続々・異風塵の雑記帳☆

プロバイダー変更に伴い前のブログが存続不能となりました。
このブログでは飼い猫の話、つぶやき、趣味の短歌を掲載します。

ブログの効用☆

2016-08-28 14:20:49 | 日記
今から20年ほど前(40歳半ばの頃)のことですが、
わたしは自覚症状として若年性の痴呆になりかけたことがありました。
医者に行って診断を仰いだわけではないので、それが果たして、
医学的な痴呆であったのかどうかは今となっては不明ですが、
確かにその時期記憶障害を起こしていたことは間違いありません。
簡単なことが思い出せなかったり漢字が書けなかったりで、
「ええ、何でやねん?!」と恐怖を覚えたものでした。

「これはえらいことや?!」と思ってあれこれ打開策を考えました。
脳を活性化するには指を使うのが良いらしいので、
指を動かすパソコンを使って文章を書くことに決めました。
丁度この頃、廉価なパソコンが出始めた時期でしたので、
早速IBMのデスクトップ型パソコンをを購入しました。
幸か不幸か失業中でしたので時間はたっぷりとありました。
1年間の無料電話相談を利用して、無知をさらけ出して、
一からパソコンの勉強を始めました。IBMの電話相談の方には、
ただただ感謝あるのみです。何度も閉口されたことでしょう。
パソコンに取り組んだお陰で現在、記憶の方は正常に戻っています。

そんな訳でブログを書くのは一種の脳トレだと思って書いてます。
還暦を超えると老化もあり記憶が悪くなったり、
文章を書くことが億劫になりがちです。
わたしは現在このブログを週1回程度新規投稿したり、
写真の投稿サイト「ネコジルシ」にわが家のネコ達の写真を投稿し、
若干の文章を付してボケ防止に励んでます。友人に対しても、
電話ではなくて出来るだけメールを出してくれるように頼んでます。
返事を書くのが面倒になったら今度は本当の痴呆の発症だと思ってます。

珈琲の出し殻の転用☆

2016-08-22 15:47:36 | 日記
わたしは珈琲が好きで暑い夏でもホット珈琲が欠かせません。
主にフィルターを使って珈琲を淹れていますが、
珈琲の出し殻が結構な量になります。当初はこの出し殻を土に混ぜて
堆肥様のものを作ってベランダのプランターに再利用してましたが、
それでも出し殻の処理が追いつかなくて結局ゴミとして捨ててました。
最近この珈琲の出し殻の新たな利用法を思い付きました。

珈琲の出し殻を天日干しした後、
わが家のネコ達のトイレのネコ砂に混ぜて再利用しています。
珈琲の出し殻には脱臭作用があるようでネコトイレの臭い取りになります。
ネコを飼っておられる方ならお分かりだと思いますが、
ネコ砂も結構使用しますのでその金額も馬鹿になりません。
珈琲の出し殻はネコ砂の量を少しですが増やしてくれますし、
経済面でもかなり効率的です。同様にお茶のパックも天日干しした後、
ネコ砂に混ぜて珈琲の出し殻と合わせて再利用しています。

ついでながら申しますと、
わたしの着古した下着類はネコの寝床の敷布に転用しています。
わたしのように還暦を超えた人間は勿体ない精神が旺盛で、
簡単に物を捨てることが出来ないのです。
使えなくなった品物を再利用出来ないかと自然に考えてしまうのです。
この勿体ない精神が家中に不要な物を増やすことにもなりかねませんので、
やはり整理をして破棄するものは破棄することも不可欠です。
ゴミ屋敷の住人も最初は勿体ない精神から始めたのが、
結果的に大きく脱線してしまったのかもしれません。






「映画 中村勘三郎」☆

2016-08-17 10:14:35 | 日記
1年半前に仕事をリタイアしてから一層テレビを観る時間が増えてます。
大概は録画して暇な折(いつも暇ですが)に視聴しています。
仕事を辞めた時、直ぐに1GBのハードディスクを購入し、
次々に番組を録画しています。しかし、すべての録画した番組を
観るのは至難の業で、結局観ることなく消去した番組もかなりあります。

先日BS放送で「映画 中村勘三郎」というドキュメンタリータッチの
番組を録画したのを最近観ました。十八代目の中村勘三郎は、
2012年12月に病気で亡くなりました。享年57歳でした。
わたしより5歳も若いのに亡くなってしまいました。
十八代目中村勘三郎は、偶然ですが誕生日が私と同じ5月30日なのです。
わたしが彼を見るのは専らテレビです。勿論、彼と面識はありません。
しかし、わたしは彼が前名の勘九郎を名乗っていたころからの顔馴染みでした。

