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財団日報

月4回が目標です

密漁

2006-09-13 11:18:03 | Weblog
朝日新聞道内版(9/13朝刊)から

「11日深夜、根室支庁別海町の野付湾内で、同支庁標津町南5条西1丁目、同町福祉課係長○○○容疑者(46)と妻の△△容疑者(71)が許可なくアサリを採っているところを警戒中の中標津署員が見つけ、漁業法違反(密漁)容疑で現行犯逮捕した」

 このあと、2人が採ったアサリの量が約24㌔(1万円相当)だったこと、2人が「近所に配るつもりだった」と供述していることなどが説明されている。

 アサリの密漁。そんなことはどうでもいい。公務員の不祥事。それもよくある話だ。問題は、2人の年齢。夫が46歳、妻が71歳で、年齢差25歳。夫が公務員でなければ、たかがアサリの密漁が北海道中に知られることもなかったし、全道の読者が密漁になどお構いなく「へー、夫が25歳も年下なんだって」とお茶の間の話題にすることもなかっただろう。

 町役場は町民の信頼を傷つけて申し訳ないなどと決まり切ったコメントをしているのだが、むしろこの2人がどのような経緯で知り合い、結婚にいたったのか、子どもはいるのか、夫婦仲はどうなのか(一緒にアサリを採るくらいだから悪くはないだろうが)、詳しい事情を説明する責任を果たすべきだったのではないだろうか。

 少し前、まだ私よりもかなり年下の男性と話す機会があった。その人は20代のころ、60歳の女性と同棲していたという。男と女として、である。周囲にいる人が驚くと、「いや、見た感じ45歳くらいだったから抵抗なかった」という説明。一瞬、納得しそうになった人もいたが、納得しちゃいけない。45歳でも十分に年上である。

 年の差の大きい結婚、とくに女性が年上の結婚の場合に障害となるのは、買い物などに行ったとき、夫婦ではなく親子と勘違いされることだと聞いたことがある。本人同士の問題もあるが、それは同い年の夫婦とそれほど変わるものではない。標津町の夫婦の場合には、親子ですかと聞かれればいやがるだろうが、年の差約40歳なら親子ですかと聞かれれば喜ぶはずだ。おばあさんとお孫さんですかと聞かれたっておかしくない。

 女性週刊誌の広告やスポーツ新聞の芸能欄は、必ず年齢が書いてある。年齢がまったく重要でない場合にも、である。なぜここで年齢が必要なのかと疑問に思うことがある。標津町の密漁の記事の場合、新たな興味がわいてきたから年齢を書いて良かったとも言える。むしろ、朝日新聞も名前や職業を隠して、年齢だけ書けば読者の想像力を刺激するいい記事になったのではないか。

 「アサリを密漁」も「ある動物を密漁」とぼかして書けば、読者の大半は「夫婦でオットセイを密漁したのか」と納得したに違いない。

光沢

2006-09-13 09:25:37 | Weblog
 今朝、サンマを食べた。妻に聞くと、近所の生協では1匹80円だという。

 この時期、サンマはおいしいという人が多いが、「安いのにおいしい」というニュアンスを込めている人がいるのが気になる。仮に高くても、サンマはおいしい魚なのだ。

 サンマが安いのは、安いからではないか。こんなにおいしい魚が、1匹80円というのはおかしい。たとえば1匹420円くらいでも、立派な高級魚として富裕層に受け入れられる食材なのではないかと思う。1年だけでいいから、サンマが極端な不漁になってほしい。そうすればサンマの旨さが認識されるのに。

 サンマに限らず、アジ、サバといった、いわゆる「光り物」が好きだ。回転寿司でもサンマ、アジ、(〆)サバ、場合によってはイワシを必ず注文する。私が子どものころ、北海道ではサンマの刺身を食べなかったような気がするのだが、いまは回転寿司の店ならどこでも出す。流通経路がスピードアップした結果だろう。新鮮なサンマの出荷に関するニュースも頻繁に聞く。

