goo blog サービス終了のお知らせ 

オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「民族」 と 「民俗」 Ⅱ

2020年02月15日 | アイヌ
 【ネタ切れに付き、過去記事の「編集・加筆」です。】

 古代日本(大和以前)には和人や熊襲・隼人など、多くの民族が有りましたが、大和として統一したとされています。7世紀ころになると、国号を「日本」と定め、大和時代の各民族は日本人になりました。これは既に日本民族と言えますが「民俗」の違いは当然残っていたと思われます。

 「琉球民族」と云う分類をする人もいますが、古来から平安言葉を話していて日本文化圏に在り、風習の違いがあるので「琉球民俗」と言うべきです。琉球国を「琉球王国」と言って、琉球は「現代で言う、独立王国」だったと言う人もいますが、1429年から1879年までの間に琉球王を名乗る統治者が居ただけであり、「琉球王国」と云う名称は歴史上の記録としては存在しません。

 与那国等も「当時の意味では独立国」でしたが、琉球国により支配下に置かれました。つまり、琉球国自身が他国を支配下に置く事を当然と思っており、琉球が1609年に薩摩藩に帰属した事実も歴史的には必然と言えます。当時の薩摩藩の領地(施政下)には薩摩国や大隅国・日向国もあり、琉球国もその一つに過ぎません。若しこれが過ちだとすると、琉球国による与那国の支配も「取り返しのつかない過ち」となります。地名に国が付いているからと言って「現代の意味で言う独立国」では有りません。

 「アイヌ民族」は、遺伝子情報から和人や琉球人と同様に縄文の血を継承している事は証明されていますが、言語体系や文化が違うので同様に考える事は出来ません。8世紀に完成した日本書紀にも北海道(当時は「おしま」)の事が書かれていて、蝦夷(えみし)と和人の交流が有った事が窺え、和人も北海道に居住していた事が判ります。
 科学的にも、北方領土や利尻島など北海道に付属する島から「(続)縄文期の遺構」が発見されている事からも、2000年以上前から北海道とその周辺地域には、現在の日本民族に繋がる人達が住んでいたことは証明されています。

 北海道のアイヌの歴史は13世紀まで遡る事が出来て、14世紀には和人専用の居住地が北海道南部に在ったことも判明しています。「アイヌ民族」は、元々北海道に居た縄文人とシベリアやオホーツクから来た他民族との混交が進み、独自の文化習俗を発展させたと思われます。
 この古来の「アイヌ民族」が「北海道の先住民族」と定義できるのなら、「アイヌ民族」と「大和民族」との混交が進み「純粋なアイヌ民族」が居なくなった現在においては、新民族が誕生したとも言えます。この新民族には「アイヌ民俗」の習俗もまだ残っていますが、アイヌ系の「日本民族」です。つまり、北海道の「先住民族」は、当然ですが「日本民族」と言えます。

 憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 憲法第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 つまり、憲法では「日本国民は、個人として尊重される」のであって、例え人種・民族の違いが有っても区別・優遇の対象にはなりません。当然ながら、「女民俗」「男民俗」「アイヌ民俗」「大和民俗」等は今でも存在しているので、「日本民族」として尊重される必要があります。しかし「先住性」と云う理由で補助金などを支給する事は憲法違反になります。「男女平等」を主張するのなら「民俗」もその属性に拘わらず「平等(同一ではない)」でなくてはなりません。

 北海道に古くから住んでいたと云う理由ならば、「縄文人」や「和人」も「アイヌ民族」が歴史上に登場する以前から、北海道周辺には居住していた事が分かっているので、古来から住んでいた「北海道居住の大和民族」にも分け隔てなく国費を投入する必要があります。
 「アイヌ文化振興法」が有るのに「和人文化振興法」や「隼人文化振興法」等が無いのは憲法違反に当たります。若し、「熊襲」や「隼人」等がすでに存在しないと言うのなら、「アイヌ」も存在しません。いても「熊襲系日本人・隼人系日本人・アイヌ系日本人」であり、全て「日本人」です。

 憲法を順守するのなら、其々に「文化振興法」で国費を投入必要が出て来ます。或いは、憲法を「外来民族の子孫には特別な予算措置を必要とする。」と、改正する必要があります。


