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ハレ時々オンデマンドTV

オンデマンドTVの感想やら日々の見聞録

円谷プロのウルトラマン

2007-07-28 18:50:15 | ウルトラシリーズ
先日、仕事の打ち合わせで祖師谷に
行く機会があった。

駅の中に「ウルトラな街」という
横断幕やポスターが貼られていて
はじめて、円谷プロがあることに気が付いた。
(どうりで、聞いたことがあると思った・・・)

打ち合わせが終わって帰りがてら
散歩気分で円谷プロまで歩き、ついにたどり着く。
本当に住宅街の中に、突然現れる、といった感じ。

一般の見学はできないようだったが
「ここだったんだ!」としばし感慨にふける。

駅に戻る道筋の商店街にも
怪獣をシルエットにした
「ウルトラな街」のペナントが吊られていて
イベントがあるときはウルトラ兄弟が
やって来るんだそうだ。


今年はちょうどウルトラセブンが
誕生40周年にあたる(リカちゃんも/余談・・・)
ということで
TBSテレビで新シリーズ『ウルトラセブンX』という
復活シリーズを放映するそうだ。
プロデューサーの表有希子氏は「女性でも楽しめるように」と
ドラマ的な要素を取り入れる意向とのこと。

原作は確かに「大人の鑑賞にも堪える」
と言われるくらい、奥の深いものがあり
今見ても、考えさせられることが多いのだが
もちろん子どもの頃は何も考えずに無邪気に見ていた。

大人や女性が見られるのもいいけれど
やはり、小さな男の子が夢中になれるものを
つくってくれることを期待する。

「子供たちに愛と夢を」と
円谷プロのウルトラマンも言っていることだし。


ウルトラマン シーボーズ

2007-02-01 03:22:19 | ウルトラシリーズ
ウルトラマン 第35話
怪獣墓場/亡霊怪獣シーボーズ登場

怪獣は天災であるという、ウルトラマンの思想が端的に出ている。
「ただ力が強い、というだけで攻撃されて放り出される怪獣がかわいそう」
というフジ隊員の言葉や
「地球のためにやむなくやったのだ、許してくれ」と
心の中でわびる早田隊員(ウルトラマン)の心情には
昨日の敵は今日の友、あるいは罪を憎んで人を憎まず的な
性善説的で楽天的な感覚があるな。
日本的な勧善懲悪ヒロイズムの王道であろう。

とはいえ、これも実相寺監督作品で、
暗いシーンや横顔のアップ、ストップモーションを使った格闘シーンなど
他愛も無い話の中に緊張感を保っているところは、流石だ。

氏の『ウルトラマン誕生』という著作には
監督としての思い入れから具体的な撮影技術まで、事細かに語られており
制作者のこだわり、作品づくりへの情熱がこれでもか、
というくらい伝わってくる。
大げさではなく、ものづくりのバイブルと言ってもいいのではないか。


喪服を着たフジ隊員のうなじの色気は、アンヌ隊員にひけをとらない、と
40年経っておじさんは改めて感心してしまうのでした。

ウルトラセブン 第四惑星の悪夢

2007-01-29 01:01:18 | ウルトラシリーズ
ウルトラセブン 第43話
第四惑星の悪夢/第四惑星人登場

昨日に引き続き、今日はオンデマンドTVで
ウルトラセブンを見る。
昨年亡くなった実相寺監督作品。
シュールな中にも
アンヌ隊員のアップカットが美しい。

新型ロケットの試験飛行に出たダンと曽我が
地球(日本)とそっくりな、アンドロイドが人間を支配する
第四惑星に連れ去られる物語。
そこでは、生活の全てが500年先まで
「電子計算機」によって予測・管理されている。

