銀の月の彼方へ ~岡庭矢宵のブログ~

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ツファット 〜カバラーの聖地 イサーク・ルリアの墓を訪ねて〜

2016-08-16 21:45:10 | 日記


ツファット。


耳慣れない響きの名を持つこの街は、ユダヤ神秘思想「カバラー」の聖地として育まれた街。



1492年のセファルディ追放の折、多くの人々、そして「カバリスト」と呼ばれるカバラー思想家たちがこの地を目指してやって来たと言われます。


エルサレムと同じく、山の上に位置するこの街は、今も敬虔な宗教家、カバラーを探求し続けるカバリスト、そしてそこからインスピレーションを得る芸術家たちが寄り添って生きる、静寂な調和が息づく街となっています。



ユダヤのシンボルカラーである青色が家々のドアや門、鉄柵などに色づけられ、真っ青な空の色と相まって清々しさとある種の統一感が生み出されている...



そしてよく目にするのは聖なる果物である「柘榴」のシンボル。

夏のこの時期からユダヤ新年 "ローシュ・ハシャナー”にかけて、柘榴は次々と実り、収穫されます。

穫れたての柘榴は角の部分がまるで王冠のような、見事な形をしています。

柘榴は古代から、繁栄や、聖なる象徴としてあがめられた果物でした。


ツファットを覆う青色と赤い柘榴のコントラストが鮮やかで本当に美しい...。




カバラーとは。


巷では「カバラーの数秘術」などがよく女性誌などでもとりあげられ、耳にされたことのある方も多いのではないでしょうか?


ヘブライ語で「受け取る」という意味を持つカバラーは、師匠から弟子へ、教えや秘儀などがその名の通り、口から耳へと「受け取る」形で伝えられていった、ユダヤの神秘思想です。


旧約聖書の「モーセ五書」(「創世記」「出エジプト記」「レヴィ記」「民数記」「申命記」、ヘブライ語ではこの一連の五書を「トーラー」と呼ぶ。)に記されていることをいかに解釈するか、瞑想の過程で何が得られうるか、「ゲマトリア」と呼ばれる「数秘術」、または「ノタリコン」と呼ばれるヘブライ文字への解釈は、トーラーをより深く理解し、深い瞑想に入るための手段だったのです。



そしてカバラーは、ユダヤ民族がエルサレムを追われ、その後向かったイベリア半島の地で発展をとげます。


旧約聖書・オバデヤ書の冒頭に記された「セファラド」という地名。これがまさしくヘブライ語でスペインのことを指し、「セファラド」の地へ向かったユダヤ人のことを後に「セファルディ」と呼ばれるようになるのです。



このスペインでのユダヤ人たちの活躍は目覚ましいものでした。多くの学者、詩人、宮廷人などが活躍し、特に名高いコルドバのモーゼス・デ・マイモン(通称「マイモニデス」)は、あのキリスト教学者トマス・アクィナスにも大きな影響を与えたと言われています。



そんな中で生まれたカバラーの聖典「ゾーハル」。モーゼス・デ・レオンという人物によって書かれたこの書はアラム語によって書かれており、数々の難解な象徴表現に満たされ、歴代のカバリスト達はこのゾーハルを拠りどころとして、日々鍛錬、瞑想に励んだのでした。



そのスペインの黄金時代も1492年のイザベル女王、フェルディナンド国王による「ユダヤ人追放令」によって、運命を揺るがされます。



モロッコ、トルコ、ギリシア、バルカン、地中海世界に散って行った人々の中に、パレスティナの地を目指す一行がありました。それが彼らセファルディのカバリスト達です。


パレスティナ北部、山間の静かな地に多くの人々が押し寄せ、当初は仕立て屋がてんてこまいになるほどの様相だったといいます。
そして彼らはこのツファットで、静寂な、祈りと瞑想の日々を送るのです。




