に因らない(人為の遺伝子操作)場合は「生産物」と言った方が正しいと思います。
それは兎も角、短絡的に見ると「二酸化炭素」は人間にとっての(有害)老廃物ですが、植物の必要不可欠な栄養素です。一部の百科事典には「二酸化炭素は植物のエネルギー源」と書かれているようですが、正しくは「栄養素」であり、「エネルギー源(熱源)」は太陽光などの電磁波と、動物と同様に酸化反応による発生熱です。
植物も酸素呼吸(光呼吸)をしていて、自ら産生した炭素(有機)化合物の酸化反応で、光合成の時に発生する活性酸素を二酸化炭素として排出します。空中の二酸化炭素濃度が低い場合、「光呼吸」で二酸化炭素の放出量が光合成の二酸化炭素固定量を上回ることもあり、人間による「脱炭素政策」によって、植物も「原罪」を背負うかもしれませんww
「言葉」は人間が作っただけあり、人間に都合が良いように使われます。「自然保護」もその良い(悪い?)例で、都合によって「自然」に「人間」を含んだり含まなかったりします。
「サヨク的自然保護」は「人類愛」に満ちていて、人類が永遠に生き続けられるように「自然改良すべき」と云うモノです。「SDGs」がその典型で、そこで生き残る人が誰であるかは決して言いません。
「貧困をなくそう」では、貧困層が消え去るのは良しで、貧困層が裕福になるのは悪しのようです。今まで、「世界の80%の富を保有している1%の富裕層に対するバッシング」は見た事が有りません。人類の1%の富裕層の富を貧困層に移転すると直ちに貧困層は無くなるのですが、その場合は富裕層自体が「持続的」ではなくなり、「SDGs」に則さないと考えているようです。
「脱炭素(意味は脱二酸化炭素と思われるww)社会」では、露宇戦争(ロシアは今のところ戦争とは認めていない)で、化石燃料の価格が上昇し「脱炭素社会」の達成には有効なのですが、何故か世界は混乱を極めています。特に欧州は「脱炭素社会」の先頭を走っていたのですが、今では化石燃料の調達に血眼になっています。
「脱炭素社会」は、科学的には「自然破壊」に直結するのですが、同じ人が同時に「自然保護」も主張しています。エネルギー源に余裕がある時には「脱炭素」を主張し、余裕が無くなると口にしなくなります。
人間は自然の一部であると考えると、何をしても「自然現象」なので、正反対の事をしても問題は無いのですが、どうやら人間(この場合は白人とそのシンパ)は自然の支配者だと思っているようで、その時の都合に合わせて自然を変えようとします。
「自然保護」を主張しながら「自然現象」を自然とは認めたくない人がいるようです。サヨク思想で言う「自然保護」とは、自然に人為を加える意味なので、これは「科学的共産主義」の字面自体に含まれる自己矛盾と同様に、「科学的」ではありません。
「人為」と書いて「偽」と読むww
自然保護地域を放置するのも、改良するのも良し。
地球の為に人口を削減するのも、自然に任せるのも良し。
「自然」の範疇に「人間」を含むかどうかは分かりませんが、人間による様々な環境対策には正反対の手法が可能です。
植物は、窒素や二酸化炭素から炭水化物やタンパク質を産生(人為の場合は生産)し、動物は炭水化物やタンパク質から窒素や二酸化炭素を排出(植物から見ると産生)します。
「産生」は細胞による「自然現象」ですが、「排出」や「生産」は人為によるものです。動物の細胞活動によって排出される二酸化炭素は自然現象と言え、「抗体」などと同様に「産生物」です。但し、神に因らない(人為の遺伝子操作)場合は「生産物」と言った方が正しいと思います。
それは兎も角、短絡的に見ると「二酸化炭素」は人間にとっての(有害)老廃物ですが、植物の必要不可欠な栄養素です。一部の百科事典には「二酸化炭素は植物のエネルギー源」と書かれているようですが、正しくは「栄養素」であり、「エネルギー源(熱源)」は太陽光などの電磁波と、動物と同様に酸化反応による発生熱です。
植物も酸素呼吸(光呼吸)をしていて、自ら産生した炭素(有機)化合物の酸化反応で、光合成の時に発生する活性酸素を二酸化炭素として排出します。空中の二酸化炭素濃度が低い場合、「光呼吸」で二酸化炭素の放出量が光合成の二酸化炭素固定量を上回ることもあり、人間による「脱炭素政策」によって、植物も「原罪」を背負うかもしれませんww
「言葉」は人間が作っただけあり、人間に都合が良いように使われます。「自然保護」もその良い(悪い?)例で、都合によって「自然」に「人間」を含んだり含まなかったりします。
「サヨク的自然保護」は「人類愛」に満ちていて、人類が永遠に生き続けられるように「自然改良すべき」と云うモノです。「SDGs」がその典型で、そこで生き残る人が誰であるかは決して言いません。
「貧困をなくそう」では、貧困層が消え去るのは良しで、貧困層が裕福になるのは悪しのようです。今まで、「世界の80%の富を保有している1%の富裕層に対するバッシング」は見た事が有りません。人類の1%の富裕層の富を貧困層に移転すると直ちに貧困層は無くなるのですが、その場合は富裕層自体が「持続的」ではなくなり、「SDGs」に則さないと考えているようです。
「脱炭素(意味は脱二酸化炭素と思われるww)社会」では、露宇戦争(ロシアは今のところ戦争とは認めていない)で、化石燃料の価格が上昇し「脱炭素社会」の達成には有効なのですが、何故か世界は混乱を極めています。特に欧州は「脱炭素社会」の先頭を走っていたのですが、今では化石燃料の調達に血眼になっています。
「脱炭素社会」は、科学的には「自然破壊」に直結するのですが、同じ人が同時に「自然保護」も主張しています。エネルギー源に余裕がある時には「脱炭素」を主張し、余裕が無くなると口にしなくなります。
人間は自然の一部であると考えると、何をしても「自然現象」なので、正反対の事をしても問題は無いのですが、どうやら人間(この場合は白人とそのシンパ)は自然の支配者だと思っているようで、その時の都合に合わせて自然を変えようとします。
「自然保護」を主張しながら「自然現象」を自然とは認めたくない人がいるようです。サヨク思想で言う「自然保護」とは、自然に人為を加える意味なので、これは「科学的共産主義」の字面自体に含まれる自己矛盾と同様に、「科学的」ではありません。
「人為」と書いて「偽」と読むww
環境省のHPなどでは「サンゴは二酸化炭素を吸収し成長(=光合成)します。よって、大気中の二酸化炭素量を調整し管理しなければいけません(=ブルー・カーボン)。」的なことを掲示していますね。
また、いち釣り人としての私の感想ですが、近年は海中(特に太平洋沿岸地域)における二酸化炭素が不足し、サンゴや海藻などが成長できずにいて、海中の酸素が不足しているのやも…と強く思うところです。
武田邦彦先生の動画では、太平洋の日本近海は特に二酸化炭素(ブルーカーボン)濃度が低いと言ってました。
大陸から齎される黄砂はアルカリ性なので土壌改良に資するのですが、海中に溶けた二酸化炭素を中和(固定化)するので、「脱炭素」を含めて功罪相半ばと言えるかもしれません。
大陸の中共支配(科学的社会主義)が始まってから、この傾向が強まっているような気もします。