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財団日報

月4回が目標です

仏語

2008-01-19 13:55:18 | Weblog
 犬、とくに毎日一定以上の距離を散歩しなければならない中型犬・大型犬にとり、人間との暮らしが幸せかどうかは、飼い主が散歩中の気晴らしの手段を見つけるかどうかにかかっている。飼い主にとり散歩の目的が散歩だけなら、遅かれ早かれ飽きてしまうはずだ。

 「犬と一緒の」散歩を楽しむ人もいるのだろうが、うちの犬に限っていえば、ほかの犬が残した道端の匂いを探索するのに忙しく、私の言葉なんてまるで聞いていない。しつこく話し掛けられるのは犬としても耐えがたいものがあるだろう。話が明日の会議の議題だとか、相性の悪いお客とか、犬には(人間にとっても)どうでもいい内容なら、なおさらだ。

 うちの犬にとって幸いなことに、私は何かをイヤフォンで聞くことにしている。もともと仕事中に音楽を聴くことが多かったせいか、散歩中は音楽以外のものを聞く。海外にいたころには、日本語のラジオが聞けなかったので、今は懐かしいASAHIネットで朝日新聞の記事をドーッとダウンロードして、電子読み上げソフトに朗読させたWAVファイルをCDに焼き、携帯用のCDプレイヤーで聞いていた。「豪」を「やまあらし」と読んだりする欠点はあるものの、目で読めば気が付かない些細で重要な情報を発見することもあり、新聞を普通に読むのとはまた違う面白さがあった。そんなことをしながら思いついた嘘ネタが何本かある。

 過去1年半ほどは、NHKラジオのフランス語講座をMP3にしたものを聞いている。犬と一緒に歩いている中年男が、一人でぶつぶつフランス語をつぶやいているのは不気味だろうが、幸い、北海道で冬の朝6時前に外を歩いている人はほとんどいないし、いるとすればその人自体、相当変わっている。

 そのフランス語講座は、05年下半期に放送されたものだ。実は04年上半期、つまり私がこの街に帰ってきた直後に放送されたものの再放送。私は海外にいたころから何度かフランス語に挑戦し、そのたびに挫折してきた。04年の放送はMDラジカセでタイマー録音して、車での移動中やフィットネスクラブでのランニング中に聞いていたが、私はタイマー録音のセットはできても、録音が成功して毎日少しずつ増えていくMDをきちんと管理したり、定期的にMDを交換するということができない人間なので、5月になるかならないかのうちに挫折してしまった。

 そこで05年下半期はフランス語の学習ではなく、フランス語会話の放送の録音に専念。成功した時点ですべてのファイルをMP3プレイヤーに入れて、インターネットのオークションサイトで中古の教科書を入手して勉強を始めた。1年近くかかってなんとか100回のレッスンは終えることができた。まだ「フランス語が話せる」と言えるレベルには全然達しておらず、繰り返し繰り返し聞いているけれど、とりあえず「サンテ・ド・ウー」の意味だけはわかった。

 なぜ私が最新の放送を録音して聞かないかというと、それは講師の杉山利恵子さんの声が心地良いからだ。テキストのプロフィールによれば1981年に東大卒。このとき22歳なら、27年が経過したいまはもうすぐ49歳という計算になるが、声は非常にかわいい。ちなみに杉山さんはいま、テレビのフランス語講座の講師をしているが、もし81年以前にミス東大という制度があれば、きっと選ばれたのではないかと思う。

 心地よいという基準ではなく、味があるという意味なら、名前は知らないがいまラジオのイタリア語講座を担当している日本人の男性講師の語りがたまらない。イタリア語の明るい響きと不釣合いな、というよりもイタリア語の明るさを際立たせる地味な、それでいて暖かい日本語に聞き入ってしまう。派手さはないが経験豊かで確実に生徒の会話力を伸ばすことができる路地裏の「イタリヤ語教室」の趣か。

 語りという意味でもっとすごいのは同じくNHKラジオ第2放送でやっている英語ニュースのHirokazu Sakamakiさんだ。Sakamakiさんの英語がアメリカ人やイギリス人にどう聞こえるのかは知らないが、私の耳にはBBCよりもCNNよりも上手に聞こえる。よく聞いてみると、声だけでなく、息を吸い込むときの音がこの人の特徴であることがわかる。自然にこういう発声にはならないはず。Sakamakiさんは、誰かの真似をして、演技しているという意識をもちながらこういう声を出しているのだろう。日本語で話し掛けたら、甲高い広島弁が返ってきたりして。