カバラーはさらなる発展を遂げ、そこに傑出した才能の持ち主があらわれました。それがラビ・イサーク・ルリアです。

幼いころから「神童」と呼ばれたルリアは, 才能に満ちあふれる上に、誰とでも気兼ねなく話すオープンマインドな性格で、多くの人から慕われたと言います。



そして、自らの思索を本に書き記して後世に残そうとか、

ライバル達から秘儀を隠そうだとか、

そんな気持ちなどは一切なく、野道を歩いては、草花や石などに目を留め、霊感があふれるままに思いを語ったといいます。




そんなルリアを人々は「アリ・ハカドゥーシュ」(ヘブライ語で「聖なる獅子」の意味)と呼んで崇めたといいます。



「アリ」の名を掲げる二つのシナゴーグのすぐ側には古代墓地があり、

イサーク・ルリアはここに眠っています。

墓石にはユダヤの神聖な色である青色が、くまなくペンキで塗られ、

お墓というイメージを吹き飛ばすかのような鮮やかなスカイブルーの一角になっています。




ここに、ルリアを慕うカバリストや大勢の人々が訪れては、墓石にキスしたり、額をつけて熱心に祈り続けていたりします。

私が訪れたちょうど二日前がルリアの命日にあたる日だったので、いつもより多くの人がその時はいたようです。

突っ伏して祈る人、目を閉じて瞑想にふける人、側のベンチで談笑する人、それぞれの形でルリアの魂と触れ合うのです。





そして、以前から合いたかった、ツファットのとあるカバリストを訪ねました。

ヘブライ語の言葉同士のつながり、そこに意図された目から鱗が落ちるような概念、

そして、その方から伺った一言は、私の心を震わせました。





「あなたは眼鏡や鉛筆に魂があると思いますか? 彼らにも魂はあるんですよ。」





これには私もびっくりしました。


「〈向かい合うこと〉は大切なんです。何事もね。トーラーとカバラー、この二つが向かい合ってこそ、なんです。」


何か私の中で、腑に落ちていくものを感じる瞬間でした。



ちょっと前だったら、こんな風に感じることもできなかったでしょう。



「来るべき時に、時は訪れる」、事はこうして配されるのでしょう...。























ペサハ ~過ぎ越しの祭り 2016 その2. "セデル”と"ハドゥ・ガディヤ”

2016-04-29 21:26:25 | 日記
さて、”その2"では、ペサハ初日の夜の儀式的食事、"セデル” について語ってみたいと思います。

"セデル”とはヘブライ語で”整える”という意味の”レサデル לסדר"という動詞から来ています。転じてそれが ”式次第”という意味になります。

セデルで用意される食材にはすべて意味があります。
日本でいうところのおせち料理に近いかも。

”マロール“ (セロリ。転じて”苦い菜” エジプトでの苦役を思い起こす。)
"カルパス“ (野菜。エルサレムの神殿時代、オードブルとして最初に野菜を食べていた)
"ハゼレット“ (セロリよりも苦い菜)
”ゼロア“  (子羊の前脚のロースト。神の力強い手を示す)
"ベイツァー” (卵。エルサレム神殿時代の犠牲の捧げ物の象徴)
"ハロセット" (マッツァにつけて食べるジャム。りんご、クルミ、シナモン等を混ぜてワインで煮詰める。エジプトでの奴隷の際に課せられたレンガ積みに使ったペーストの象徴)


さて、これらの食事を目の前に粛々と唱えられるのは"ハガダー”と呼ばれる、ペサハの為の特別な祈祷文。
ここでは、モーセに率いられてユダヤの民がいかにしてエジプトから逃れていったかが語られます。

祈りの中では何度かワインが飲まれますが、エジプトの王、ファラオが登場する場面では、当時、支配者たちが寝転びながらワインをたしなんでいたことにちなんで、祈りの中では椅子にもたれかかって寝そべるようにしてワインを飲むのも儀礼のうちの一つです。

このハガダーが長い!目の前に食事があるのになかなか手が届かない。これだけでも充分に苦難です(笑)
もっと大変なのは、退屈な祈りを我慢してずっと待っていなければならない子供たち。
そんな子供達のために用意された、ハガダーの最後に出てくる、”ハドゥ・ガディヤ”という、楽しい歌があります。
動物たちが登場して、どんどんたたみ掛けるようにして歌われる歌で、子供たちも眠くなりそうなところからパチっと目が覚めて、大喜びでこの歌を歌います。


父が二枚のコインで子山羊を買ってきた
猫がきて、その子山羊を食べた
犬がその猫にかみついた
その犬はムチで打たれたそのムチは火で燃やされた
水がその火を消した
牛がその水を飲んだ
者がその牛を殺した
その者は死の天使に殺された
死の天使は神様に滅ぼされた