 アジといえば、北海道ではアジを食べる機会が、本州ほどには多くない。私は自動車免許を山形の合宿制自動車学校で取ったのだが、そのさい毎日の朝食で食べたアジの開きが美味しくて、その後はよく食べるようになった。こちらの店で売っているアジの開きは、だいたいがノルウェー産だ。現地の水産加工工場で、金髪に碧眼のお母ちゃんたちがノルウェー語で亭主の悪口を言いながら次々とアジを開いているのだろう。

 サンマ、アジの旨さには、大人になってから気づいたが、〆鯖や鯖のみそ煮は子どものころから好きだった。会社の近くの総菜屋では「サバミソ」が鶏の唐揚げと並ぶ人気メニューで、どちらを頼むかいつも迷うところだ。

 サンマ、アジ、サバ……。光りものが大好きな私のパソコンは言うまでもなく「光る光る東芝」のダイナブックだ(これが言いたかった)。

強度

2006-09-12 09:00:26 | Weblog
 スベラーズと同じ量販店で見つけたものがもうひとつ。イナバ物置の店内ポスターである。キャッチフレーズはおなじみの「100人乗っても大丈夫」。社長らしい人物を中心に、おそらく100人の社員が物置の上に密集して立ち、ポーズを取っている。

 この撮影はかなり危険な作業だったと考えられる。物置の屋根と同じ面積の場所に100人が立つのは簡単だが、それが地上2メートルの高さだとすれば話は別だ。永久に公開されることのない失敗作のなかでは、屋根の縁から押し出された社員がポーズと笑顔を保ったまま落下していく瞬間をとらえたものがあるかもしれない。

 さて、かねてから気になっていたのは、物置の上に100人立てるということが、強さのアピール以外に、実用的な意味を具えているのかどうかということだ。日本国内では意味はなさそうだが、バングラデシュの沖積平野ではどこまでも山、丘がなく、しかも木や藁でできた住居が水で簡単に押し流されてしまうので、2メートル程度の洪水でもウン千、ウン万の犠牲者が出るらしい。バングラデシュに「100人乗っても大丈夫」な物置を寄付すれば、文字通り物置1つあたり100人の命が助かるかも知れない。

 いまや世界中のエアラインで中距離路線の主力となっているボーイング767の開発過程を描いた映像(というか広告)を観たことがある。その中で強度検査の様子が紹介されていた。負荷がかけられた翼が少しずつたわんでいく。負荷が大きくになるにつれてたわみも大きくなる。設計上の限界をクリアーした直後、あっさりと壊れた。これなら合格。限界を過ぎてもなかなか壊れないようだと、軽量化やコストダウンの余地が残っているから不合格ということになる。

 同じ設計思想は、イナバの物置に取り入れられているだろうか。宣伝で大見得を切ってしまった以上、100人乗っても大丈夫な強さは確保しなければならないが、101人乗って大丈夫なら、過剰品質ならぬ過剰強度だ。

 ―――100人乗ってポスターの写真撮影が完了したあとも、現場の片隅では品質管理部長の角張ったメガネの奥で鋭い眼を光らせていた。「3、2、1、投下!」 スイッチオンとともに、物置の3メートル上方で固定されていたアヒルの羽根が1枚、放たれた。ゆらりゆらりと左右に揺れながら、社長の頭の上に舞い降りた瞬間、

 ドンガラガッタドンガラガッタドンガラガッタ

 物置の残骸の中から突き出た社長、社員の手足をみて、満足した様子の品質管理部長は書類にでっかく「合格」のハンコを突くのではないだろうか。

滑落

2006-09-11 10:39:47 | Weblog
 嫁に命じられるままにDIY量販店についていったら、「スベラーズ」という商品を見つけた。階段の一段一段の先端に貼り付ける帯状の滑り止めだ。