事故

2008-01-02 23:29:53 | Weblog
 いまから1週間ほど前のこと、ラジオを聞きながら車を外出先から会社に向けて走らせていると、左のほうからメタリックグレーのランクルが交差点に突っ込んできた。すぐにブレーキを踏んだが、雪が踏み固められてアイスバーンとなった路面で、ブレーキは気休め程度の働きしかできない。ランクルはそのままハイスピードで交差点を突っ切ってくれれば良かったのに、中途半端なところで止まり、その運転席のドアに私の車はぶつかって止まった。

 ランクルの大胆な信号無視、というよりもあっぱれな無頓着ぶりに、私のほうが赤信号を見落としたのではないかと怖くなり、すぐに信号機を確認すると、やはり私のほうが「緑」だった。

 ぶつかった場所に止めたままの車を降りた。ランクルからは50歳くらいの女性が降りて、申し訳なさそうな顔をしていた。待ち合わせに2時間遅れたくらいの申し訳なさだったのは、私が五体満足で車から出てきたのを見たからだろう。私の首が折れてぐにゃりと後ろに曲がったりしていたら、2時間相当では到底足りない。

 「すいません。ボーッとしていて」

 私が確認したかったことはひとつだけ。そのまま相手にぶつけた。

 「いま、あなた信号無視しましたよね」

 「はい。すいません」

 非が向こうにあることが確定したので、私は携帯電話で生まれて初めて110番した。場所と自分の名前、簡単な状況を伝えた。そのあとで気がついた。私の車がまだ通行のジャマになっている。「ほかの車のジャマになろうが大渋滞になろうが気にせず警察の到着まで車を止めておけ」という台湾の鉄則に、無意識のうちに従っていた。110番の相手に動かしてもいいかと確認してから、車を道の路肩に寄せた。

 相手の車はドアが引っ込んだだけで、私の車もバンパーの表面が傷ついているだけのように見えた。しばらくしてパトカーが来た。状況を話し、ランクルの女性と名刺を交換、連絡先を教え合ってから別れた。別れ際の「すいません、私、動転していて。受験生の子どもがいるものですから」という相手の説明自体、その人がまだ動転していることを示していた。

 友人の自動車工場に私の車を持って行って見積もりしてもらうと、バンパーだけでなく、内部のラジエーターまで損傷していた。車は自動車工場の仕事納めの次の日に、真新しいバンパーとともに戻ってきた。私が購入直後につけてしまった傷もきれいに消えていた。

 事故の翌々日、事故現場のすぐ近くの交差点で、自動車工場から借りた代車に乗って信号待ちをしていると、事故の相手の女性が偶然、その交差点で右折してきて、私とすれちがった。私は、笑みを浮かべて会釈した。向こうは、「誰だろう」と怪訝そうな顔を浮かべながら接近してきて、私だと気がついた瞬間、事故の直後以上に驚いた表情になった。まさか信号無視でぶつけてしまった相手に微笑みかけられるとは、という気持ちからだったのだろう。私が相手をにらみつけ、ガラス越しに罵声を浴びせていれば、もうちょっと自然に受け入れてくれたのかもしれない。
 

財布

2007-09-18 21:09:39 | Weblog
 携帯電話をテーブルの上に置いておくと、よく友人に言われる。

 「そろそろ買い替えたら?」

 いまの携帯は約4年前に買った。メールはほとんどがパソコンで出すし、携帯からホームページを閲覧することもなく、カメラはちょっと大きなレンズが付いているものを使っているので、携帯はほぼ純粋な「電話」だ。強いて言えば、よくボールペンを会社に忘れてくるので、大事な数字をメモ代わりに携帯に入力しておくくらいか。

 買い替えを勧められるのは、機能が足りないからでなく、銀色の塗装があちこちで剥げて、下地のネズミ色が見えるようになっているため。ズボンのポケットに、鍵の束と携帯を一緒に入れておくことが多く、キザギザに引っかかれて見た目はボロボロだ。