「アイヌ犬」 と 「北海道犬」

2020年01月23日 | アイヌ
 ソフトバンクのCMに出てくる「お父さん」は「北海道犬」ですが、昔は「アイヌ犬」と呼ばれていました。私は小さい頃に「アイヌ犬」に噛まれて痛い思いをしましたが、お詫びとして飼い主から貰ったお菓子の方が嬉しくて、今でも犬は大好きです。

 これは数十年前の話ですが、その時は皆「アイヌ犬」と呼んでいました。しかし、今では「北海道犬」と呼びます。この「犬種(名)」の経緯には幾つかの説があり、定かではありません。年代順に書くと、

① 縄文時代:縄文人と共に日本中(北海道~沖縄)に生息していた「縄文犬」が「北海道犬」のルーツとする説。
② 弥生時代:外来犬と「縄文犬」の混血が進んだが、北海道と沖縄は離れているので「縄文犬」の血統が維持されたとする説。
③ 1869年 :イギリスの動物学者トーマス・W・ブラキストンにより「アイヌ犬」と命名される。
④ 1937年 :文部省によって天然記念物に指定され、正式名称を「北海道犬(ほっかいどういぬ)」と定める。

 ①②は、田名部雄一教授が犬の血液分析をおこない、「琉球犬」と「北海道犬」に類似が見られることから導き出された仮説ですが、現在遺跡から見つかっている「縄文犬」の骨と、「北海道犬」の体格や骨格の特徴とに類似が見られず、またミトコンドリアDNAの解析でも異なる結果が出ています。

 現在では、「縄文人」と「弥生人」は単に「民俗」が変化しただけであり、確定的な「民族」の違いは無いとされています。この事から推察すると、狩猟採取が中心の「縄文民俗」と共に生き残った犬が「北海道犬」で、「農耕定住」に移った「弥生民俗」にとっては猟犬は不要になり、犬種の分化が進んだと思われます。

 別の説では、鎌倉時代以前後に本州では不要になった猟犬が、和人と共に北海道へ移動したとされ、この時の猟犬が「北海道犬」の祖先ではないかとも言われています。これは、「シシャモとやなぎ」で書いた、「柳の中国原産説」とも一致します。つまり、北海道の先住性は「民俗」で言うと「縄文人⇒和人⇒和人+アイヌの人々(北方系民族も含む)⇒日本人」の順と云う事になります。

 ③が正しいとすると、「アイヌ犬」と命名されたのは明治2年で、しかもイギリス人によってです。

 正確な年代は忘れましたが、一時期、一部のアイヌの人が”アイヌ”を「アイヌ(良い人)ではなく、ウタリ(同胞)と呼ぶように」と主張し、1930年に設立した「北海道アイヌ協会」も1961年には「北海道ウタリ協会」に改称され、また理由は分かりませんが、2009年には元の「北海道アイヌ協会」に戻しました。子供の頃だったのでハッキリした記憶にはありませんが、この事が理由で ④ の、「アイヌ犬」を「北海道犬」に変えた、と聞いたような気もします。

 この時に「北海道犬」ではなく「ウタリ犬」にすれば、意味は「同胞の犬」になるので、犬好きな日本人にとっては良かったのかも知れませんし、「アイヌ犬」のままだと、その意味は「良い人の犬」なので、ソフトバンクの「お父さん」にピッタリですw

 何れにしても、イギリス人に与えられた「アイヌ犬」の犬種名を、日本人の意志で「北海道犬」に変えたように、アメリカ人に与えられた「昭和憲法」も、日本国民の意志で「令和憲法」に変えたいものです。


「ポピュリズム」 と 「ナショナリズム」

2020年01月18日 | アイヌ
  ポピュリズム(①はWikipedia):
① 一般大衆の利益や権利を守り、大衆の支持のもとに、既存のエリート主義である体制側や知識人などに批判的な政治思想、または政治姿勢のことである。
② 政治指導者が(一部の)大衆の一面的な欲望に迎合し,大衆を操作することによって権力を維持する方法。大衆迎合主義。 