思うに、コンピューターという機械は、世代によって捉え方に
かなり違いがあるのではないだろうか。
われわれのような40代以上の世代にとっては「電子計算機」であり、
複雑怪奇なシステムを管理するためのハードマシンであろう。
もう少し下の、特にデザインに詳しい人なら
「グラフィックマシン」であり、すなわちそれはマッキントッシュ。
多分、ウインドウズの3.1や95で接した人なら、
「ビジネスマシン」であろう。
インターネットの常時接続が当たり前になった現在では
「コミュニケーションマシン」であり、ハードというよりソフトマシンである。

汎用性の高い機械だから当然といえばそうなのだが
自動車や飛行機に対する認識はそう変わらないのに比べると、この違いは大きい。
コンピューターの役割がほぼ携帯電話と相似する現代の認識からすると
「電子計算機が人間を支配する」とは、まさに大時代的感覚かもしれない。

デジタルデバイドという言葉があって、地域や世代、教育によって
IT関連機器や情報に接する頻度に差が生まれ
その利便性を享受する機会に差が出ることを意味している。

パソコンも随分安くなり、インターネットもほぼ全国で
ブロードバンドが利用できるようになっていることを考えると
コンピューターに触れる機会は(日本なら)
ほぼ誰にでも均等にあるように思える。
ただ、コンピューターという機械に対する認識の違いが
年長者に消し去りがたい距離をつくっているのではないだろうか。

また、コンピューター=電子計算機という認識に凝り固まっている世代には
キーボードも近寄りがたい障壁になっている。
彼らにとってみれば、天気を調べるためにコンピュータに向かっても
無表情なキー配列が行く手を阻んでいるのだ。

ほんの10年の間でパソコンは格段に小さくなり、性能を上げてきた。
処理速度もメモリーもどんどん大きくなっている。
一番変わっていないのが、インターフェイスなのではないだろうか。

キーボードやマウスが無くても
ゲタを蹴り上げるように簡単に扱うことができれば
世のオジサン、オバサンたちはもっとコンピューターを使うようになるだろう。

そのとき初めて
「人間が電子計算機に支配される」という悪夢から解放されることになる。


いやはや、オジサンというのも手がかかるものだ・・・


ウルトラマン スカイドン

2007-01-28 02:51:33 | ウルトラシリーズ
ウルトラマン 第34話
空からの贈り物/メガトン怪獣スカイドン登場

久しぶりにオンデマンドTVでウルトラマンを見る。
ある冬の晩に、空から突然、チョー重い怪獣スカイドンが降ってくるという話。

この怪獣、ひたすら重くて、火を吹いては眠っているばかりだが
重すぎてウルトラマンすら歯が立たず、一時撤退してしまう・・・

で、この回が面白いのは、怪獣がしょうもない分
サービスカットのテンコ盛りで話を成り立たせているところか。

冒頭、雨の赤坂に出たキャップにジェットビートルで傘を届けたり
井出隊員の目の前のビルで身投げがあったり
夜中の警報でフジ隊員がパジャマ姿で出てきたり
怪獣を退治したとよろこんで、基地の中でビールで乾杯したり
航空自衛隊のF86が実写で、しかもブルーインパルス機がチラッと見えたり
皆でカレーを食べているところに怪獣が舞い戻ったため
早田隊員がベータカプセルとスプーンを間違えて変身しそこなったり
(有名なシーンですね)
〆は公園でお茶をたてるフジ隊員の和服姿。

ウルトラマンの出番が少ない分、科特隊が奮闘するが
四回も作戦に失敗するし・・・

なんだか訳のわからない展開ながらも怪獣を追っ払って、
最後のフジ隊員のセリフが
「もう空から変なものが降って欲しくないわ。だって春なんですもの」・・・
何か、大らかでいいなあ。

こういう天真爛漫というか、思考は、どこか落語に似ている。
怪獣だの何だの、訳のわからないものは
「冬なんだからしょうがないよ」と半分あきらめながらも
歯を食いしばって耐え、春が来て暖かくなると
それだけで「いいことがあるぞ」と喜ぶ。
人知を超えたものは、笑いとペーソスで乗り越えていくという
庶民的な生活感覚というか、処世術なのだと思う。