子供たち向けのものとはいえ、なんだか「輪廻転生」とか、そういったものを思わせる内容ですが、やはり実際、この内容はユダヤ民族の運命を子山羊に例えて最後にメシアの到来がやってくることを述べたものであるとか、宇宙の法則を語ったものであるとか、人間の誕生から審判の日までを描いたものであるとか、様々に解釈されているようです。

イメージでいったら、どんどんたたみかけていくあたり、”ずいずいずっころばし”に似た雰囲気があるような感じです。
”ずいずいずっころばし”も何か深淵な意味がありそうですが、どうなんだろう?^^☆☆ 子供の歌に隠された暗号?のようなものって、結構ありそうな気がします。


ユダヤ音楽研究の第一人者であられる水野信男先生は、このハドゥ・ガディヤに関して、アフガニスタンの古都へラートにこの歌とそっくりな内容の歌があると指摘されています。それだけではなく、ヨーロッパから中東にかけて、この内容と似たような詩というのは少なからず存在するようです。おそらく、もとをたどればこの「ハドゥ・ガディヤ」に行き着くでしょう。
まるで歴史の内側に面々と息づく地下水脈のようで、パズルを組み合わせていくような、そんな感触に覚えさせられます。





ペサハ~過ぎ越しの祭り~ 2016

2016-04-29 18:08:39 | 日記
”過ぎ越しの祭り”

キリスト教に詳しい方は、よくご存知かと思います。
そう、イエス・キリストが受難にあう前日、弟子達とともに過ごした最後の一夜、”最後の晩餐”とは、ユダヤ教の”過ぎ越しの祭り(ペサハ)”の初日の儀式的な食事のことなのです。
このお祭りは”春分の日から数えて最初の満月の夜”から始まり、1週間続きます。昨日で2016年の”過ぎ越しの祭り”は無事に終了しました。


”ペサハ”(英・passover)とは、ユダヤの民がモーセに率いられてエジプトを出る際、ファラオがこれを邪魔しようとしたことで神が怒り、エジプトに十の災いをもたらします。その”十番目の災い”とは、人間、家畜に至るまで、エジプト中の”すべての初子を撃つ”というものでした。そこで神はモーセに、”戸口に子羊の血を塗ったしるしのある家は通り過ぎていく”ということを伝えます。そのおかげでしるしを施した家に災いは及びませんでした。”過ぎ越しの祝い”は、この”災いが過ぎ越していった”ことを記念する祭り、エジプトを出る際の苦難を思い起こすものなのです。



モーセの”出エジプト”は、エジプト軍に追われて絶対絶命に陥ったユダヤの民の前でモーセが神に祈ると、目の前の紅海が真っ二つに割れて道が出来たという、あの場面でもとても有名ですね。


モーセは神と民とをつなぐ、メッセンジャーのような役割を果たしていました。聖書では、神と民の間の、どちらの言い分も聞いてその度に心を悩ませ、苦悩するモーセの人間味溢れる姿が描かれています。まるで今でいう”中間管理職”をも思わせる感じ(笑)興味ある方は旧約聖書の”出エジプト記”を読んでみて下さい。




さて、”エジプトを出て、約束の地へ向かえ”という、神の命令を受けたモーセはそれを人々に伝え、さっそく準備を始めます。
まずは当面の食料。この時、主食ともなるパンを焼いて食料にするわけですが、普通、パンは生地を練ってからイースト菌が発酵して生地が膨らむまで、しばらくの間寝かせます。
しかしこの時はそんな悠長なことをしている時間はありませんでした。生地が膨らまないうちにどんどん焼いて食料にしてかばんに詰め込みました。
この”膨らまないパン”を”マッツァ(種なしパン・”種”とはイースト菌のこと)と呼びます。
ユダヤのペサハではこのマッツァを、エジプトを出る際の苦難を思い起こす記念として、ペサハの間の一週間、パンは食べずにマッツァを食べます。
それどころか、ペサハに入る前日までには台所を隅々まできれいにして、”イースト菌を取り除く”という作業をします。転じてペサハは"除酵祭”とも呼ばれ、あらゆるイースト菌の入ったものはこの時期、禁止になります。なのでビールも禁止^^; 小麦粉、小麦を使った製品も一切禁止(パスタ等も×)という期間なのです。