三船敏郎主演の「風林火山」という映画がありましたが、
三船敏郎演じる山本勘助が武田家の跡取り勝頼を守護する内容の映画です。
映画で武田勝頼役を演じていたのが幼い頃の中村勘九郎だったのです。
十八代目の中村勘三郎は子役の頃から映画に出ていたので、
わたしなどは中村勘九郎の方が馴染みが深いのです。
晩年も結構テレビで主演を演じておりました。
浅田次郎作の「天切り松 闇がたり」など思い出深い作品でした。

還暦を超えた今もわたしは生の歌舞伎を見たことは一度も無いのですが、
テレビでは結構観ています。歌舞伎の演目がどうのこうのというより、
雰囲気や伝統芸能としての存在に興味を覚えるのです。
歌舞伎には独特の襲名披露という儀式があります。
襲名披露の際の歌舞伎役者の口上など面白いなあと思って観てます。
歌舞伎は役者だけでは成り立ちません。
多くの裏方さんの陰の支えがあって初めて成り立つ伝統芸能です。
十八代目勘三郎さんは若くして亡くなりましたが、
子役の頃からの活躍を考えたらその一生は充実していたと言えると思います。
ただ長らえるだけの人生も一生なら、惜しまれて早世するのも一生です。
生きるということは考えれば難しいことです。





旅の思い出の歌(3)☆

2016-08-11 15:11:38 | 日記
前回の続きです。シルクロードのウルムチでのエピソードです。
バザールを一人で散策しているときのことでした。
空気は乾いているのですが気温が高いため喉が渇きました。
そんな時、バザールの一角に山積みのリンゴが目に入り、
一つ買いました。適当にリンゴの表面を拭って丸齧りしました。
最後にリンゴの芯の部分が残り、さてどこに捨てようかと迷っていると
傍の驢馬と目が合いました。恨めしそうにこちらを見つめている驢馬に
リンゴの芯をそっと差し出すと一口でパクッと食べました。
きっと喉が渇いていたのでしょう。わたしの貴重な思い出です。

訪れた時期は、ウルムチは丁度葡萄の収穫期であったようです。
道の日除けの葡萄棚にも収穫漏れの葡萄の房が少し残っていました。
緑色の小粒の一房を背伸びして取り、こっそり頂戴しました。
空気が乾いているので葡萄の実の甘さが口中に広がりました。

これらも日本に帰ってから当時のことが思い浮かび作った短歌です。

 差し出せしリンゴの芯をパクッと食う驢馬の流し眼ここはウルムチ

 背伸びして葡萄棚より失敬す緑の宝石小粒で甘し

                      異風塵


旅の思い出の歌(2)☆

2016-08-08 20:51:49 | 日記
今から15、6年前になるでしょうか、わたしは、
シルクロード10日間?の旅というツアーに参加しました。
中国の西安からシルクロードのウルムチに至る旅です。
この種の旅にしては旅程が2日間少ない忙しい旅でした。
ウルムチはイスラム教徒の多く住む場所で中国というよりは、
やはりイスラム圏の国の趣がありました。

西遊記のモデルである玄奘がインドに経典を求める途中に
この地を訪れた歴史上有名な場所です。
玄奘が訪れた当時は楼蘭というオアシス国家でした。
シルクロード交易で栄えた国で美人の多い地域です。
確かにシルクロードには民族が混じり合った美人が今も存在します。
最も玄奘が帰りに訪れたときは、既に楼蘭は滅んでいたようです。
この場所には当時の面影を残す高昌故城という遺跡群があります。
赤土で出来た城郭跡に残る土の塊が往時を微かに偲ばせていました。
わたしが訪れたときは、観光客もまばらで自由に城郭の中を
見て回ることができました。途中で尿意を催したので、
城壁の傍に立ち小便をさせて貰いましたが懐かしい思い出です。
(注:本当は禁止行為です)

この旅から帰国後、何年か経過したとき以下の短歌を作りました。

 今まさに高昌故城訪れしかの玄奘も立ち寄りし場所

 灼熱の砂漠の中に立ち尽くすまるで土くれ烽火台跡

                     異風塵