いもあらい。

プログラミングや哲学などについてのメモ。

カッコのつかない話。

2005-11-24 04:15:00 |  Etc...
あのね、たまにはこういうエントリがあってもいいんだよね。

ん?
誰と話してるの?
ハハハ・・・
気にしない、気にしない。
ところで、さ。
何?
ちょっと思ったんだけど、鍵括弧が一つも存在しない小説とかってないよね?
まぁ、たぶんね。
絶対に会話は出てくるわけだし。
うん。
けどさ、別に鍵括弧がなくてもどこが会話で、しかもどの文が誰の発言なのかも分かるような気がするんだ。
というと?
例えばね、次みたいな感じはどうかなぁ。
ちょっと待ってね、鍵括弧を全部無くしたのを書いてみるから。
・・・出来た。
ほら。
ハンニ先生はひっつめ髪に鋭角的な縁なし眼鏡をかけた三十歳になる女性教師で、過剰な悲嘆癖と抜き打ちテストの趣味さえなければとても善良で敬虔な信仰者だ。
敬虔な信仰者というのはキーリの中では褒め言葉ではないが。
ああキーリ、まったくあなたったらなんていうことかしら。
まったくなんていうことなのかしら。
ああ神よ。
まあどうしましょう。
ハンニ先生はさっきからその程度の種類の少ない言葉で嘆いては、大げさな仕草で天井を仰ぎ、眼鏡をはずしてハンカチを目頭にあてるというのを繰り返している。
練習に遅刻したうえにその格好。
まさか今日の礼拝のことを知らなかったわけじゃないでしょう。
すみませんハンニ先生。
知らなかったんですハンニ先生、と言いたいのをこらえてキーリは素直に謝った。
下手に理由を並べ立てて先生と不毛な問答をするのは避けたい。
誰も教えてくれませんでしたなんて言い訳をするのもなんだか格好が悪いし(それは実際、正当な理由ではあったけど)。
・・・どう?
んー、どうって・・・まぁ、読めなくはない、かな。
でしょ。
たださ、やっぱり読みにくいんじゃないかなぁ。
なんか知らないけど、読点もやけに少ないし。
それはこの作者の癖というかなんというかだからねぇ。
そんなもんなの?
ま、いいや。
で、鍵括弧を全部無くしても読めなくないのは分かった。
じゃあそれで何が言いたいの?
まさか。
だから鍵括弧なんて飾りです。
偉い人にはそれが分からんのです。
がオチとか、そんなことは言ったり・・・
ギクッ!
・・・あ、当たり前じゃん。
さすがにそんなこと言ったりはしないよ。
ハハ、ハハハハハ・・・
・・・思いっきり動揺してるじゃん。
ゴホン!
それはおいといて。
ここで問題にしなければならないのは、どうして鍵括弧を取ってしまってもそれが会話だと分かるのか、ってこと。
しかもそのセリフを言ったのが誰かってことまで分かるわけで。
なるほど。
確かにそれは不思議だねぇ。
でしょ?
何でだと思う?
一応最初に聞いておきたいんだけど。
何?
これって正解ってあるの?
さぁ?
さぁ、って・・・正解があるのかどうかも分からない状態で聞くなよ。
とは言ってもねぇ。
いろんな意見を聞いてみたかった、っていうのもあるからねぇ。
で、何でだと思う?
なんかいい考え、ない?
そうだなぁ・・・

(ごめんなさい、実はここから先はまだ考察している途中で、考えがまとまっていません。口調、改行、それらに対する反論(これはこの文章自体でメタ的に)、AIだとどうか、経験、規則、という考察。そして、文章における「状態変化の期待」の存在によるもの(←これが今のところ本命)、と論を進めていく予定。オチは・・・本命で考えがまとまれば予定通りで。まぁ、せっかくなので読んでいる人がいれば読んでいる人も考えてみてください。)



っていう短編小説(?)でした。

ちなみに文章中の引用は『キーリ 死者たちは荒野に眠る』の第1章、冒頭部分からのものです。
(にしても、キーリ、いいですねぇ。オススメです。)
この引用の「内容」ではなく、引用「それ自体」も実はこの話題と関係があって、ここが引用なんだ、というのが印をつけなくても分かるというのは、なぜそこが会話なのかが分かる、というのと同じ理由が隠されていると考えられます。