続々・異風塵の雑記帳☆

プロバイダー変更に伴い前のブログが存続不能となりました。
このブログでは飼い猫の話、つぶやき、趣味の短歌を掲載します。

飼いネコの歌(3)☆

2016-09-29 09:40:11 | 日記
前回の続きです。ネコは中々巧緻に長けた生き物です。
飼い主がどの程度ネコに寛容なのかを日々テストしてるようです。
そんな賢いわが家のチャムやんですが偶に失敗することがあります。
本箱の上で寝ていて、寝返りを打った際に落下したりします。
サルだけではなくて「ネコも木から落ちる」のです。
失敗した時のネコの戸惑った姿も中々の見ものです。
最初の歌はそんな情景を短歌にしたものです。

寒くなって来るとチャムやんはわたしの胡坐の上にやって来ます。
頭を撫でてあげると下からわたしを見上げますが、
その時の視線が何とも意味深なのです。
「死ぬまで面倒見てや」と訴えるような感じがします。
後の歌はそんな状況を短歌にしたものです。どちらも2010年の作です。


 「ドサッ」という音に驚き振り向けば夢見心地のネコ落ちし音


 胡坐より吾を見上げる眼差しは猫とは思えぬ賢者の風情

                         異風塵



飼いネコの歌(2)☆

2016-09-23 20:40:45 | 日記

きょうのネコの歌は2010年に作ったものです。
ネコの寿命は15年前後らしいのですが、
飼い猫の場合はもう少し長生きするようです。
実際わたしの実家で飼っていたネコ達は、
20歳を超えて長らえていたのが3匹おりました。
現在わが家の飼い猫・チャムやんは、推定年齢12、3歳です。
20歳まで8年前後です。その頃、わたしの年齢は73、4歳です。
わが家は早死にの家系ですのでわたしの方が先に逝く確率は高いのです。
そんな不安を歌にしたのが最初の歌です。

今は年金暮らしのわたしですが、この歌の当時はまだ仕事をしていました。
朝早く起きて6時過ぎには家を出て仕事に向かっておりました。
わが家のチャムやんはそれを理解していたのかどうか、
少し早目の4時過ぎにわたしを起こしに寝床にやって来たものです。
最もわたしが出掛けた後は、チャムやんは一日中グーグー寝てますが・・・
後の歌はそんな様子を短歌にしたものです。


 還暦をネコとふたりで迎えおりあの世に往くはどちらが先や

 枕辺に身体擦り付け吾起こすわが家のネコは4時過ぎに起く

                         異風塵

飼いネコの歌(1)☆

2016-09-19 15:07:40 | 日記
7年前、わたしは現在の古いマンションに引っ越して来ました。
以前の住人がネコ好きだったようで、ベランダに出るアルミ戸には、
ネコが自由に出入り出来るように小さな開閉口が作られてました。
この出入り口を見た瞬間、またネコを飼ってみようかなと思い立ちました。

引っ越しが落ち着いた頃、わたしはインターネットでネコ探しを始めました。
ボランティア団体のホームページには沢山のネコやイヌ達が掲載されてました。
当初は子猫を重点的に探したのですが、子猫は貰い手が多くて失敗しました。
そこで大人のネコ探しに切り替えました。途中の経過は省略しますが、
間もなく見つかったのが現在わが家にいる「チャムやん」です。

チャムやんはシャムミックスの推定年齢5、6歳のメスネコで、
譲っていただいたボランティア団体によると臆病な性格だということでした。
ボランティア団体の方からは、
大人のネコはなじまないケースがあるということでしたが、
幸いわたしに上手くなついてくれました。確かに臆病な性格のネコでした。
当初はベランダに出るのも怖がっていたくらいでした。
チャムやんが自らの意志でベランダに出るのに3か月程掛かったように記憶します。
それ以来、わが家のネコを主題にした数多くの短歌を作りました。
今回ご紹介する2首は、チャムやんがやって来た当初の頃の歌です。

 三つ指を突いて見送るその様はわが妻のよう6歳のシャム

 ベランダでわが愛猫は風を嗅ぐあたりに住みし仲間捜すや

                         異風塵


               

旅の思い出の歌(5)☆

2016-09-12 10:47:50 | 日記
先日、南半球のニュージーランド付近でマグニチュード7の地震がありました。
震源域は北島の南側の沖でした。北島の東端にはギズボーンという市があります。
1995年の後半、わたしはこのギズボーンに約5か月滞在していました。
当時お世話になったギズボーンの人々のことが気になりネットで調べました。
幸いなことには人的被害は余り無かったようで安心しました。

ニュージーランドには先住民のマオイ族の末裔の方々が住んでおられます。
主にヨーロッパ系の人達との混血が進み、現在は純粋なマオイの人達は皆無です。
しかし、マオイの末裔の方々の中には、今もマオイの伝統に則った、
顔面に美しい入れ墨(タツー)を入れた人達が街中を普通に歩いておられます。
マオイ族の挨拶は鼻と鼻をくっ付け合う習いとなってます。
観光で北島にあるロトルアを訪れたときにマオイ族の伝統の踊りを見ました。
その際、私自身、鼻と鼻をくっ付けてタツーの顔の勇者と挨拶を交わしました。

ギズボーンでは2か所の民家にホームステイをしていました。
2軒目のお宅にはテリアの雑種の年老いたメス犬がいました。
年寄の割には気が強い犬で名前を Babah と言いました。
この Babah がわたしによく懐いてわたしのベッドによくやって来ました。
後日談ですが、わたしが使っていたベッドがこの犬の寝床だったらしいのです。
以下の短歌は2009年頃に作った歌です。

 初体験鼻と鼻とをくっ付けて挨拶交わすマオイの勇者と

 Babah というメス犬吾に懐きおり14年前のニュージーランド

                           異風塵



山頭火の俳句(2)☆

2016-09-08 10:15:51 | 日記
貧乏という概念は今の人達にははるか彼方の言葉かもしれません。
しかし、豊かな日本も100年前は貧乏な国だったのです。
東北地方の農村部ではお米を食べることさえ出来なかったのです。
現在の人達はごはんだけの食事など喉を通らないと思います。
おかずのない食事など想像外だと思いますが
当時はごはんそのものがごちそうだったのです。

中国の農村部では100年前の日本の人達と同様に、
貧困にあえいでいる人達が今も存在するようです。
いつの時代も格差はありますが、現在中国の都市部と農村部では、
比較にならないほどの格差が生じているようです。
共産党政権は自らの生き残りのために弾圧・懐柔に必死です。

貧乏・貧困というのは経験したことがないとなかなか理解できません。
つい最近まで、日本には貧乏な人達が数多く存在したのです。
「ひもじさ」という言葉は現在の日本では死語のようですが、
山頭火の句を読んで少し自らを戒めていただければ幸甚です。


  空のふかさに落ち葉しづんでゐる

  月夜、あるだけの米をとぐ

  ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯

  ともかくも生かされてはゐる雑草の中

  御飯の白さ胡麻塩ふりかけていただく    山 頭 火