その根底には、未来に希望を感じ、人を信じて生きるという
ささやかながらも前向きで、愛情に満ちた暖かさがある。
「庶民」という言葉の裏には、それを卑下しながらも愛情を持って人認め
したたかに生きる快活なエネルギーがあった。
このエネルギーがニッポンを支えてきたのではないのか。
ウルトラマンこそ、そのエネルギーの象徴だったのだと思う。

最近「庶民」という言葉に替わって言われるようになった
上流・下流だの新下層階級だのワーキングプアだのという殺伐とした言葉には
愛情のカケラすらなく、互いの存在を認める余裕もない。

ウルトラマンの時代から40年が経ち、毎日流れるニュースでは
耳を覆う、人心を逸したかと思わせるものばかりが目立っている。
人間の心に怪獣を育てたのは、「庶民」という言葉を死後にしてしまう
想像力と愛情の欠如に他ならない。

モノがあふれ、情報はいつでも即座に手に入るようになった。
40年前はSFのおとぎ噺だったことが、目の前で実現している。
その代償として、未来への希望という想像力を失ったといわれても
とてもつりあっているとは思えない。

あのウルトラマンを生み出した大らかな想像力を
もう一度、取り戻すべきなのだ。


・・・と、おじさんは夜空に向かってこぶしを突き上げるのだった。
(遅いんだから、もう寝ろよ!)



さようなら 実相寺監督

2006-11-30 22:00:31 | ウルトラシリーズ
うかつなことに、ついさっき
実相寺監督の訃報を知った。

自分はウルトラQやウルトラマンやウルトラセブンを見て育った。
三つ子の魂、ではないが、大げさではなく
このテレビシリーズに受けた影響は大きい。

物語そのものはもちろん、うまくはいえないのだが
昭和30年~40年代という時代の
リズム、というかパワーというか、エネルギーを感じるのだ。

テレビの番組が、ともすれば映画に比べて
一段低いもののようにいわれることがある。
ある一面では、それは正しいのかもしれないが
この『ウルトラマン誕生』などを読んでいると
制作者の想いが実に半端ではないことがわかる。
必要は発明の母、という言葉があるが
制作者の想いが、新しい想像、創造を呼ぶのだろう。

自分がその時代に生まれて
『ウルトラQ』や『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』を
見ていたのは単なる偶然に過ぎないのだが
その偶然に、感謝したい。


実相寺監督、光の国まで、お気をつけて。


ウルトラセブンと手塚治虫

2006-07-29 02:38:50 | ウルトラシリーズ
オンデマンドTV ウルトラセブン
31話「悪魔のすむ花」

ビデオ→ジャンルから選ぶ→キッズ/特撮→ウルトラセブン

ウルトラセブンのシチュエーションの多彩さは見る者を飽きさせない、
というか、よくアイデアが出るものだと感心する。

31話「悪魔のすむ花」は少女の体内に侵入した
宇宙細菌ダリーをミクロ化したセブンが肺の中で倒す
という話。
見てすぐ『ミクロの決死圏』を思い出し、
調べて見たら、日本での公開は66年で
ちょうどセブンの前年のこと。
なるほどネタとして取り入れたのね、と納得して
ついでにDVDを探すつもりでアマゾンを開いてさらにびっくり。

カスタマーレビューを読んで初めて知ったのだが
そもそも『ミクロの決死圏』の元ネタが
アニメ版『鉄腕アトム』だったとは!
しかもその元は手塚氏48年作の『吸血魔団』という単行本なのだそうな。