 はるか昔、この商品のテレビCMを見た記憶がある。出演していたのは俳優の長門勇。階段から落ちて「ああ、スベラーズをつけておけばよかった」と嘆く内容ではなかったか。この俳優がいまも生きているのかどうかは知らない。死んだ俳優をキャラクターに使うものだろうかと一瞬思ったが、ジェームスディーンだってオードリーヘップバーンだってジョンレノンだって立派に宣伝に起用されている。

 何十年も前の出来事の記憶には、それが重大な理由を伴うものと、とくに理由はないがなぜか覚えているものがある。私にとってのスベラーズの記憶は典型的な後者で、思い当たる理由がまったくない。また、スベラーズのCMを繰り返し観た感じもしない。なにかの拍子で、たまたま脳細胞のなかで比較的優秀な一角にこの記憶が刻まれてしまったように思える。

 考えてみれば、長門勇という俳優の仕事は、このCMと、NHKで日曜の夜にやっていたクイズ番組の回答者しか知らない。もうひとつ、三船敏郎と長門勇とあともう1人で「三人の侍」というテレビ連続時代劇をやっていたはずだが、これは台湾のテレビ局が1995年ごろに「あの世界的大スター、三船敏郎が出演するドラマ」と大々的に宣伝していたから知っているのであって、観たのは予告編だけだ。

 少なくとも30年、たぶんそれ以上、スベラーズは長門勇とともに歩み続けてきた。長門勇は滑り続けてきたと言うべきか。パッケージには、長門勇の写真が載り、小さく「長門勇」と名前が書いてあった。この名前がなかったら、この俳優が「長門勇」という名前だったか思い出せたかどうか。スベラーズが長門勇の宣伝をしているのか、長門勇がスベラーズの宣伝をしているのかわからない。

 ともあれ、はるか昔にこのメーカーが流したCMの効果で、私の視線はたとえ一瞬とはいえ、商品棚に並ぶ数々の類似品のなかで、スベラーズだけに止まった。たとえば3年前、メーカーの若い宣伝部長が、「長門勇はもう古い。ギャラはちょっと高いが、そうだな、思い切ってゴスペラーズを起用してみたらどうだろう。『ゴスペラーズ』が歌う『スベラーズの歌』。うん、これはいいぞ」などと決断していたら、状況は違っていたはずだ。

 スベラーズは、もう何十年も生産され続けているロングセラー商品ということになる。こういう商品をひとつでも持っているメーカーは、一時的な大ヒットに血迷い身の程知らずの工場拡張に乗り出したりしなければ、強い。この世の中に階段と重力が存在する限り、こつこつと商売を続けていくのではないか。

 ただ、私は、階段が野外にしかないので、また滑り落ちそうになった経験もないので、スベラーズを買わずにその売り場を通り過ぎた。私個人についていえば、CM放映も、私が「スベラーズ+長門勇」にこの30年間割り当てておいた脳細胞も、まったくの無駄だったことになる。

不能

2006-09-09 09:33:18 | Weblog
 会社の近くの建物の壁に、看板が掲げられている。

 「K印舗」

 「印舗」は「いんぽ」と読むのだろう。私がこの店に電話をするとしたら、先方が「はい、K印舗です」というのを待つだろう。決して私のほうから「K印舗さんですね?」とは尋ねない。尋ねるとすれば「Kさん?」「ハンコやさん?」「K印(ピー)さん?」(小型のブザーをあらかじめ用意しておく)。

 「インポテンツ」という言葉自体は、卑猥でも下品でもない言葉だけれど、「インポ」の3文字には、蔑むような匂いがこびりついている。「K印舗」関係者の生殖能力が平均以下だとか、逆に人並みはずれて強いとかいうつもりはさらさらないが、電話や店先で「印舗」という音を聞けば、頭のどこかで性的不能を連想してしまう。私が連想しなくても、私の周囲にいる人が連想して、私に注目するのがいやだ。

