オメガねこ

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「倫理」 と 「道徳」 ⑤

2021年09月21日 | 倫理・道徳
  世の中には私の様に「偏屈な人」も多いとは思いますが、実は、それは「自分に素直(能動的)」だからです。

 逆に「素直な人」は、例えば、敵対する人の主張でも「素直(受動的)」に受け入れます。それは「自分に素直」ではないからです。

 多くの人が良いと思う事象を「倫理的」と言います。例えば、国民の多くが「開戦すべき」となびいた時の「倫理的行為」は、戦争に参加する事になります。これは民主的でもあり、総体として否定は出来ないのですが、ここに「偏屈な人」が入り込むと厄介なことになります。

 その「偏屈な人」が信念として「戦争に反対」ならば、自分に素直な行動は「非倫理的」な行為を取る事になります。但し、それは「道徳的」です。

 以前、「中国が攻めて来たら、直ぐに白旗を上げれば戦争にはならない」と言ったテレビタレント(才能が有るかどうかは分からない)がいましたが、この人は「素直(受動的)で良い人」かも知れません。しかし、経験にでは無く歴史に学べば、それは更なる戦争を誘発し、終戦後の粛清・虐殺が待ち受けている事は容易に理解できます。

 タレントの無い「タレント」にこれを理解させるのは困難なので、如何に偏屈な私でも閉口します。これは「道徳観(他人の道徳)と道徳感(自分の道徳)の違い」なので、説得する事は出来ません。

 そこで「倫理」が役に立ちます。凡そ「タレント」と自称する輩は「倫理」を持ち出されると日和ります。勿論、タレントのある「タレント」は、それにもめげずツッパるのですが、多くの場合はテレビ画面から消え去ります。

 この「倫理」を最大限に利用したのが「西洋型(戦後)民主主義」です。その過程や善悪は兎も角、結果として最大多数を得た事象を「倫理的」とし、国民を強制します。

 カメの鼻にストローが刺さっていたり、魚の内臓からプラスチックが出てきた映像を見せ付けると、プラスチック製品の使用は「非倫理的」とされ法制化されます。石油精製時の廃棄物から製造されたレジ袋を使わないで、その多くは有用な石油製品から製造されたマイバッグを使用すると云う「非合理」が蔓延ります。

 これは「倫理観」が勝利した一例ですが、「非道徳」です。例えば、カメの鼻の穴にストローが偶然入る確率と「人間がカメの鼻にストローを故意に差し込む確率」、或いは、自然の好きなダイバーがサンゴ礁に傷を付ける確率と「新聞記者がトピック欲しさや世論誘導の為に、自らサンゴに傷を付ける確率」。これらを考えると、「倫理」とは単なる思い込みを利用した民主主義的な誘導に過ぎない事が分ります。

「常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」
           by Albert Einstein

「倫理とは、十八歳以降に身につけた偏見のコレクションのことをいう。」
「道徳とは偏見そのもので、生涯自分を自分たらしめるアイテムである。」
           by Arbeit Einstein




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