 しかし、唯一必要な通話機能に不足を感じないため、買い替えたいと思ったことは一度もない。やっと操作方法にも慣れたところなので、いまさら新機種を買って苦労したくないという理由もある。

 いまはMP3とか、GPSとか、ゲームだとか、いろんな機能を搭載した携帯端末があるらしいが、それぞれ専用機を購入したほうが安くて使い勝手もいいのではないか、というようなことを書きつつ、「ああ、オレも歳をとったな」という自覚している。若い人にとっては、いろんな機能がのっかった小さな機械が「携帯」なのだろう。

 が、頭の固い、軟らかいは関係なく、携帯に財布の機能を持たせることだけは余計だと確信をもって言える。世の中の店がすべて現金お断わりになれば別だが、そんな時代は永久にやってこない。携帯で代金を支払える店も、キャッシュのレジスターは残すはず。だとすれば、お財布携帯を利用する、利用しないにかかわらず、昔ながらの財布は持っていかなければならない。財布と現金を持っていれば、携帯がなくてもどんな店でも支払いができる。だとすれば、財布だけを選ぶのが合理的な判断だろう。

 それでもお財布携帯を選ぶ人がいるとすれば、目立ちたいだけか、あるいは携帯電話の通話やメールなどの機能が大切で、財布機能を「ついで」に必要としている人ではないか。財布を持ち歩くのは面倒。携帯はどうしてもいる。それなら携帯でお金を支払えるようにすればいいという論理なのだろう。

 私にはそういう考え方ができない。外出するときに携帯か財布かどちらか選べと言われれば迷わず財布を選ぶ。人間、外でどんな目に遭うかわからない。いざというときに携帯で警察や家族を呼ぶより、とりあえず財布を持っていればなんとかなりそうだと思う。だとすれば、従来の財布におまけ程度でもいいから通話機能を持たせたらどうだろうと想像してみたら、自分でも意外なほどそういう商品をすんなりと受け入れられることに気付いた。

 折り曲げるタイプの財布なら、そのままの構造で携帯にもなりそうだが、商品のインパクトは、ガマグチの口を耳にあてて相手の声を聞くタイプのほうが大きい。相手の声の大きさに合わせてガマグチが開いたり閉じたりするようにすれば、注目度はお財布携帯の比ではない。

同病

2007-09-14 08:48:23 | Weblog
 顔が浅田真央そっくり。私の目にはそう映った。ところが「安倍晋三って、浅田真央に似てるよね」と言うと、みんなが否定する。2人の人間の顔が似ている、似ていないの基準はどこにあるのだろうというのが安倍晋三にまつわる私の最大の関心事だった。逆に言えば、ほかには余り関心がなかった。

 そんな私も、突然の辞任劇には驚いた。緊張を強いられる場面の直前には逃げ出したくなり、逃げ出したあとの状況の変化を空想したりするものだが、大人になってからの私は逃げなくなった。最後はなんとかなるものだ、という裏付けのない楽観的な見方もできるようになった。だから安倍の辞め方には賛同できない。辞めない辞めないと言っておいて突然逃げてしまったのだからなおさら悪い。私も、世間一般と同様こんな見方だった。つき先ほどまでは。

 ラジオをつけたら政治評論家が出ていた。「今だからいいますが、記者たちの間では、安倍さんはパンパースを履いているんじゃないかと冗談半分で噂していたんですよ。それくらい頻繁にトイレに行ってましたね。本会議になれば2時間はトイレに行けないから、これじゃ首相は無理だってことになったのかもしれません」

 だとすれば、話は別だ。私も大学を卒業して就職した直後はそうだった。京浜東北に乗って研修会場のある大井町で降りるのだが、東京を過ぎるあたりからだんだんお腹が緊張してきて、新橋からは各駅トイレ状態となり、大遅刻してしまったことがある。

 今になって思う。安倍は大変な状況だっただろうと。農相の自殺? 後任の農相の不明朗な会計? 参院選惨敗後の農相の不祥事? そんなの知ったこっちゃない。こっちは腿と腿をぴったりとくっつけ、臀部に全神経を集中して、鉄砲水のように大腸内で荒れ狂う高粘度液体を体内に封じ込めているのだから。