 イエローページの「印鑑・印章・ゴム印」の欄を開いてみると、私が住んでいる街にある店は31店(本店と支店はひとくくりにしてカウントした)。このうち店名に「印舗」がつくのは6店だった。これら6店に「名前変えたらどうですか?」と提案したら、余計なお世話だと怒られるだろう。「昔もいまも、印鑑を売っている店は「印舗」で全然問題なかったのだ。それを『インポ』という言葉がずかずかと土足で上がり込んできて、おれたちの商売をやりにくくした、変えるのなら向こうに名前変えてもらおうじゃないか」

 そう。「インポ」という言葉は、まったく同じ意味ではないが、かなり重複する範囲の広い言葉、「ED」に取って代わられつつある。が、アルファベットの「ED」に、どこかとっつきにくい学術的な匂いがするのに対し、「マクド(ナルド)」や「セカ(いの)チュー(しんであいをさけぶ)」のようにいい加減に短縮された「インポ」は、良くいえば庶民的、悪く言えば猥雑な響きが伴う。同じような状態をまじめに表現するときには「ED」が、ふざけたり嘲ったりして表現するときには「インポ」が使われてしまう。テレビのCMや新聞広告には「ED」が登場し、間違っても「インポ」は使わない。全日本印舗連合会にとって、「インポ」の言い換えは不完全で、しかも困った方向で実現しつつあるのだ。

 突然、日本が「インポ」という言葉に席巻されたわけではない。「インポ」または「インポテンツ」の意味が知られるようになったのはいつのことだろう。1966年生まれの私は、1972年ごろの『現代用語の基礎知識』の「性的用語の基礎知識」のなかで、「インポテンツ」という言葉、ついでに性的不能という状態があることを初めて知った(余談だが、その瞬間と比較して、性知識、性的用語の知識はあまり増えていないような気がする)。「性的な不能」という概念そのものは私が知るよりも遙か古くからあったはずだが、一般大衆が「インポテンツ」や「インポ」という言葉でその状態を表現するようになったのは、せいぜいこの30年くらいのことではないか。

 仮にその期間が30年だとしよう。「うちは印舗。性的不能とはぜんぜん関係ないわい」と割り切っている経営者はいいが、音が言葉に加えるイメージに多少なりとも敏感な経営者にとって、この30年間の辛さはどれほどであっただろうか。先代のころには「いんぽ」と言えば「印舗」しかなかったのに、忘れもしない昭和50年3月9日、近所で畳屋を営んでいる男が週刊大衆を開きながらもってきた。「見てよ見てよ。アッチが全然ためな男をインポテンツっていうんだってさ。ググフフフフ」。たしかに「男の性が危ない こんな症状なら"インポテンツだ"」というけばけばしい見出しの記事が載っている。

 しばらくは平和な状態が続いた。インポテンツはごく一部の人にしか知らない言葉だったから。「インポテンツ」と「K印舗」の間には、はっきりとした境界線があり、互いに侵犯することはなかった。

 一番下の息子が小学校から泣きながら帰ってきた日、ボーダーは突破された。「みんながお前んちはインポだ、インポだっていじめるんだ。パパ、インポってなんなの?」。「ウチは印舗だが、インポじゃない。その証拠に、お前には兄さんが4人もいるじゃないか」。

 4人の兄がいじめっ子を制裁したためにいじめはすぐに終わったが、次第に店を訪れる客の言葉や、取引先からの電話に変化が生じるようになった。昔は「K印舗さん」とフルネームで呼んでくれていたのが「Kさん」「ハンコやさん」に。電話で「K印舗さん?」と聞く人はいるのだが、その背後で笑い声が聞こえることもあった。

 すでに、「インポ」は専門家だけが使う専門用語ではなかった。「インポ」という言葉が侮蔑語として使われるようになると、店の業績が悪化した。しかし、そこでめげなかったのかKさんの偉いところ。長男なんだから当たり前という理由でなんとなく店を継いだために、それまでは仕事にもどこかいい加減なところがあったが、「インポ」に負けてなるものかと、本腰を入れて印鑑作りに取り組むようになった。難しい注文があると、頭を下げてライバル店に教えを請うた。「派手さはないが、まじめでしっかりしている」という評判が定着して店は繁盛。小学校6年生になった息子が学校で書いた「ぼくは大きくなったら、お父さんと同じ『印舗の主』になりたいです」と作文を持ち帰ったときには、それまでの苦労が報われたような気がして妻と抱き合って泣いた。

