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財団日報

月4回が目標です

逃亡

2007-03-19 15:04:45 | Weblog
 新聞を見たら、警察庁の広告が出ていた。

「逃亡中のオウム事件容疑者を捜しています」

 その写真にはその容疑者の名前は出ていたものの、顔写真はなかった。これまでに掲示したポスターや広告で顔は国民に周知されているという判断だろう。私も、とくに女の逃亡者の顔ははっきりと覚えている。街ですれ違えば、すぐにわかると思う。

 もう一人有名な逃亡者が日系人の「オイ!小池」。オイという名前は珍しいが、母国ではよくあるのだろうか。名前の真ん中に記号をはさむという手法が、「つのだ☆ひろ」よりも先だったのか後だったのかが気になるところだ。

 さて、オウム犯人にせよオイ!小池にせよ、顔が知れ渡っている状況で何年も逃げ続けているというのはどういうことだろう。

 考えられるのは整形手術だが、映画やドラマのなかならともかく、いまの日本にモグリの美容整形外科医がいるとも思えない。通報されるリスクを犯してまで、逃亡者が整形手術を受ける可能性は低いように思う。

 彼らは、常に表情を作ってから外出しているのではないだろうか。同じ人物でも、怒っているとき、悲しんでいるとき、笑っているときでは、顔のつくりが大幅に異なるものだ。たとえば指名手配のポスターに写っているのがにこやかな顔なら、四六時中怒っていることで正体がばれるのを防ぐことができそうだ。

 しかし、人間、四六時中怒っていることができるだろうか。いや笑いでも泣きでもいいのだが、人間の感情は時間とともにマヒしてしまうので、同じ表情を保っているのは難しい。自然な表情に戻った瞬間に「あ、指名手配中の容疑者だ!」と指を刺されないとも限らない。

 そんな状況で役に立ちそうなのが顔マネだ。何時間も続けて怒った顔でいるのが難しくても、(コロッケ風の)ちあきなおみの顔なら、何時間も続けていられるのではないか。愚鈍な表情で藤山寛美みたいに「あーもしもし」と話しかけるよう心がけていれば、万一警察に通報されたとしても、「いまオール巨人みたいな人を見たんです」で済みそうだ。

 ということで警察庁は「あなたの周辺に有名人の顔マネばかりしている人はいませんか」という広告も打つべきだと思う。

択一

2007-02-02 12:41:01 | Weblog
 台所で皿を洗い終わり、蛇口のレバーを動かして水を止めようとしたら、逆に勢い良く水が流れてきて、跳ね返った水で服がびしょびしょになることがある。私が住んでいるマンションの台所では、レバーを上げると水が止まり、下げると水が出るしくみになっている。昔住んでいた台北の家で、逆のしくみの蛇口を使っていたためだろう。もう3年になるのに、くせが抜けない。

 私の母方の祖父、ということは先日書いた母方の叔父の父親は、私が幼いころに死んだのであまり思い出はないのだが、一度だけ一緒に出かけた。祖父はエレベーターに乗る前、上・下のボタンを普通とは違う方法で選んで押していた。上に行きたいなら上、下に行きたいなら下のボタンを押すのが正しいが、祖父はいま立っているフロアーよりもエレベーターが下にある場合には下を、エレベーターが上にある場合には上を押していた。建物の下のほうにいるときにはエレベーターで上に行こうと考える確率が高いから、結果的に祖父の判断が正しくなることが多いのだが、必要以上に待たされることもあったはずだ。もっとも祖父が元気だったころ、この街にはエレベーターを備えた建物はほとんどなく、祖父は最後まで間違いに気がつかなかったのだろう。

 さすがにエレベーターは間違えないが、二者択一式の操作や行動で選択を間違えることが多い。車のハンドルの右側についているレバーでウィンカーとライトを、左側のレバーで前後の窓についているワイパーとウォッシャー液を操作できることは知識としてはわかっている。それでも昨日、ガラスの汚れを取ろうとして前の車にパッシングしてしまった。パッシングを取り消すためにパッシングやクラクションを使うわけにもいかず、私としては大量のウォッシャー液を発射し、ワイパーを高速で動かしてガラスが汚れていることをアピールし、前の車のドライバーが私の間違いに気づいてくれることを祈るしかなかった。