 それを1カ月前に教えてくれていたら、私の安倍政権への見方はまったく違っていたと思う。同郷、同窓のような親近感を、同じ悩みを抱える安倍に感じていたと思うのだ。

 いまもあるかどうか知らないが、ホームページの草分け的な存在として、腸の弱い人から集めた体験談を掲載していたサイトがあった。そこに「胃の弱い人は同情を集めるのに、腸の弱い人は笑われるだけだ」と書いてあったのを覚えている。たしかにそうだ。口をハンカチで押さえれば絵になるが、尻をハンカチで押さえてもマンガにしかならない。

 腸の弱い人は決して少なくない。安倍が選挙前から腸が弱いことをアピールして、腸の弱い人に優しい社会を築くことを公約にかかげれば、全国2000万人の弱腸者が自民党に1票を投じたはず。まあ、民主党にも小沢の心臓の弱さという強い武器はあるのだが。



旧式

2007-09-13 10:41:34 | Weblog
 中古品屋で3150円のワープロを買った。1994年製のNEC文豪だ。この文章はそのワープロで入力し、パソコンでアップしたものだ。

 個人的な事情のために、ときどき地下室にこもるようになった。暇な時間に仕事をするため、パソコンを安く買うことも考えたが、ここではどうせネットに接続できないし、いつまでここにいるのかも定かでないので購入に踏み切れないでいた。そんなときに見付けたのが中古のワープロ。陳列棚の隣にはもっと安い文豪の別モデルがあったけれど、「補助フロッピーはありません」とのこと。一応、その「補助フロッピー」がついているほうが安全だと思って高いほうを購入したら、「補助フロッピー」は「補助」どころかOSのような必須のアイテムだった。高いほうを買って正解だった。

 …と思ったら、フロッピーが2DDタイプしか使えないことに気がついた。自宅の旧式パソコンとはMS-DOS形式のフロッピーを通じてデータをやりとりしようと思っていたので、これは誤算だった。完全に外部の世界から孤立した秘密の日記ツールにするつもりはなかったので、すぐに近所の電気屋に行った。思いのほか品ぞろえは豊富でも、売っているのは容量が倍の2HDだけ。ヤマダ電機も同じだった。近所の個人経営の家電販売店なら不動在庫として2DDを扱っているかもしれないと思って行ってみたら、いつのまにか店は閉店し、建物は取り壊され駐車場になっていた。

 なお、ウィキペディアを含むネット上のいくつかのページでは、2DDと2HDの違いは、ライトプロテクト孔の反対側にある孔だけとの記述があるが、2HDのフロッピーの孔をテープで閉じても、ワープロでもパソコンでもフォーマットできなかった。外見上は孔以外に違いはないので、なにか磁気的な違いがあるようだ。

 幸い、ヤフーオークションにはいくつか2DDのフロッピーが出品されていた。世の中にはまだワープロ専用機派がしぶとく生き残っているらしい。私は新品3枚セットに480円で入札した。1枚160円。その時点でもう2HDよりも高い。

 その直後に気が付いた。私の隣の席の上司が以前、言っていた。引き出し1つに、これまでの仕事のデータを収めたフロッピーがぎっしりと詰まっている。もう使うことはないが、かといって捨てるのは忍びない。時代から考えてほとんどが2HDのはずだが、ワープロで仕事をしていたこともあったと言っていたから、ひょっとしたら2DDも交じっているかもしれない。

 引き出しを開けさせてもらったら、新品同様の2DDが何枚か入っていた。事情を説明し、理解してもらえないまま2枚をもらった。フォーマット形式のために仕事用に入力した文章が丸々無駄になるというトラブルを乗り越え、いまはフロッピーを経由してパソコンとワープロの間でテキストデータがやりとりできるようになっている。ヤフオクのフロッピーにはほかの人がもっと高い値をつけた。

 昔はあれほど使っていた2DDのメディアが、もう通常の流通経路では手に入らないことに驚いた。書き込みが可能で、一般消費者にも広く普及していた記録媒体が絶滅するとすれば、これが初めてのケースではないだろうか。ベータのテープも見かけることはないが、ワープロはベータ方式のビデオよりも家庭に浸透していたと思う。カセットはいまもコンビニで扱っていて、機械も現役だから、まだまだ安泰だ。

