テレビとうさん

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「倫理」 と 「道徳」 ①

2018年12月07日 | 倫理・道徳

 道徳的行動は自分の価値観に依存し、倫理的行動は他人の価値観に依存します。小学校の道徳の教科書には「自分が良いと思う事は、すすんで実行しましょう。」と、書かれていますが「・・・をしましょう。」は道徳的ではなく、その行動が正しいとすれば倫理的です。

 自分が良いと思っても、他人は必ずしも善いとは思わない事が有ります。例えば、反基地闘争等に於いて、活動家の多くは平和の為に善かれと思って行動しています。この道徳教科書で勉強した人には、道徳的に正しい行動となりますが、多くの場合、違法行為も含めて倫理感の欠如が見られます。近くにいる仲間も、自分と同様に、善かれと思って行動しているので倫理的にも正しく見えますが、更に外側の多くの他人の価値観を考えると、倫理的な正当性が有るとは限りません。

 自動車の運転で制限速度を10%程度超過しても、流れに沿って走るのならば妥当と考える人は多いと思いますが、これは多くの他人の価値観と同じなので倫理的に正しいとも言えます。実際、違反行為なのですが捕まる事は殆ど有りません。ところが、これを道徳的にも正しいと思い込み、単独で走っている時も常に超過速度で走行する人がいます。これは倫理的にも間違っています。

・民主主義国家での違法行為は、道徳的には正しい事も有り得ますが、倫理的には必ず間違いとなります。

・自由主義(リバタリアニズム)国家では、道徳や倫理が優先され、法律は付随的に必要になります。

・自由民主主義(リベラリズム)国家では、法律が優先され、道徳や倫理は法律の範囲内で認められます。

・独裁国家では、独裁者の決めた倫理規定のみが有効となり、それが法律になります。当然ながら自分自身が善悪を決めることは出来ないので、道徳の観念自体が否定されます。

・共産主義国家では、共産党が定める法律に反する事は総て悪事となるので、道徳や倫理は無効です。

・ユートピア国家は論理的に存在し得ないのですが、道徳や倫理だけで行動し、法律の存在そのものが無効となります。

 江戸時代は道徳的に正しい事は絶対で、更に倫理的に正しければ違法行為でも名誉は保障されました。但し、切腹等、自ら裁断を下す必要があります。これは、死を含めて自ら総てを決定すると云う意味からすると、リバタリアニズムとも言えます。自由主義の行きつく先は江戸封建社会かも知れません。




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