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「氷期」 と 「間氷期」

2022年06月12日 | 環境・自然
 現在は「氷河期」で2万年前まではその「最終(直近)氷期」でした。その頃には赤道付近以外は寒くて南北黄道の間にしか人類は群落を形成していなかったと思われ、海面は今よりも120M程低く、現在の南洋諸島の周辺海域も大きな陸地であったと思われます。

 縄文時代(16千年前~3千年前)以前は「氷期」で、「間氷期」になるまでは南方以外から日本列島(当時は大陸と陸続き)への民族移動が大規模に有ったとは考えられません。勿論、小集団が移動した可能性は有りますが、「北方民族の形成」には至らなかったと思われます。

 19千年前から始まったとされる
「縄文海進」で、赤道付近の陸地(南洋諸島)の水没から逃れ、押し出された民族が北上して日本列島に辿り着き、縄文中期(10千年前)には大集落を形成できるほど温暖になった北海道にも、縄文人が住んでいたと考えるのが合理的です。

 14千年前でも海面は今よりも100M程低かったので日本海は内海のままでその周辺(現在の大陸・半島部)にも、縄文人が住んでいたと思われます。
12千年前当時の日本列島(福井県鳥浜貝塚)の約20cmの漆の木の小枝、9千年前の北海道で作られた漆塗りの器が発掘され、6千年前頃には日本列島の殆どで漆塗りが装飾品や什器に利用されていたとされています。

 縄文土器の内、装飾的で実用的では無いモノは移動や避難を必要としなかった事を示しています。一方、実用的な弥生土器は、運搬目的も考えられ交易や移住(侵略・避難)が頻繁に有った事を示しています。

 これは、「間氷期」の訪れと共に縄文海進が始まり、縄文海進の終期(8千年前)には日本列島が大陸と完全に分離した為に、南方から移動してきた民族の内、大陸側にいた縄文人は大陸西部の民族の侵攻に遭いほゞ絶滅し、日本列島に残った縄文人は弥生時代(3千年前~1.7千年前)迄は、安定的で文化的な暮らしをしていた事を示しています。

 縄文後期からは海面の高さに殆ど変化は無く、寒暖を繰り返していますが南極や北極は万年氷で覆われているので、今は「氷河期の間氷期」です。もう直ぐ折り返し地点ですが、それ迄は暖かい季節が続くでしょう?。それでも、間もなく(数万年後)「氷期」になる予定なので、風邪を引かないよう注意が必要です。

 二酸化炭素の温暖化係数は水蒸気の1/2程度と小さく、もう少し温暖化係数の高い気体を開発し、将来の「氷期」を見据えて準備する必要があります。

 都市全体を隕石や巨大な雹の落下でも壊れないドームで覆うのも良いのですが、その為には大量のエネルギーを使用するので、現在のように「再生エネルギー信奉者」が湧いている状態では難しいかもしれません。

 現在流行の水素エネルギーを大量に使用すると水蒸気が発生して温暖化するのですが、上空で冷やされて巨大な雹が生成されます。雹が落下すると「ウイグル製のソーラーパネル」も破壊され毒物が漏出しますが、現在の所その処理方法は確立していないようです。

 「人権派=環境活動家」の方々には、是非とも来たる「氷河期」に備える為に、侵略者による人権侵害に協力しない範囲での、対応策を考えて貰いたいと思います。




2 コメント

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Unknown (sekoisyougioyaji)
2022-06-12 12:00:43
氷河期は数年間で平均気温が10度近く気温が変動するため、農業ができなかった。という説もありますね。
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Unknown (yk-soft-85)
2022-06-13 08:10:37
セコイさん、お早う御座います。

氷河期の氷期は、狩猟採集社会ですね。
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