 二者択一式の判断を迫られる知識を覚えるのも苦手だ。「北風」という言葉は、北に向かって吹く風を指すのか、北から吹いてくる風のことなのか。北風が暖かいという話は聞かないから、おそらく北から吹いてくる冷たい風のことなのだろう。では天気図の上の、棒に短い線を付け足したような風向・風速を示す記号はどうか。北風なら北に棒を伸ばすのが直観的に理解できそうだが、風に吹かれて棒の方向が変わるというイメージを思い浮かべるなら、棒は風下、北風なら南を向いているほうが自然だ。

 手書きのときには「逆」のなかにある角張った「∪」が、上を向いているのか下を向いているのかいつも迷う。「航空」という言葉を口にしたとき、いつも「あれ、クウコウって読むんじゃなかったかな」と少しだけ不安になる。鳥取がどっちで島根がどっちかは、とうの昔にどうでもよくなった。夜回り先生とイエローキャブの社長の間には互換性があったはずだ……。

 私の住んでいるマンションは上下に2つの錠がついていて、当然、2つとも錠が開いていないとドアが開かない。嫁さんが帰宅後に上の錠を、娘が下の錠をかけたりするのが原因なのか、すんなりと家の中に入れない。上の錠を開けて、下の錠を開けて、と思ったらドアが開かなくて、鍵を上下の鍵穴に差し込んで右に回す、左に回すを繰り返してやっと入れる。1/2の確率でも苦労するのだから、1/4ですんなりいかないのは当然か。

眉毛

2007-01-31 12:35:36 | Weblog
 スカパーのディスカバリーチャンネルで先週日曜の夜、ブラジルで起きた金庫破りについての番組を放送していた。犯人グループは、ブラジルの地方都市にある中央銀行支店の付近にニセモノの店を出し、その店から地下トンネルを銀行の金庫の真下まで掘り、真夜中に金庫のコンクリートの床に穴を開けて、巨額の札束を奪って逃げた。犯人の大半は捕まっておらず、盗まれた現金もほとんどが戻ってきていないとのことだった。

 小説と同様、私はテレビについてもドラマよりノンフィクションのほうが好きで、その番組も最初のうちはおもしろかったが、途中からは希薄な印象しかない。事件を取材した記者のひとりが登場した瞬間に、その額と目の間にある黒々とした眉毛が気になってしまったからだ。

 ドラマにもノンフィクションにも、訴えたいストーリーがあるはずだが、そのストーリーへの関心を一時的に失ってしまうことがある。きっかけは、電話だったり、新聞の勧誘だったり、ヤカンのなかで沸騰したお湯だったり。たまに、番組のなかにストーリーよりも興味深い人なり出来事なりが現れることがある。

 何ヶ月か前、NHKのBSで、いろんな趣味にのめり込んでいる人を紹介する番組をたまたま見た。その日は相撲にまつわるグッズを集めている人が登場した。この人が探し求めているのは、「双葉山70連勝ならず」を伝える新聞の号外。数人の相撲マニアに集まってもらい、情報を求めるのだが、そのなかに見覚えのある顔が。昔TBS系で放送していた朝のテレビ番組「モーニングジャンボ奥様8時半です」で司会を務めていた鈴木治彦アナウンサー(当時)である。

 子供のころ、朝食時間にはテレビがつけっぱなしで、チャンネルは「11番」(TBS系のHBC)だった。一種の刷り込みみたいなもので、私にとっては鈴木さんは古舘伊知郎や久米宏と同じくらいの存在感がある人なのだ。鈴木さんをテレビで見るのはたぶん二十数年ぶりなのだが、髪が白くなった以外は変わっていないように見えた。いまウィキペディアで調べてみたのだが、この鈴木さんは味の素創業者の鈴木一族の一員とのこと。

 ところが、そのNHK-BSの番組のなかでは、鈴木さんは無名の相撲ファンの1人として扱われていた。ナレーションでも字幕でも鈴木さんの名前やかつての肩書きは示されず、瞬く間に画面は号外を探す相撲ファンの次の行動に移ってしまった。鈴木さんはこの20年余り、どこで何をしていたのだろうという私の疑問を置き去りにして。

