「自然を大切にしよう」と言う標語がいつの間にか「SDGs:持続可能な開発目標」に代わってしまい、森林を伐採してソーラーパネルを設置する事にも抵抗感は無くなったようです。それどころか、森林破壊に対して「環境サヨク」ですら声を潜めてしまいました。やはり、ソーラパネルと環境サヨクの出自が同じである事が影響しているのかも知れません。
人が住んでいない場所や影響を受けない自然には、人は直接関与していないので、人と自然が共存しているように見えますが、大気や海などを媒介に、ヒトは自然に影響を及ぼしています。
シカが樹皮などを剥ぐ姿など、動物が自然を破壊しているように見える場合でも、当然ですがこれは自然の一部です。同様に、自分から見て他人が自然を破壊しているように見える場合でも、破壊行為とはいえないかもしれません。それは、動物の本能としてのヒトの行動なら自然の一部と考える事が出来るからです。例えば、ヒトがジャングルで放尿・脱糞する事は自然の一部と言えます。
逆に、草刈や枯れ葉の掃除等で自然を守っているつもりでいる人は、動物としての本能では無い事は明らかで、自然保護とは言えません。草木は枯れるに任せるのが自然です。例え酸性雨などで枯れたとしても、それを防ぐのは不自然です。
植物が排出する酸素を、ヒトは吸って生き長らえます。植物の果実は動物に食べられる事によりその種子が拡散され植物の自生範囲を拡大します。ヒトや動物の排出物である二酸化炭素や糞便を植物は吸収して成長します。
人は自然を破壊しながら勢力を拡大し、自然公園を造成したり街路樹を植えて共存したつもりになっていますが、温暖化の原因とされている二酸化炭素の1~2億年前の大気中の濃度は0.1%程度とされていて、現在は0.03~0.04%なので、恐竜時代の1/3程度です。つまり、1億年以上かけてCO₂濃度が1/3になり恐竜はいなくなりましたが、これは人の所為ではありません。
恐竜が棲める自然に戻すには、人間の力でCO₂を大気に戻し現在の3倍にする必要があります。それが出来れば、更に数億年「自然の寿命」が伸びます。これこそがSDGs(持続可能な開発)ですが、人間の力では無理です。それどころか、浅はかな人間もいるようで、大気中のCO₂を更に減らそうと企む輩もいます。
CO₂が恐竜時代まで増えると、ヒトは住めなくなるかも知れませんが「大切な自然」は復活します。「環境サヨク」は何をトチ狂ったのか、「脱炭素」などと馬鹿げた事を言って自然破壊を推し進めようとしています。
これ以上CO₂を減らすと、植物の成長が遅くなり動物も生きられなくなります。当然、人間の食料も生産できなくなり人類は滅亡するかもしれません。動物が絶滅するとCO₂を排出する主体がいなくなります。次に地球が復活するのは、地下に埋まった炭素が天変地異により地表に溢れ出した時です。
人間が人の為ではなく、自然の為に自然を守るという事は、自然の力によって地下に蓄積された石炭や石油を、微力ながらヒトの(生存)本能の力でCO₂ガスの状態に戻して大気中に放出し、過去の自然を取り戻す事です。
本能は自然を復活するとも言えます。
人間の理性で自然を守ろうと努力する事は、自然保護とは言えません。理性とは、最も自然から離れた人工的なモノなので、不自然です。
理性は自然を破壊するとも言えます。
人が住んでいない場所や影響を受けない自然には、人は直接関与していないので、人と自然が共存しているように見えますが、大気や海などを媒介に、ヒトは自然に影響を及ぼしています。
シカが樹皮などを剥ぐ姿など、動物が自然を破壊しているように見える場合でも、当然ですがこれは自然の一部です。同様に、自分から見て他人が自然を破壊しているように見える場合でも、破壊行為とはいえないかもしれません。それは、動物の本能としてのヒトの行動なら自然の一部と考える事が出来るからです。例えば、ヒトがジャングルで放尿・脱糞する事は自然の一部と言えます。
逆に、草刈や枯れ葉の掃除等で自然を守っているつもりでいる人は、動物としての本能では無い事は明らかで、自然保護とは言えません。草木は枯れるに任せるのが自然です。例え酸性雨などで枯れたとしても、それを防ぐのは不自然です。
植物が排出する酸素を、ヒトは吸って生き長らえます。植物の果実は動物に食べられる事によりその種子が拡散され植物の自生範囲を拡大します。ヒトや動物の排出物である二酸化炭素や糞便を植物は吸収して成長します。
人は自然を破壊しながら勢力を拡大し、自然公園を造成したり街路樹を植えて共存したつもりになっていますが、温暖化の原因とされている二酸化炭素の1~2億年前の大気中の濃度は0.1%程度とされていて、現在は0.03~0.04%なので、恐竜時代の1/3程度です。つまり、1億年以上かけてCO₂濃度が1/3になり恐竜はいなくなりましたが、これは人の所為ではありません。
恐竜が棲める自然に戻すには、人間の力でCO₂を大気に戻し現在の3倍にする必要があります。それが出来れば、更に数億年「自然の寿命」が伸びます。これこそがSDGs(持続可能な開発)ですが、人間の力では無理です。それどころか、浅はかな人間もいるようで、大気中のCO₂を更に減らそうと企む輩もいます。
CO₂が恐竜時代まで増えると、ヒトは住めなくなるかも知れませんが「大切な自然」は復活します。「環境サヨク」は何をトチ狂ったのか、「脱炭素」などと馬鹿げた事を言って自然破壊を推し進めようとしています。
これ以上CO₂を減らすと、植物の成長が遅くなり動物も生きられなくなります。当然、人間の食料も生産できなくなり人類は滅亡するかもしれません。動物が絶滅するとCO₂を排出する主体がいなくなります。次に地球が復活するのは、地下に埋まった炭素が天変地異により地表に溢れ出した時です。
人間が人の為ではなく、自然の為に自然を守るという事は、自然の力によって地下に蓄積された石炭や石油を、微力ながらヒトの(生存)本能の力でCO₂ガスの状態に戻して大気中に放出し、過去の自然を取り戻す事です。
本能は自然を復活するとも言えます。
人間の理性で自然を守ろうと努力する事は、自然保護とは言えません。理性とは、最も自然から離れた人工的なモノなので、不自然です。
理性は自然を破壊するとも言えます。
SDGsに取り組んでいる企業の担当者が「懐疑的」と聞いて、少し安心しました。