「店の名前を変える? そんなこと、もちろん考えていませんよ。先代からもらった大切な店だし、何よりも、『印舗』のおかげで発憤できたわけだから。じゃあ、配達があるので、失礼しますよ」

 そういってKさんは、愛車のカリーナEDに乗り込んだ.....

 ........と、勝手にストーリーをこしらえて「印章店」や「ダイソー」ではなくあえて「印舗」に足を運ぶ消費者もいるので、業績はあまり落ちていないのかもしれない。

騒音

2006-08-27 20:15:03 | Weblog
 ひょんなことから3泊4日の海外旅行、というか出張みたいなものに出かけた。JRで少し離れた空港に行く途中で感じたこと。

 線路のすぐ脇に新興住宅地があるのが見えた。街というのは線路に沿って開けていくものだから、今になって家が立ち並ぶということは、閉鎖された大きな工場の跡地を再開発したのだろう。

 高速で走る特急列車の窓から数秒間見ただけだが、その住宅地には小奇麗な新しい一戸建てが並んでいた。こういう風景を見ると、ひとつひとつの一戸建ての中で幸せな家庭が築かれているのだと私は考える。あこがれとか理想ではなく、家族同士がいがみあっているのに大枚はたいて家を買うほどヒトの知能は低くないと信じているからだ。ケンカや冷戦の舞台としてのマイホーム。欠陥住宅より情けない。

 さて、線路わきに並ぶ住宅は幸せそうに見えるのだが、車窓の風景がすっかり変わったころに気がついた。実は、あまり幸せではないのではないか。私が一戸建て住宅の列を眺めていた瞬間、それぞれの家の内部では特急列車の騒音が聞こえていたはずだ。列車に乗ってしまえば騒音を当たり前のものとして受け入れ、忘れてしまうから、ガラスの向こうに閑静な住宅街が広がっているように見えるが、全然閑静ではないのだ。

 たとえば若い夫婦がこの住宅地で家を買ったとしよう。互いの友人を呼んで新居を披露するパーティー、はにかみながら白い壁の前で横を向くお腹の膨らんだ妻、眠っているのか起きているのかわからない生後間もない息子、初めての三輪車、息子よりはちょっとしっかりした顔立ちの娘と、「ボクに撮らせて」と泣いてせがむ息子、届いたばかりのピアノを恐る恐るひいてみる娘、母に手をつながれ、小学校の入学式に出かける息子、結婚式場へと出かける娘、生まれたばかりの初孫を連れてやってきた娘夫婦……。家族の歩みを記録したビデオには、必ず特急電車の騒音が入っているはずだ。こういう家では、列車が右から左へ、あるいは左から右へ走り去っていったのかわかるよう、必ずステレオ式のビデオカメラを使うべきだ。

 実際のところ、私には経験がないので、線路のすぐそばに住むことがどういうことなのかよくわからない。朝5時台から夜中の12時まで頻繁に騒音に包まれる生活は不快なのかもしれないし、引越しから3日も経てば慣れるのかもしれない。それは個人の性格や家族の習慣、住宅の構造によって左右されるから、列車の騒音が家族の関係にどんな影響を及ぼすのか断定はできないのだが、しばしば夜中の1~2時ごろ、いびきに我慢ができなくなった妻がドンッと私の肩を突いて起こすうちの家庭にとっては、線路沿いの閑静でない住宅地に住むことがプラスに作用するよう気がしてならない。