 ディスカバリーの番組で私が関心をもったのは、ブラジル人記者が有名人だったからではなく、その眉毛の太さと濃さが尋常ではなかったからだ。よく太い眉毛を味付け海苔にたとえる人がいるが、実際に味付け海苔と同じ幅の眉毛をもつ人はいない。その記者の眉毛は最も太い場所で味付け海苔を上回っていたように思う。ふさふさ具合も大したもので、味付け海苔というよりは海面を漂っている海草をつかんでそのまま顔に貼り付けたような状態だった。

 眉毛は「ゲジゲジ」にもたとえられるが、幅はともかく、濃密な記者の眉毛はとても足が15対しかないゲジゲジと比較できるようなものではなかった。同じ節足動物なら、高い密度で全身に毛を生やしたカブトムシのメスの成虫が、顔面に2つくっついている様子を想像してほしい。そんな人に話しかけてきて、話の内容が頭に入るわけがない。「あっ、顔に毛むくじゃらのカブトムシのメスの成虫が2匹も止まっている。本人は気づいているのだろうか。気がついていないとしたら、教えてあげるのが親切なのだろうか。ひょっとしてメークアップの一種なのかもしれない。いや、生まれつきなのだろうか。だとしたら指摘すると傷つくかな……」。心の中は葛藤の嵐。だから私も、その記者がテレビカメラに向かって何を言ったのが、全然覚えていないのだ。

 結果的にその番組は、私にとって印象の薄いものになってしまった。BSのマニア番組もまたしかり。伊丹十三の映画のカメラマンが「画面のなかにできるだけ文字は映したくない。観客の関心が一時的にそっちに移ってしまうから」と言っていると聞いたことがある。テレビも同じで、昔の有名人とか強烈な個性をもった顔は、伝える力をそいでしまうのではないかなと思う。もちろん、昔の有名人や強烈な顔そのものが悪いといっているわけではない。鈴木さんのその後やブラジル一の太マユゲ男をとりあげる番組があったら、私は是が非でも見るだろう。

 実は、太マユゲ男が記者だったのかどうかも自信がない。警察の関係者だったのか、犯罪心理学の専門家だったのだろうか。少なくとも犯人ではないと思う。一度見かけたら忘れないあの顔、犯罪には向いていない。


漂流

2007-01-28 16:58:49 | Weblog
 この3年くらいでかなりの本を手にしたが、読了したものはその3分の1くらいか。昔よりも集中力の持続する時間が短くなったのためだろうか。長い小説は、最初の100ページくらいで飽きてしまう。図書館で借りてきたり、ブックオフで安く買った本だと、「読み終わらないともったいない」という気持ちが湧かない。

 それでもこの3年のうちに読んだ本のなかで面白かったものを挙げるとすれば、まず団鬼六の「真剣師小池重明」、それから沢木耕太郎の一連のスポーツもの、そして昨日読了したアルフレッド・ランシング「エンデュアランス号漂流」(新潮社)。いずれもノンフィクションである。

 小学生のころ、学校の図書館の片隅に「ノンフィクションコーナー」があって、ヘディンの中央アジア探検や、ヘイエルダールのコンティキ号の航海を子供向けにまとめた本で興奮したことはよく覚えている。当時、この種の本には「この原住民はとても残忍で卑しく、人間の足跡の臭いを嗅いで追跡できる犬のような人たちでした」という、いまなら発禁になりそうな表現が残っていた。ノンフィクションといいながらも善人と悪人の区分けがはっきりしていて、子どもには楽しかった。

 「エンデュアランス号漂流」は、そういった本の延長線上にある冒険ノンフィクション。違うのは、南極大陸横断という当初の目的は早々と達成不可能になるという点。25人の探検隊員の生還のための死に物狂いの努力がノンフィクションの題材となる。一行の乗ったエンデュアランス号を木の葉のようにもてあそぶ南氷洋の荒波、座礁すれば木製の船底などひとたまりもない岩礁、巨大な力で頑丈な船を少しずつ歪め、最期には破壊してしまう氷、鋭い牙で襲い掛かるヒョウアザラシ、テントを吹き飛ばしてしまうほどの強風、そして心理的・肉体的に探検隊員を痛めつける南極の厳しい天候……。それでも男たちは希望を捨てず、最後まで頑張りぬき、幾多のピンチを乗り越えて25人全員が奇跡の生還を果たした。