 これがワープロ専用機全般に通じることなのか、文豪に限ったことなのかわからないが、ワープロの操作性はパソコンとはかなり異なっていて、イライラさせられることも多々ある。たとえば、未確定の文字列がない時点で句読点を入力するためにキーを押すとその時点で確定してしまうので、パソコンと同じように確定のために「改行」を押すと、「改行」のための「改行」になってしまい、意図していなかったところで段落が変わる。未確定文字列がある状態で句読点を入力しても未確定のままなので、パソコンと同じような操作が必要になる。まあ、3150円だから、そんな不満を言ってもしかたがない。

 利点は、起動が速い、ギコギコ音もブーン音もウィーーーーン音もないなどたくさんある。直接的にはネットにつなげないことも利点だと見なしているが、これで「パソコン通信」につなげれば、もっとおもしろいのに。


怠業

2007-09-12 14:25:12 | Weblog
 勤務中の公務員がウィキペディアに書き込みしていたことが問題になっている。私個人は書き込みこそしないものの、仕事中に仕事と何ら関係のないウィキペディアの項目を読み耽るのが大好きなので、たとえ個人的な好き嫌い丸出しの落書きのような記入でも、処分された公務員には同情してしまう。

 日本人は働きすぎといわれてきた。年間労働時間が1800時間とか2000時間とかで、欧米に比べればかなり多いはず。しかしそのうち、たとえばウィキペディアに書き込んだりして、仕事中に遊んでいる時間はどれくらいあるのだろうか。働き者の象徴と考えられていたアリの群れのなかにも、巣を出てからとくに目的もなくブラブラと歩き回り、なんの収穫もなく巣に戻ってくる個体が多いというから、実は日本人のなかにも実質で年間1200時間とか1300時間しか働いていない人がけっこういるのかもしれない。

 携帯電話が普及したころ、これで外回りの人間はサボれなくなると言われた。しかし、メールやネットが使えるようになると、逆に誘惑が増えた。内勤の人間にも、パソコン+インターネットというサボリの道具が提供されるようになった。IT技術の進歩の結果、サボる機会は確実に増えた。考えてみれば、自動車のおかげで歩かなくてもすむようになり、電気釜の発明で主婦は煙にむせなくてもすむようになり、冷蔵庫のおかげで買い物は週1回で良くなった。人間の文明史は発明とサボリの繰り返しだったのかもしれない。

 ネットのどこかで言っていた。ウィキペディアというのは、多数の人間が知識を持ち寄って巨大な百科事典を作るという意味でも、それを可能にするナントカというソフトウェア技術の確立という意味でも画期的なことらしい。しかし、IPアドレスから怠け者の所在を割り出す技術が編み出されたとしたら、文明史に逆行する蛮行ではないかと思う。

勝敗

2007-08-26 00:11:46 | Weblog
ラジオからプロ野球の中継が聞こえてくると数分後には消してしまう。贔屓のチームがピンチになるとハラハラして聞いていられなくなるのだ。相手チームの満塁はもちろん、ランナーが一人出るだけでもうだめ。ハンドルを握っていた左手が自然とカーステレオのスイッチを押す。好きなチームが負けている状態ではまず聞かないから、「大逆転」は翌朝の新聞を開くまでわからない。世の中には成功もあれば失敗もある。そんなあたりまえのことが直視できていないからだと気付いた私は、ひとり自己啓発セミナーに取り組んでみた。高校野球で贔屓のチームが苦戦するのを聞き続けるようにした。惜敗はもちろん、コールド負けさえも美しいとされる高校野球ならピンチもそんなにハラハラしなくてすみ、中継を長く聞くことが多くなった。しかし負けに価値を認めないプロ野球はまだまだ難しく、道はまだ遠い。いつになったら仕事上の失敗を直視できるようになるのかは、見当もつかない。

椎茸

2007-08-22 09:52:21 | Weblog
旭川と札幌を結ぶいくつかのルートのうちの1本である国道275号線。この道路のそばに「しいたけ飯店」という中華料理屋があることが、前々から気になっていた。人口数千人しかいなさそうな農村には不釣り合いな大きな店は、国道を通るマイカー客を狙っているのだろう。言わば中華ドライブイン。ドライブインという業態はもう死んだと思っていたので、どうしてこの店がやっていけるのかが不思議だった。先日札幌に行ったさい、妻と娘の反対を押し切って店に入ってみた。予想通りの広さ、汚さだ。昼少し前で半分くらいの客の入り。物販コーナーが併設され、みやげものを目指したと思われる失敗作と中国からの輸入品が並んでいた。私の注文したトンポーロー定食(1300円)は5分くらいで出てきた。豚の角煮の肉を細かく切らずに出した料理だ。味はまあまあ。特徴は量で、トンカツ3枚分くらいの肉が皿に盛られていた。たとえるなら「札幌までの1時間半、ズボンの前ボタンをはずし、チャックも下げて走らなければならないようなボリューム」だ。舌の肥えた客の多いこの時代、しいたけ飯店が生き残っている理由が「量」にあるのかどうかはわからないが、私は次に札幌に行くときも275号線にしようと決めている。