移動

2006-08-17 19:49:06 | Weblog
 アフリカで生まれた人類の祖先がなぜ、地球上のほとんどの場所に広がったのかといえば、それは未知の食材を求めての旅だったのかもしれないし、新しい耕地を求めての旅だったのかもしれないが、ひょっとしたら、ただただ移動することに快感を覚えていたからではないかと、私は目的地のないドライブしながらよく考える。

 漫然とドライブはしているものの、気が付けばドライブに適した道とそうでない道がある。

 まず、国道でないこと。大半の国道は通行量が多くて、ただ前後の車に挟まれて走るだけ。峠でも越えない限りカーブの半径も小さく、沿道にはパチンコ屋やガソリンスタンド、中古車屋やまたパチンコ屋の原色看板が並ぶ。走って楽しいわけがない。ごく一部、心地よく走れる国道もあるが、だいたいはより重要な国道と平行して走っている無駄な道路であることが多い。

 次に、直線でないこと。安全運転派の私でも、右や左にハンドルを回したり、アクセルとブレーキで速度を調整しながら走るのは楽しい。北海道だと地図上は数キロにわたって直線の道路でも、実際に走ってみると昇ったり下ったりしていることがあって、これも快適な道路と言える。

 最後に、周囲の風景が変化すること。森、畑、または牧草地、さびれた集落が順番に現れる道が好ましい。さびれた地域に住みながらも、地域の賑わいのために住民がしている【無駄な】努力の跡が見えれば最高である。というのは、本当に地域がにぎわってしまうと観光客が来て、観光客目当ての「焼きとうきび」「アイスクリーム」屋が発生して、ぜんぜん面白くないのである。

 左右に小高い山があり、山にはさまれるように畑作地が広がり、その中央を小さな川が流れていて、川にかかる複数の橋を、左右にカーブしながら渡り、徐々に坂を登っていくような道が理想的だ。おととい、それに似た道を走ったのだが、登りきったところから少し降りると派手なラブホテルがあった。利用者が往路と復路のどちらでドライブと風景を楽しむのか、聞いてみたいところだ。

異国

2006-08-14 07:32:13 | Weblog
 こんな田舎町に住んでいても、中国語を使う機会はけっこうあるものだ。先日、会社で新しいパソコンを買った。複数の同僚が個人的に購入し、明らかにほかのメーカー品より安く、しかもこれといって問題のないデルを選んだ。見積もりを取り寄せ、「注文書」とタイトルだけ書き直して送り返してから数日後、電話がきた。

「デルですが、パソコンをご注文いただいた○○さんですか?」

 上手ではあったが、日本人の日本語ではなかったので私は本能的に、ゆっくりと尋ねた。

「あなたは、どこの人ですか?」

「私は中国人です」

 たぶんデルはコールセンターを中国のどこかに置いているのだろう。いまは国際回線が安いから、コールセンターを人件費の安い外国に置いたほうがコストが節約できる。同僚も「外国人から確認の電話がかかってきた。フィリピンかな」と言っていた。実は中国のどこかだったのだ。

 相手の国籍がわかってからは、中国語を使わせてもらった。その人はヤウさんという女性だった。たぶん私の中国語より彼女の日本語のほうが上手だったが、私としては中国語を使えるのがうれしかった。心のどこかに、周囲にいる同僚に自慢したいという気持ちもあったのかもしれない。向こうは、いつも外国語でこなしている仕事が突然母国語になり、半分は戸惑い、半分は喜んでいる様子だった。

 半年ほど前、JRで札幌に出張した。その帰り道、車内で車掌が数人のグループの乗客に説明していた。「この券のほかに、特急券が必要です」。そのグループは東洋系の外国人で、日本語を理解できず、英語で説明しようとしていたが、車掌のほうは日本語しか話せない。そばにいた私が乗客たちにどこから来たのかと尋ね、台湾人だというので通訳をしてあげた。相手は当然、喜んでいた。異国で困った状況に置かれ、親切にされれば、喜ばないはずがない。

 私の住んでいる街にも、繁華街がある。その中心部の交差点で、信号待ちをする男たちにたどたどしい日本語で話し掛けてくる数人の女がいる。年齢は30歳~40歳くらいか。そのうちの一人が、不自然な作り笑いを浮かべて私に近づいてきた。