 南極大陸横断は企てないが、私たちも絶望的な状況に直面することがある。そんな状況でもあきらめてはいけない。いつか一条の光明が差し込むということを教えてくれる本。これから無謀にも結婚という荒海に漕ぎ出そうとしている男たち、日曜なのに嫁になんだかんだと怒られている男たち、殺されてあとはバラバラにされるのを待つだけの男たちに、ぜひ読んでほしい本だ。

浦島

2007-01-26 18:19:16 | Weblog
 「東国原英夫(そのまんま東)知事」が、新聞で「東国原英夫知事」と表記されるようになるのはいつごろだろうか。

 一昔前なら絶対に予想できなかった事態が発生することがある。ビートたけしの弟子としてのそのまんま東を見ていたときに、この人が宮崎県に乗り込むとは誰も予想できなかったはずだ。熱湯風呂から出たそのまんま東が早稲田大学に入り、さらに政経に進み、そのころから政界に興味を持っていたことを知っている人にとっては、知事選当選という結果はそれほど意外ではないかもしれない。が、そのまんまといえば熱湯風呂しか思い浮かべない人が、途中経過をすべて飛ばして宮崎県知事当選を知ったとしたら、その驚きはどれほどのものだろうか。

 私は10年以上海外にいたのだが、残念なことにNHKの衛星放送とインターネットで、日本に住む日本人とほぼ同じタイミングで日本のニュースを観たり聞いたりしていたので、そういう驚きはなかった。強いて挙げれば、途中経過を知らないので、大泉洋がこんなに人気がある理由が納得できない。これは驚きというよりも疑問と不満だが。

 私が世界のあらゆるニュースから遮断されたのは、インドで貧乏旅行をしていたころ。周りの日本人もそうだった。日本のことになんて興味はないと言っている人も含めて、みんなで日本から到着したばかりの大学生を囲んで、「巨人で呂という新人バッターが打ちまくっている」「アグネスチャンと、女のコピーライターがケンカしている」「リクルートという会社が悪いことをしたことが大問題になっている」といった最新情報を熱心に聞いていた。

 そのまんま東が熱湯風呂に入っているころに日本を離れ、インターネットもテレビもアクセスできない国から、今年の夏ごろに日本に帰ってくる人がいたら、決してそのまんま東のその後の経歴を教えないでほしい。そのころには「(そのまんま東)」という表記がとれているはずだから、彼はニュースを観ながら思うはずだ。「へー、東国原知事か。変わった名前だな。それにしても、この顔、どっかで見たことある。あ、そうそう。ビートたけしの弟子で、熱湯風呂に入っていたやつ。うり二つだよ。名前は、そのまんまナントカ。あの弟子は、いまどこでなにしてるんだろう」

 誤解したままにしておいて、そのまんま東が5期20年にわたって知事を務めたあとで真実を教えたら、その驚きはどれほどのものだろうか。淫行や暴力事件や汚職で辞任に追い込まれたりすると「さもありなん」で終わってしまうので、そのまんま東にはしっかりと知事職を勤め上げてほしい。

烏賊

2007-01-25 17:57:24 | Weblog
 先日、仕事で大型ボイラーの写真をとった。それはものすごく大きくて特殊なボイラーで、目分量ではバス2台を上下に積み重ねたくらいのサイズがあった。ただ、写真にしてしまうとその大きさがわからない。ボイラーの横に作業員に立ってもらえば良かった。

 被写体の大きさをわかりやすく伝えるために使われるものと言えば、ハイライトと百円玉だろうか。そういえば、最近はスケールとしてのたばこはあまり見かけない。これも一種の嫌煙権か。私はたばこを吸わないのでよくわからないが、最近のたばこにはロングかスーパーロングとかショートとか長さが何種類かあるので、たばこを比較の対象にすると逆にわかりにくいのかもしれない。一方、百円玉の大きさは日本全国統一されているが、貨幣価値が縮小したり、最近の日本では逆に拡大したりしているので、ここ3~4年のうちに出た学術書のなかには、被写体の前に88円とか79円の硬貨が並んでいるものがある。(うそ)