人手

2007-08-01 09:39:50 | Weblog
 50年余りにわたって存続し、もうすぐ解散する組織がある。最近、仕事でこの組織の関係者から話を聞く機会が多い。

 印象深いのは、昭和30年代前半から昭和40年代にかけて、この組織にいた人間の多さだ。たとえばボイラー室。いまはほぼ全自動の重油ボイラーだが、当時は石炭で湯を沸かしていたため、常に火加減を見ている必要があった。地上から地下のボイラー室に石炭を運ぶのも手作業。ボイラー室所属の人員だけで4人いたという。

 一事が万事、こんな調子。この組織の内部にあった理髪室でも、「おやじさん」のほかに4人の職人を使っていたらしい。4つの椅子に、店主を含めて5人の従業員。業界の平均的な数字がどのへんなのかわからないが、少なくとも今よりもかなり人口密度は高めだったようだ。

 昭和40年代、この組織は繁盛していた。パソコンや自動化された機器もなかった。だからたくさんの人が必要だった。もう一つ、関係者が異口同音に語るのは「当時は人件費が安かったから」という要素だ。健康保険や厚生年金、失業保険などの制度がいまほど充実していなかったため、間接的な人件費の負担もいまより軽かったのだろう。

 加えて、そのころはアルバイトやパートの比率が低かったらしい。強いて言えば、冬期間にだけ手伝いに来る農家の人が多かった。あとは給料が安い人が多かったとはいえ立派な正社員。だから組織内部の人間関係が濃密で、固定的だった。その結果、だと思うのだが、毎年1度の社員旅行が恒例の行事だった。

 疑問が2つある。そういう人間の密度が濃い職場で働き、そういう社会で生きていくのは、どんな感じなのだろう。もう一つ、たとえば5人いた理髪師が1人に減ったとして、残りの4人はどこに消えたのか。4人がいずれも独立して、理髪店が5つになったとは思えないのだ。2人が独立、2人はハサミとクシを置き、それぞれ吉野家とセブンイレブンで働いているような気がするのだ。

 その組織の元幹部のなかに、ボイラーマンとして入社した人がいる。地下のボイラー室で地道に10年働き、少しずつ出世して、最後は専務になった。いまは充実した老後を送っている。昔は、まじめに生きていれば一定の幸せをつかめるという暗黙の約束があった。いまの会社や社会でそういうことが期待できるだろうか。

教本

2007-05-06 22:43:33 | Weblog
 仕事中の息抜きにニュースサイトを見ていたら「愛されモテ子育成恋愛講座」(http://www.1moteko.net/")というサイトにたどり着き、すっかりはまってしまった。

 モテたいという気持ちは、私にもある(あきらめかけてはいるものの)。他の大部分の男にあることは知っている。女にもあるだろうという予想はつく。しかし、ここまで深刻なのだろうか、私もかつてはこんなに必死だったのだろうかと、懐かしい思いで読んでしまった。

 さて、このページが冒頭に掲げるテーマは「今まで誰にもモテなかった負け組女が一気にモテすぎて愛されすぎる大逆転恋愛術をお教えします!もてる極意とは?」。結論は、「特別マニュアル『モテない女からモテる女へ~5分で男に恋をさせる方法』 通常価格39,800⇒特別価格14,800」。テーマと結論だけ読むと、そんなもんだろうとしか感じないはず。なかなかどうして。冒頭から結論に至る過程は、なかなかおもしろかった。

 高橋ひろみさんは、自ら「モテない女」の代表として登場。ページに掲載されているこの人の写真を見て、私はあんまり「ブサイク」だとは思えないのだが、当人が言うにはブサイクで、23年間、誰にも愛されたことがなかった。