 「ポピュリズム」の本来の意味は①で、「大衆主義(非エリート主義)」の政治運動の事でしたが、最近では、②の意味で使われます。②は、正しくは「ポピュラリズム(大衆扇動主義)」と言うべきで、政治手法としては、ポピュラーな人、例えば芸能人などの有名人を利用して大衆を扇動し政治的勝利を得る手法です。大衆に迎合するのではなく、大衆を迎合させる政治で、最近では小泉首相の「自民党をぶっ壊す、郵政民営化」が有名です。

 外国の例では、ナチスなどの民族主義(ethnic populism)や、中共などの国家主義(national populisum:statism)もありますが、これらは「ナショナリズム」とは正反対の概念です。日本語では「ナショナリズム」を「国家主義」と訳される場合も有りますが、否、寧ろその場合の方が多いのですが、明らかに誤訳です。

 パトリオティズム(patriotism)が「生まれ育った土地に対する愛着心」と訳せるように、ナショナリズムは「生まれ育った国に対する愛着心」と訳すべきで、これをサヨクは「(自国)一国主義者」と意図的に誤訳して広めた為に、混乱が生じています。

 ヒトラーはオーストリア人なので、ドイツ国に対する「ナショナリズム」は考えにくく、アーリア系(当時は白人の意味)・ドイツ民族としての優越民族主義者です。ヒトラーが「黄色人種である日本」との三国同盟を受け入れたのも、明治維新前後の探検家によって「北海道アイヌ」が「白人種」ではないかとの噂が欧州に広まった事がその理由ではないかとする説もあるくらいです。但し、アイヌとは言っても多くの部族がいて、言語も習俗も違うので、一纏めにする事は出来ません。シベリア系の「アイヌ」が、若しかしたら「白人」に見えたのかもしれません。

 アーリア人は「イラン~インド」地域を出自とする民族集団で、欧州にも拡散していきましたが、この事をヒトラーは知らなかったようです。その上、「ポピュリズム②:ポピュラリズム」でナチスが誕生したのが悲劇の始まりでした。若し、ヒトラーがドイツ生まれで「ナショナリズム」の持ち主だったら、多くのユダヤ人は虐殺されなかったかもしれません。

 日本政府が「和人以外の人々」を「アイヌの人々」と一纏めにしているので、本来は「アイヌ」ではない「ニブフ」や「ウィルタ」等も、ここでは「アイヌの人々」と書かざるを得ません。「アイヌ協会」が認める人だけが「13世紀から蝦夷に住み始めたアイヌの子孫」ではないし、一万年以上前から北海道には縄文人が住んでいたことも科学的に明らかです。

 「アイヌは先住民族」とした「アイヌ新法」は、ほゞ全会一致で成立しました。ヒトラー・ナチスの様に、無知によって民族を「新しい定義」で創り出す事は国民の対立を惹起します。これを防ぐには、「ナショナリズム」によって、日本人は全員「日本民族」とすべきです。


「放送禁止用語」 と 「法律用語」

2020年01月17日 | アイヌ
 「乞食(こじき)」は放送禁止用語とされていますが、禁止されるのは「乞食」に対して使った場合なのか、或いは「乞食でない人」に対して使った場合なのかは判りません。と、言うのも「こじき」は法律用語なので、若し「こじき」と云う言葉を放送できなければ、国民が「乞食」に対する犯罪成立要件を知ることが出来ないからです。報道機関は民主主義の基本である「法治」を否定していると言えます。

  軽犯罪法 第1条  
 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
 二十二号
こじきをし、又はこじきをさせた者

 「乞食」とは(Wikipedia)「路上などで物乞いをする行為。具体的には他人の憐憫の情を利用して自己のために金銭や物品の施与を受けることをいう。」とあります。簡単に言うと「憐れみを利用して施しを受ける事」です。例えば、おカネを落とした人に対し「可哀そうにと思って、金品を与える」と、おカネを貰った人は拘留されるかも知れません。その事態を防ぐには、嘘でも良いので「必ず、お返し致します」と言えば、取り敢えず罪に問われる事は有りません。

 大東亜戦争では、日本であった韓国や、「長征中」の中共とは、多少の小競り合いは有りましたが、戦争をしたことがありません。それでも多くの日本人は、「戦争中は可哀そうなことをしたので、経済援助をすべきだ。」と言い、中国人や韓国人を「乞食扱い」にし、名目は違いますが実質的な「戦後賠償」を支払いました。戦後の日本人は「相手を見下す」言い方を平気でしますが、「戦後賠償」を受け取った人は日本人ではないので「軽犯罪法」で逮捕される事は有りません。