http://www.asahi.com/science/news/OSK200701250033.html

 この記事のダイオウイカの写真では、漁協職員らしき男が定規の代わりになっている。長い手足を除いても、大人の背丈とほぼ同じくらい、約2メートルはありそうだ。残念なのは、ダイオウイカと漁協職員の姿勢が違うために、正確な比較ができないということ。死んだダイオウイカが床の上に平らに寝そべっているのに対して、漁協職員は同じく床の上にあおむけになりながらも、組んだ両手で頭を少し持ち上げて自分の足の方向を見ている。厳密に比較するためには、ダイオウイカにも同じ姿勢をとってもらい、ついでに赤い野球帽を持たせる必要がある。

 この文章を書くために何度か写真を見ているうちに、漁協職員とダイオウイカが親友のように感じられてきた。惜しむらくはこの写真が殺風景な市場内で撮影されたということ。できれば秋空の下、堤防の斜面に漁協職員とダイオウイカを並べて撮影してほしかった。当然、河川敷では草野球の真っ最中。ときおり足やひじの先に赤とんぼが止まり羽根を休める。2人は何も言わない。言うことがないからではない。言わなくてもすべてが通じる本当の友だちだからだ。

先制

2007-01-24 13:14:02 | Weblog
 日曜日の朝、テレビをつけたら、「主婦100人に緊急アンケート」という大きな文字がブラウン管に映っていた。妻が夫を殺してバラバラにした例の事件について、主婦の意見が紹介されていた。

 犯人に否定的な意見が多いなかで、同情の声も少なくなかった。「他人事ではないと思った」「私も夫に殺意を覚えたことがある」などなど。最後に紹介された回答が

「やられる前に、やる」

 何ヶ月かあとで、サバイバルゲームのマニアかアメリカ海兵隊特殊部隊所属の妻が夫を殺す事件が起きたら、犯人はきっとこの人だ。

火葬

2007-01-23 18:26:26 | Weblog
 少し前、母方の伯父が入院先の病院で死んだ。

 私がその伯父の存在を知ったのは、母方の祖父が死んだときのことだ。父方の叔父、叔母とは同居していたが、母にも兄がいるということは、私が小学校1年生になるまで知らなかった。母は一人っ子だと、無条件に考えていた。葬式が終わると伯父は去っていき、私の意識からまた消えた。むしろ私にとって重要だったのは、その後知らされた、大学のころ自ら命を絶ったという母の弟のことだった。

 伯父が再び私の目の前に現れたのは、それから十数年後。私が久しぶりに帰省してみると、脳卒中で右半身と言葉が不自由になった伯父は、安いアパートで独り暮らしをしていた。若いころに結婚したがすぐに離婚、子供もなく、頼れるのは私の母しかいなかった。母は、身寄りのない実の兄を仕方なく世話をしているわけではなかった。介護をする機会もなく両親に早く先立たれた母にとっては、兄が両親の代わりだったのだと思う。

 伯父はこの20年のうちに徐々に弱っていき、昨年の末に入院した。医師は母に、毎日見舞いに来てくださいと言った。母は、残された時間が短いことを知りながらも、意識を失った伯父を励まし続けた。なんとか年を越し、少しずつ回復していくのではないかと母が希望をもったころ、容体が急変した。担当していた若い医者は母に、力不足でした、すいませんと謝ったというが、20年間の不自由な生活から伯父が解放されたいま、医者をとがめる気持ちは母にはなかった。

 伯父には友人はひとりもいなかった。普通ならまず通夜、告別式、火葬という手順を踏むのだと思うが、葬儀会社の遺体安置室のようなところに、簡単に花、写真、位牌を飾って通夜と告別式を合わせたような質素な式を開いた。出席したのは母、おそらく伯父の生前にはほとんど話をしたことのない私の父、そして私。伯父は生前、創価学会に入っていたので、学会の人が読経に来てくれた。その学会の人たちも、伯父が入会したあとは路上ですれ違ったさいに挨拶する程度の関係だったらしい。