先にも述べたイエス・キリストの”最後の晩餐”。
この時の食事はまさにペサハの初日の儀式的な食事"セデル”でした。そう、この時はすでに、パンはいつものふかふかのパンではなく、クラッカー状の種なしパン、マッツァです。
ミサの典礼文では“主イエスはすすんで受難に向かう前に、パンを取り、割って弟子に与えて仰せになりました”という、「割って」という表現、これはまさしく、マッツァのことを差しているんですね。
そして、儀式ではワインが飲まれます。儀式用の甘いワイン。
でもこれも、”イースト菌はダメ”でなかったら、もしかしたらビールでも良かったのかも...。
”最後の晩餐”がビールだったら、と想像すると、ちょっと緊張感が半減しそう(笑)



(写真は箱売りのマッツァ。このクラッカー状のものがそう。普通のクラッカーより固め。おこげの部分はおせんべいを思わせるお味☆)








エラの谷

2016-03-14 15:15:57 | 日記
すっかり春めいたイスラエル。
この時期は色とりどりの花が咲き、聖書に出てくるイエスの「野の花のたとえ」をまさに実感できます。

そんな中、先日友達の家からちょっと車で走っていた時, 彼女が突然、
「ヤヨイ, ここはダビデ王とゴリアテが戦った場所だよ。」ええぇ~!!! ☆☆☆

なんてことない、緑が豊かな風景。でもその背景にはあのダビデ王にまでさかのぼる歴史が...!!


ダビデとゴリアテの話。

旧約聖書サムエル記上の17章で, まだ少年だったダビデが知恵を使って, 自分より何倍も大きな体の巨人ゴリアテを, その額に目掛けて石を投げ, 見事に倒しサウル王の信頼を得た, という話。この辺一帯は、聖書で"エラの谷"と呼ばれています。

その後もこのあたりは城がたっては一帯すべてが焼き滅ぼされる, ということもあったようですが, 今ではかつての城の跡を緑の草木が豊かに覆い、まるで何事もなかったような静かでのどかな場所。まさに"兵(つわもの)どもが夢の跡”という言葉を彷彿とさせる姿...。


明けましておめでとうございます☆Tokyo FMラジオ出演のお知らせ

2016-01-16 13:21:07 | 日記
みなさん、明けましておめでとうございます!今年も張り切って参りま~す☆どうぞよろしくお願いいたします♬

新年...といってもここイスラエルでは新年らしさはほとんど感じられず^^; ユダヤ暦の新年は秋からなのです。がんばって新年を感じるしかない(笑)


といったところでお知らせです。
明日の早朝(!)ですが、4:30~5:00にTokyo FM「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」にゲスト出演します。昨年11月の日本ツアーの際に収録したもので、イスラエルでの生活のことやセファルディの歌について、またイスラエルの音楽事情、イスラエル・ジャズについてなどもお話させて頂いています。


30分という時間は楽しくお話させて頂いている間にあっという間に過ぎてしまいました。
ツアーで共演したジャズピアニスト、ギラッド・ハツァブも共に出演しています。
少々早い時間ですが、ぜひお聴き頂きましたらとてもうれしいです!



「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」

DJ:田中美登里
ゲスト:岡庭矢宵(セファルディ歌手)
    ギラッド・ハツァブ(イスラエルのジャズ・ピアニスト)
    関口義人

テーマ:セファルディの歌、イスラエルのジャズなど


2016年 1/17(日)4:30~5:00am Tokyo FM & radiko.jp(インターネット首都圏限定)
1/17(日)4:00~4:30am K-Mix
1/17(日)0:00~1:00am MusicBird The Audio
1/17(日)6:00~6:30 コミュニティFM サイマルラジオ向け専用配信


(MusicBirdはTokyo FMグループの高音質CS衛星デジタルラジオ。クラシック、ジャズなどのジャンル別に多数チャンネルがあり、これを聴くには専用のチューナーとアンテナが必要)


☆コミュニティFMサイマルラジオへはHPにアクセス後、http://www.simalradio.info
「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」をサイマル放送している局の〈放送を聴く〉の部分をクリックするとお聴き頂けます。PC、スマホからでもお楽しみ頂けます。(サイマルラジオを聴くにはwindows Media playerが必要です)


どうぞお楽しみに!!!今年もどうぞよろしくお願い致します☆☆☆