 この傲慢な日本人には、実は「キックバック(政治寄付金)」や「援助資金による開発」による迂回資金で利益を得た人も多くいます。つまり、「乞食」からカネを巻き上げた日本人です。

 国内でも、同じような構造の「利権政治」が行われています。多くの「アイヌの人々」は当然乍ら日本人として普通に暮らしていますが、「外国勢力に誑かされたアイヌらしき人々」に対して、特別な法律を制定して税金を投入し、「乞食資金」を巻き上げようとする政治家も散見されます。「アイヌ協会」の会員数は3000人ほどで、「アイヌの人々」の一割以下です。「アイヌの人々」の内、北海道に住んでいて「アイヌの血を引く人」は16,786人(H25年調べ)ですが、定義の無い「アイヌの人々」の人数は、「血統アイヌ」の人数の数倍は居るとされています。

 「アイヌ協会」から差別を受けている「アイヌ系日本人彫刻家の砂澤陣氏」は、「最大のアイヌ団体である北海道アイヌ協会の行為が《弱者の自立心を奪い、補助金漬けにしながら、彼らを利用し、『まだまだ差別が存在する』と弱者利権を貪っている》」と批判しています。
 参考:
「アイヌ協会」の副理事長阿部一司(通称:阿部ユポ)氏が「アイヌの人々」に含まれるかどうかは判りませんが、少なくとも「血統アイヌ」では無いようです。また、北朝鮮発祥の「
主体(チュチェ)思想研究会」の関連組織である「自主の会(東京都豊島区南池袋2-32-6-502)」のホームページに「アイヌ民族は誇りある日本の先住民族」と云う記事を載せています。


「シシャモ」 と 「やなぎ」

2020年01月11日 | アイヌ
 「シシャモ」には「本シシャモ(柳葉魚)」と「樺太シシャモ(カペリン)」があり、「カペリン」は形は「柳葉魚」に似ていますが、味は「キュウリウオ(胡瓜魚)」に似ています。

 「アイヌの伝説」(Wikipedia)では、

(アイヌの)神様が食べ物に困っていた人間(アイヌ)達に食糧を与えようとして、楊の葉を川(鵡川)に流したところ、「ススハム:(スス=楊)(ハム=葉)」になったという。

と書かれていますが、「楊の葉」が「楊葉」に成っただけで、これでは魚になったかどうかが判りませんが、兎に角、この「ススハム」が「シシャモ」の語源であるとされています。勿論、「アイヌ」と言っても、大きく分けても8部族ほどあったので、様々な他の伝説もあります。

「シサク(美しい)」「シサム(隣人:シャモ、和人)」・・・

 また、アイヌ言語学者の知里真志保は、「柳」とは関係なく、「巫・神・川」を意味するトゥスランペツがシュシュランペツに訛り、スシュラム が スス・ハム(楊・葉)となって「柳葉伝説」が生まれたと推測しています。

 「やなぎ」には「柳」と「楊」があり、「枝垂れヤナギ」を「柳」と書き、「枝垂れないヤナギ」を「楊」と書くそうです。私は「楊」と書く「やなぎ」は知りませんでしたが、「ネコヤナギ」などの様に枝が立ち上がる種類で、葉は小さく「シシャモ」に例えにくい形をしているので、「柳」が正しいと思います。

 「柳」は中国原産で、日本には「奈良時代」に入ってきた外来種だそうです。これが正しいとすると、西暦700年以前には日本に「柳」が無かった事になり、「アイヌ」が現れる西暦1200年までの500年間に北海道まで「柳」の植生域が広がったことになります。しかし、「柳」は植栽で広がる場合が殆どなので、500年の間に和人が北海道(蝦夷)の東部まで苗木を持って行ったと考えられます。この時の和人が「コロポックル」だったかも知れません。

 若し、そうでないとしたら、「柳の中国原産説」は誤りと言え、その場合は、「柳」は蝦夷地原産で、「シシャモ伝説」は和人とは関係なく考え付いたと言えます。但し、この場合でも「スス(柳)の下でシャモ(和人)が魚を獲っていた」のを見て「スス・シャモ」と言い、これが「シシャモ」に変化したとも考えられます。