 読経を終えて、翌朝、火葬場に遺体を運ぶ時間帯を話しているとき、母がぽつりと言った。

「明日の朝、エッチな本、買ってきてよ」

 病気に倒れてから、伯父には楽しみがほとんどなかった。母に付き添って荷物を運んださい、伯父のアパートの片隅に十数万円くらいしそうなタイヤの細い自転車が置かれているのを見たことがあるが、歩くのにも苦労する伯父にとっては、見て楽しむ置物でしかなかった。唯一の楽しみが、週刊誌のヘアヌードのページだった。母はある時期まで、弱った伯父にいまも残る男の欲求を嫌悪していたようだが、他に楽しみがないと気がついてからは買い与えていたらしい。母は、あの世への持参品として、伯父が生前ニヤニヤしながら読んでいた週刊誌を棺に入れてあげようと考えたのだ。私は賛成した。棺には故人が生前愛していたものを何か入れるべきだと思うし、伯父へのプレゼントはヘアヌード以外、考えつかなかった。

 翌朝9時ごろ、葬儀会社に向かう車のなかで母から電話が来て、おつかいをまだ済ませていないことに気がついた。たまたま会社の近くだったので、よく利用するコンビニに入った。いつもは横目でちらちらのぞくだけの週刊誌のコーナーに大股で向かった。ほかの本と紙の壁で明確に仕切られている未成年お断りの本は、品がないのでやめた(品がないのでやめたのだと思っていたが、この文章を書いているうちに、私がそういう本を買って、母親に「ハイ、これ買ってきたから」というのが恥ずかしいからだと気がついた。伯父さんごめん)。私の印象のなかでは、ヘアヌードといえば週刊現代なのだが、手にとってパラパラとめくってみたところ、リニューアルしてしまったらしく、物足りない内容だった。結局、適度にエッチなフラッシュにした。これなら伯父を喜ばせられそうだと満足してレジに向かい、よく顔を合わせるオバサンの店員にフラッシュを渡したあと、これは誤解を招くかもしれないなと気がついた。

 伯父の遺体が安置された一室では、もうすっかり準備が整っていて、あとはフラッシュを待つばかりだった。左手のあたりにフラッシュをそっと置き、上から花をかぶせた。棺の蓋を閉じて、母、父、私の順番で釘を打った。

 初めて行くこの街の葬儀場は、高級結婚式場としても使えそうな豪華さだった。遺体を燃やす部屋に棺が送り込まれ、レリーフの彫られた鉄の扉が開くと、母は合掌しながら泣いた。私の知る限り、それが母が自分の兄に対して見せた最後の涙だ。

 それから1時間半、私たち3人は天井の高いロビーのソファで雑談しながら待っていた。母は時々、黙り込んだ。係員に案内された場所で待っていると、まだ熱い骨が出てきた。フラッシュは灰すらも残っておらず、私には、関わりの薄かった伯父さんが喜んでくれているような気がして、少しうれしくなった。

乳酸

2007-01-22 14:22:38 | Weblog
 1ヶ月に4回どころか、毎日が多忙で3ヶ月間全く更新ができなかった。年が替わったので、時々更新しようと思う。多少時間が出てきたことに加え、ひょっとしてブログの更新や嘘ネタ作りをしなくなったのは、記憶力に続いて思考力も低下しているからではないかと心配になってきた。

 昨日、妻と娘に断られたので仕方なく1人でスキーに行った。南の島で育ち、スキーの経験が乏しい娘は昨年、中学校のスキー遠足で急斜面に置き去りにされたのがトラウマとなり、いまはスキーの話題にも拒否反応を示すようになっている。私は去年2回、おととし1回スキーに行ったが、いずれも娘の付き添いだったため、リフトには1~2回乗っただけ。10代のころのスキーの感覚をなんたなく思い出した程度で終わった。今回のようにまとまった量を滑るのは、高校卒業以来だろう。

 今回、滑ってみると昔よりうまくなっていた。技量がアップしたのではなく、スキーの板が進歩したおかげで、「右に曲がれ右に曲がれ」と念じるだけで曲がれた。22年前ならゲレンデの横にある林に向けて一直線。「止まれ止まれ」と念じても叫んでも止まらない。