 「マッサージいかがですか?」

 ある人は、本当の仕事はマッサージだけではないといい、別の人は「マッサージだけだった」と怒っていた。私は中国語で女に逆に質問した。

「どこから来たの? 中国人?」

 とたんに私から視線をそらした。表情が硬くなった。中国語でつぶやいた。「なんで中国語話すんだろ」

 話はもう続かない。信号が青になり、私は交差点を離れた。

 女は、お金のために日本の田舎の夜の街で働いている。心から望んでの仕事なわけがない。何らかの割り切りが必要になる。客になりそうな日本人の男に、この女にとっての外国語で話し掛けるということが、割り切りの手段だったのではないか。「こんなの、本当の私じゃない」と。不意に中国語で話し掛けてこられて、中国語を話す人間を取り戻してしまい、不愉快になったのかもしれない。

 こんど同じ場所を通りかかり、同じように話し掛けられたら、無言で手を左右にふり拒絶の意思を伝えよう。それが、縁あって彼女たちと同じ言葉を少しだけ話せるようになった私に表現できる、せめてもの優しさというものだ。

出歯

2006-08-11 06:56:36 | Weblog
 サッカーのワールドカップでは、ロナウジーニョを応援していた。ブラジルではなく個人としてのロナウジーニョ。とくにサッカーに詳しくはなかったのだが、同じ出っ歯として応援しないわけにはいかない。ロナウジーニョが30点くらいとって得点王とMVPになれば、世界の出っ歯が少しは尊敬されるようになったと思うのだが。

 死ぬほど困りはしないとはいえ、それでも立派なコンプレックスの種となる外観上の欠陥を3つ挙げるとすれば、ハゲ、出っ歯、デブであろう。ハゲはハゲ愛好者の団体があるし(たとえそれが、やむをえない事情で愛好者になったのだとしても)、デブは体に悪いだと汗臭いだの言われながらも、依然として日本の国技では主役を張り、テレビでもデブタレントという揺ぎない王国を守っている。いまいち弱いのが出っ歯。出っ歯といえば明石家さんまを思い浮かべるが、さんまが強力すぎるためか、出っ歯タレントというカテゴリーが形成されるまでには至っていない。

 雑談のなかでもデブやハゲはいじりがいがあるのに対し、出っ歯は話題にも上らない。昔、私にとっては出っ歯がコンプレックスの原因で、小学生のころには遊びに行っていた友達の家から「でっぱ」の一言で帰ってしまった記憶がある。時はめぐり、40歳になってしまった私にはほかにも数多くのコンプレックスがあり、出っ歯なんて気にしなくなった。加齢の数少ない利点だ。

 近所のコンビニに行ったら、久しぶりに本格的な出っ歯の男性がいた。歳は30代の前半くらいだろうか。この店員の出っ歯の特長は、角度よりも声にあった。「ま」とか「ぱ」とか、いったんは上下の唇を閉じなければ発音するはずの音が、前歯の下から息が漏れるためか、普通の人とはどこか違うのだ。

 しかしその人は出っ歯という外観や息の漏れを気にしている様子はなく、むしろコンビニのマニュアルから逸脱しているのではないかと思えるほどにほがらかだった。

「いらっしゃいませー アイスキャンディーが1点でX円、ウーロン茶が1点でXXX円、合わせてXXX円になりまーす。XXX円おあずかりしまーす。XXX円のおつりでーす。ありがとうございまーす」

 といった言葉が独特の抑揚に載せられると、心地よい歌になった。それが出っ歯ならではの息づかいと一緒になると、人間の普通の声とは明らかに違う質感を備えた管楽器になった。矯正術が発達したいま、なかなか「本格派」に出会うことは珍しくなった。彼は確かに昭和の日本にはもっといたはずの出っ歯の歴史を受け継いでいることに誇りをもっていた。