 それが、「でも、こんな私でもたった半年で13人に告白される程、変わる事ができました。そしてずっと大好きだった男性と付き合うこともできたのです。ちなみにこれが、私の彼氏です。」と、モザイクがかかっているとはいえ、彼の写真も公開している。それにしても半年で13人。2週間に1人ということは、うちの町内で言えば古新聞の回収と同じくらいの頻度だ。

 高橋さんが言うには、もてる秘訣は非常に簡単で、ページに掲載されている高橋さんから友人に対するアドバイスをそのまま紹介すると、

わたし:「M子は男によく思われようとして○○してるよね?」
M子:「うん、そうしないとよく思われないから」
わたし:「じゃあ、それを○○するようにしてみて。たぶんそれだけで反応が全然違うから」
M子:「え?それだけでいいの!?」
わたし:「うん、効果絶大だよ!こんな顔のわたしでもできるんだから

 とのこと。思わず考えてしまった。第1の○○、第2の○○はそれぞれなんだろう……。
わたし:「M子は男によく思われようとして【呼吸】してるよね?」
M子:「うん、そうしないとよく思われないから」
わたし:「じゃあ、それを【停止】するようにしてみて。たぶんそれだけで反応が全然違うから」
M子:「え?それだけでいいの!?」
やゆよ:「そりゃ反応全然違うでしょう。っていうか、M子さんも納得するなよ」

 ○○が2文字の言葉で、しかも、その後ろの「して」「する」とともにサ行変格動詞を形成する名詞だとしよう。なんせそれまでもてなかった女をモテ女に変化させるくらいの効果をもつのだから、そのへんにころがっている名詞ではない。何らかの重大な行為なり精神状態を示す名詞なのだろうと思って考えたが、ここではちょっと書きたくないような、「おんなへん」「にくづき」「さんずい」を含む卑猥な漢字2つ以外は思いつかなかった。

 そこで○○が、字数を問わない任意の言葉だと仮定することにした。

わたし:「M子は男によく思われようとして【上目遣い】してるよね?」
M子:「うん、そうしないとよく思われないから」
わたし:「じゃあ、それを【ヤンキーがけんかを売るようにアゴを傾けながら斜め下から上目遣い】するようにしてみて。たぶんそれだけで反応が全然違うから」
M子:「え?それだけでいいの!?」
やゆよ:「そ、それ告白じゃない。ひょっとして13人、全部そんなのか?」 

 さて、ページの構成としては、

・友人の失敗談
・モテ女になることがいかに簡単か
・モテなかったころの自分の境遇の説明
・19歳のときの自分の悲惨な経験の回想
・人生を180度変えた転機の到来
・究極の恋愛法則の発見
・愛されることのすばらしさ
・ほかのユーザーの成功談
・常識的とされるアプローチの間違い
・高橋さん式アプローチの効果
・適正価格の半額以下で販売する理由
・3つの特別プレゼントの説明
・「このマニュアルって本当に14,800円の価値があるの?」
・よくある質問
・再びユーザーの成功談
・最後に一言
・過去のメルマガ(31号分)

 となっている。モテなくて寂しい思いをしてきた人は、上から読んでいくと、「そうなのよ、そうなのよ私の悩みはそこなのよ」とうなずき、ひょっとしたら泣いてしまかもしれないと思う。思い込みの激しい人なら、「このマニュアルに従ったらモテモテになって男が次々と私のとりこになって逆に困るかもしれないけど、大丈夫、相手を傷つけずに私を危険から遠ざけてくれる『危険回避マニュアル』(2,900円相当)が無料進呈で付いてくるから」と安心して、クレジットカードで決済して、カードをダウンロードしてしまうかもしれない。

 さて、「特定商取引に関する法律に基づく表示」によれば、このサイトおよび販売業者を運営しているのは高橋さんではなく、「正岡 真」なる男性。こういうサイトの運営者は永遠に表に出てこないんだよな、というのは私の誤解。なんと、正岡さんと高橋さんに新田「オペラグラス」恵利がインタビューしているページがある。正岡さん、高橋さんの写真も出ていた。


http://www.jfeo.net/haiken/interview/2006_09/200609-19_01.html


 正岡さんもモテなそうなルックスだったら、もっと説得力あったのに……。