 体力の衰えは隠しようもなく、1度コースを降りてくるだけで、階段を1階から3階まで駆け上ったようなハリを太ももとスネに感じた。犬の散歩に換算すると5㌔くらいに相当する疲れか。犬の散歩のさい、前進と、前進を拒む犬を強く引っ張るという意志が必要であるのに対して、スキーは重力が意志の代わりになってくれる(しかも筋肉に結構な負担を強いる)ので、「スキーでみるみるやせる」という方法はアリかもと思った。妻の許しを得たので、筋肉痛の足を引きずってディスカウント店かリサイクル店に行き、「スキー3点セット9800円」を探そうか。

 スキー場に昼ごろついた私は、まずリフトに4~5回乗った。行列待ちとリフトに揺られている5~6分の休み時間以外は足腰を使いっぱなし。さすがに疲れて、スキー場内にある食堂で休むことにした。このスキー場には小中学生のころよく来た。あのころ、空腹にはカレーライスが美味しかった。当時の値段がいくらだったのか憶えていないが、昨日食券の販売機を見たらうどん1杯750円とかカレー900円とかばっかり。一番安い「あげたこやき」370円を頼んだ。

 食事を終えた家族連れが去り、空いたテーブル席についてたこ焼きを食べていると、左前方の窓側のテーブル席に、中学校のころ同級生だった女、Kがいることに気がついた。目がぱっちりしていて、知らない人なら「ああこの人は中年ぶとりする前なら美人だっただろうな」と感じたかもしれない。私は、Kが中学校のころから太っていたことを知っている。これで性格が優しくまじめなら魅力的なのかなとも思った。私の記憶のなかでは、Kは優しくもまじめでもないのだが。

 中学3年のときだったと思う。次の時間のテストに備えて、私や仲のいい同級生たちはみんな懸命に教科書やノートを暗記していた。私のすぐ後ろの席に座っていたKは、試験の範囲の公式やキーワードを鉛筆で机の上に書き写していた。黙ってカンニングするだけならいいのだが、Kはまじめに暗記するのがバカで、要領よくカンニングするほうが頭がいいという意味のことを言って得意になっていた(ような気がする)。それがカチンと来た。カンニングの準備を終えたKが嬉々として教室を離れたあと、私は後ろを向いて、消しゴムでKの机の上をまっさらにした。授業の直前、教室に戻ってきたKは、テストが配られたあとで、カンニングのメモがすっかり消えていることに気がついた。

「ないっ」

 カンニングするのが頭がいい云々を、Kがどのような表現で言ったのか、実はよく憶えていないのだが、慌てたKが私の背後で発した「ないっ」という声はいまでも憶えている。

 友達が教えたのか、Kは私が「犯人」であることに気がついた。教師に聞こえないよう、押し殺した声で「消したのあんだだね。わかってるんだよ。このサル」と言った。私は過去40年間の人生のなかで人並みに悪口を言われてきたが、おそらく「サル」と言われたのはこの1回だけだ。

 私とKは違う高校に行き、その後は何も接点がなかった。

 そして昨日。Kは2人の子供を連れていた。子供が満腹かどうかをしきりに気にする母親になっていた。できればKがどんな男と結婚したのか、いや、どんな男がKを選んだのか見たかったが、それらしい男は周囲にいなかった。子供は小さかったから、晩婚か、結婚してから子供ができるまでしばらく時間がかかったのだろう。昼食を終えた親子はすぐにロッジを出てゲレンデへと戻っていった。

 サングラスをかけていた私は、気がつかれることを恐れずにKをジロジロと見ていた。もっとも、Kはカンニング未遂の1件はもちろんのこと、私の名前すらも忘れているだろう。私が顔をさらしていても、名前を言っても思い出せないはずだが、もしも「あんたの机の上を消しゴムできれいにしたNだよ」と名乗り出れば、人生で2度目に「サル」と言われたかもしれない。

裸観

2006-10-11 16:14:33 | Weblog
 仕事でも、こういうウェブ上の駄文を書くときにも、よくネットで検索をする。そういう自分が言うのも図々しい話だが、検索しながら書いた言葉には、重みがない。読んだり聞いたりして「この人の言葉は軽い」と感じるのではなく、検索する前から頭に知識が入っている人の編む言葉のほうが重くあってほしいという一種の願望のようなものだ。

 もう一つ、ウェブに蓄積されている知識はマユツバものだ。これも私が言うと図々しい話になるが、ホントのようなウソが散らかっている。ウソならまだいい。本当に知りたいと思う知識が、どんなに探しても出てこない。ウソの情報さえないのだ。