つまりセブンのさらに20年も前に手塚治虫氏が
極小化して体に入るというアイデアを作品にしていたとのこと。
今更ながらに驚いてしまいます。
巨匠、すごすぎ。

その上、小さくなったセブンが助けた少女がなんと、松阪慶子!
当時14~5歳の新人ということで、妙に丸っこい感じだが
横顔が後年の美形を彷彿とさせる。

などなど、シリーズ中盤、ちょっとダレてきたか
というところで楽しめる1本ではありました。

おじさん、迷わずアマゾンで『ミクロの決死圏』買い。






アイ・スラッガー

2006-07-05 00:09:16 | ウルトラシリーズ
ウルトラセブン 21話
「海底基地を追え」

オンデマンドTVでは

ビデオ→ジャンル→キッズ/特撮→ウルトラセブン#21

ウルトラシリーズ、特に
セブンで色濃く現れている反戦、反武装の思想が
強烈に出ている。

沈没した戦艦大和が日本本土に向けて砲撃を行う
という痛烈なアイロニー。

ウルトラマンの頃から、怪獣をやっつけるなら
最初からスペシウム光線を浴びせたり
アイ・スラッガーを使えばいいじゃん、という疑問が
つきまとうわけだが、実はその答えがここにある。

ウルトラマンにしろセブンにしろ
「宇宙人」という生身の「人(?)」であって
ロボットでもなければ「兵器」でもない。
だから最初は「人力」で解決しようとする。

最初から必殺光線を使ってしまえば
彼らは単なる兵器に堕し、
戦争に明け暮れる人間と
変わりなくなってしまう、ということだ。


武器は武器を呼び、破壊はさらに大きな破壊を招く。
「戦艦大和」は日本人にとって戦い抜くこと、勝つこと、
ある意味で希望の象徴ですらある。

その「戦艦大和」に人間の醜態を語らせたのは
単に、そういう時代だったから、というわけではないだろう。
今さらながら、制作陣の「骨太」に感心させられる。

セブンにはカラータイマーがない。
時間を切る、ということは最終兵器の使用を
正当化する最も有効な手段だ。
それを否定するところにセブンの本質がある。


子供の頃のオレに、それを理解しろといっても
ムリだよなあ・・・


モロボシ・ダンの正体

2006-06-25 12:23:55 | ウルトラシリーズ
久々にオンデマの話。で、ウルトラセブン。

ビデオ→ジャンル→キッズ/特撮→ウルトラセブン#17
「地底GO!GO!GO!」

ウルトラシリーズは「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の
3シリーズが全編収録されていて感涙。

オンタイムで見ていたのは小学校の低学年の頃で
怪獣の記憶は鮮明なのに、ストーリーは
ほとんど覚えていない。
最初から見直して、こんな話だったんだ、
と関心することしきり。

ウルトラセブンの17話は
話としてはどうということはないのだが
初回に唐突に現れたモロボシ・ダン誕生のエピソードで
全く記憶になかった。

ウルトラセブンは思っていたより奥が深い。
ウルトラQの「アンバランスゾーン」というコンセプトが
ウルトラマンよりむしろセブンに色濃く出ている。

ウルトラマンとウルトラセブンの最も異なる点は
セブンが人間と同サイズまで縮小することと
敵役にこれまた「人間サイズの宇宙人」が
多く登場することだと思う。

極大化された怪獣やヒーローは「異界」の存在として
リアルな社会とは無関係な存在であり続けるが
人間サイズになることで、いきなり現実味(?)を帯びてくる。
つまり、人間とは「無関係にやってくる悪(巨大怪獣)」が
サイズダウンすることによって
「人間社会の中に存在する悪」の隠喩であることが鮮明になる。
ヘドロから生まれたゴジラ、という単純な図式より
もっと奥が深いものだ。

ウルトラセブンがモロボシ・ダンのモデルにした
次郎という青年は生きる希望を持ち、
それがゆえに、仲間を救うために犠牲になる
勇気を持った青年だった(17話)。

ウルトラマンなどのヒーローものは
「他力本願」の見本市のように言われるけれど
根底にはやはり、人間の力や勇気を信じる思いがあったわけだ。

およそ40年の月日を経て、オジサンは
やっとそのメッセージに気づいたってこと・・・?

こりゃ、三無主義とか言われてもしょうがないかもねぇ・・・