 と、私が感じるようになったのは、数年前だろうか。私が強烈な印象を抱いていた人物の名前を検索してみても、ほとんど情報らしい情報が出てこなかったときから。あれほど有名な人物について述べていないウェブは、なんと頼りないものだろうという一種の軽蔑が、Webに頼って仕事をしているにもかかわらず、最近まで残っていた。

 すべては、私のミスだった。その人は「及川ラカン」ではなく「及川裸観」だったのだ。正しい表記を入力してgoogleで検索してみると、53件でてきた。この数が多いかどうかはともかく、私の知らなかった及川裸観像が少しずつ見えてきた。複数のページにまたがる情報を総合すると、以下のようになる。

・1901年、岩手県前沢町に生まれる。
・幼少時は虚弱体質
・のちに北海道・網走に移住。
・20歳過ぎから「裸修行」を行い健康体となり、「健康は裸運動と笑いが大切」との信念で全国行脚しながら、健康普及活動に尽力
・裸で新聞配達したことがきっかけで社会に知られるようになった。
・1975年「キワニス社会公益賞」受賞
・あまりに有名だったために、鉄道は顔パスだった。
・東京・西日暮里で「ニコニコ道場」を開いていた(現在は跡地にスイス山小屋風カフェがある)
・1988年11月22日、86歳で死去 最期は西日暮里の病院に入院していた。

 私個人も、及川裸観をテレビで観たことがある。一度はNHKの朝のニュース番組。アナウンサーと上半身裸でのぼりを手にした裸観が会話するのだが、裸観の話は途中にまるでしゃっくりのように、「ワハハハ」という笑いが挟まれていた。「奥様は魔女」のような見えない観客の笑いではなく、裸観本人の体内から出てくる笑いである。裸観の話の内容と、笑いがリンクしているようには思えなかった。話をしているうちに体内の笑いのエネルギー値が上昇していき、一定のレベルを超えると間欠泉の如く吹き出してくるようにも見えた。ニュース番組のなかで裸観が自ら語ったキャッチフレーズは「全身これ顔!」だったと思う。

 もう一度は、たしか永谷園のお歳暮(かお中元)のテレビCM。裸観は当時でもかなり極端なキャラクターだったはずで、よくCMに起用したなと思う。昔は人前で授乳する母親も多かったようだから、裸観の格好にも批判的な視線を向ける人が少なかったのだろうか。

 今回、ウェブという情報ソースを見直したのは、直接裸観を目撃した人の一次証言がいくつかあったからだ。

http://www.k5.dion.ne.jp/~omoide/omoide2-3.htm

 これは「自分史」の一こまに登場する裸観。(冒頭から1/3ほど進んだところ。ブラウザの機能で「裸観」を検索するとすぐ見つかる)

http://blog.mag2.com/m/log/0000069671/75191717.html

 は、「顔パス伝説」の真相(ページの最後あたり)。そして

http://blog.livedoor.jp/noumitaran/archives/50143330.html

 は子どものころに見た裸観の思い出だ。

 ブログの普及やパソコン、ネット環境の値下がりの結果、誰でもウェブ上で文章を発表できるようになった。その結果、どこからかの引用ではない「私が見た、会った」式の証言は増えていくのかもしれない。

 私のいる街から200キロくらい離れている網走には何度か行っている。この夏にも一度行った。だが、博物館となっている網走監獄以外には、何もないところだと思っていた。かの及川裸観ゆかりの街だったことは、うかつにも知らなかった。裸観は極寒の地、北海道で裸になったから全国的な知名度を得たけれど、もしも温暖な石垣島あたりで裸になったら、何年か前の東京スポーツに登場した人のように、単なる「文明社会を拒否した人」と、また別の意味で注目を集めたような気がする。

........という文章を1ヶ月ほど前に書きかけたまま忘れていたのだが、読み直して再検索してみると、ウィキペディアの見出し語として9月末に「及川裸観」が登場していた。まだ偉大な裸観の生涯の解説としては貧弱な内容だとはいえ、むしろ今後の成長が楽しみな項目といえよう。現時点では「おいか わらかん」となっている名前の読み方も、裸観の人となりがわかってくるころには修正されるはずだ。