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ハレ時々オンデマンドTV

オンデマンドTVの感想やら日々の見聞録

Perfumeのかしゆかに見せたい1冊

2010-05-06 21:34:10 | 
『世界のシェー!!』 写真:平沼正弘



世界各地で出会った「路傍の人」に
シェー!!をしてもらった写真集である。

最初、本屋で表紙だけ見たときは
なんとお気楽な本かと思い、
こんな本が出版されるなんて
日本はいかに平和な国か、と思ったもんです。

で、これは絶対Perfumeの
かしゆかに見せてやりたいと思って
何も考えずに買ってしまったのですが。

1992年1月マラウィー共和国(ってどこにあるの?)から始まって
2009年2月の中華人民共和国までおよそ120カ所18年という年月が
決して「お気楽」じゃないことを雄弁に物語っている。
ごめんなさい。私の勘違いでした。



それにしても、シェー!!はシェー!!だとぶつぶつ言いながら項を繰りつつ
1996年2月のニューヨークの写真の背景には
双子の貿易センタービルがしっかり写っているのに、ハッとしたりする。



全部見終わってしまうと
別の意味で
やっぱり、日本がいかに平和な国か、ということを考えさせられるのである。

全ての写真に日付が付いているので
その日、自分が何をしていたか
思い出しながら見るのも面白いかもしれない。

ちなみに、本家本元の赤塚不二夫氏のシェー!!は
1997年の8月。氏が亡くなったのは2008年8月のこと。
仕事帰りにM氏の車に乗せてもらいながら
2人でしみじみしていたことを思い出す。



それにしても、世の中には色んなカメラマンがいるもんだと
つくづく感心した次第。

Perfumeのかしゆかファンの方にはぜひ。
「そうでないでない人」にもお奨めしたい1冊。

→何のことやら意味が分からない方コチラへ!



『世界のシェー!!』 平沼正弘 2010年3月24日初版第一刷発行 ㈱理論社1,200+税

九龍城の写真集

2009-08-24 23:57:14 | 
九龍城の写真集を部屋の中から発掘してみた。
10年ほど前に購入したものから最近のものまで4冊が出てきた。



どれも普通に買った物なので、珍しい物もでもないのだが
折角だから、見直しついでに感想を書いてみよう。


1)『九龍城砦』宮本隆司 平凡社 1997年6月2日初版



九龍城解体前の1987年と1992年、
解体作業の始まった1993年に撮られた写真をまとめたもの。
写真はすべてモノクロである。
解体前、解体後の空撮が何点か含まれていて、比較できるところが面白い。
住宅雑誌の編集者を経て写真家となった人らしく
建築造型物を抽象的に捉えた写真が多い。
人物はほんの数点、風景の一部として撮られているのみ。
この写真集はいわゆる「廃墟」ブームのはしりでもあったようだ。
同じ頃にNHKでも九龍城解体のドキュメント番組を見た記憶があり
自分の中ではその番組と宮本氏の写真がカブっているのだが
正確なところは定かでない。


2)『最期の九龍城砦<完全保存版>』中村晋太郎 ゴマブックス 
                  2009年6月10日初版



つい2カ月ほど前に出た最新の写真集、ではあるが、氏としては
1996年『最期の九龍城砦』
2003年『最期の九龍城砦<完全版>』に続く3冊目ということだから
やはり廃墟ブームの先駆的1冊なのである。
今回初めてカラーになったようだが
この色調はいわゆる廃墟写真の通例で、現在のブームを意識したものだろう。
しかし何といってもDVDが圧巻。
文字通りの廃墟を進んでいく映像は「よくこんなところに入ったもんだ」と
見ていながら恐怖に襲われる。
九龍城に関する本や映像がどれだけ出ているのかは分からないが
「廃墟」というアプローチで見るなら
手軽に手に入る、ということではこの本がベストかもしれない。


3)『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々』グレッグ・ジラード イアン・ランボット
                 尾原美保/訳 吉田一郎/監修
                 イースト・プレス 2004年2月25日初版



原書自体は1993年に出版されたらしい。
納められた写真は1987年頃の、住人がまだ住んでいた頃の写真がほとんどである。
上記2冊が廃墟、構造物としての九龍城を捉えた写真集なら
こちらはそこに住む「人」に焦点をあてたもので、
住人の実名入りルポルタージュになっている。
九龍城といえば一般的に魔窟とか迷宮など、
危険な街というイメージが一般的だと思うが
グレッグ・ジラートの目線はあえてそういう「危険」は強調せず
そこに住む普通の家族の姿や暮らしぶりを紹介している。
確かに建築物としての異常さ(不法増築など)を除けば
どこの国にもあるスラム街とさほど変わらないように思えてくる。
人間の持つしたたかさ、マイノリティのエネルギーを感じさせるという意味では
現代のハイテク空間よりもよほど人間的で居心地がよさそうに思ってしまうのは
私だけ、だろうか。


4)『大図解 九龍城』九龍城探検隊(写真・文) 寺澤一美(絵) 
           可児弘明(監修)
           岩波書店 1997年7月10日第1刷発行


       
1ページB4サイズの大判の本。
ボリュームはわずか40数ページではあるが内容は濃い!
解体直前の1993年に現地探険を行い、写真や図面によって
九龍城の内部をイラストで描き起こすという、
気の遠くなるようなことをやってしまった凄い本。
とにかく、展開するとB3W(電車の壁面についている広告2枚分)になる
側面写真と、その透視イラスト「生活復元パノラマ」の迫力が凄い。



取材したのは住人の退去後ではあるが
イラストには人物やその部屋の中に置かれていた(であろう)
家具や様々なモノ、洗濯物やゴミまで緻密に描きこまれている。
巻かれていた帯(腰巻)には
「フィクションでもなく、ノンフィクションでもない『物語』を表現してみた」
と書かれているが
これも上の『九龍城探訪』と同様、奇異なところばかりが強調される九龍城を
「生活の場」として捉えた、興味深いアプローチだと思う。
もちろん現実には無法地帯であり、不衛生な場所であったことには違いないのだろうが
現物がなくなってしまった以上
既に考古学(?)的領域に入っているようなもので
「希望的美化作用」が働くのはむしろ当然とも思えるし
やはり、その想像力には脱帽してしまうのである。


たかだか自分の本棚にある4冊だけの話ではあるが
久々に見返してみると九龍城の不思議な魅力にまたとり付かれてしまいそうだ。

廃墟ブームの発端といえばそれでもいいけれど
自分的にはそこに居た人間や、人間が存在していたときのエネルギーに
心惹かれるものがある。
計算不可能、予測不可能、統治不可能というのも人間の本質の一部ではあろう。
むろん、それは現代都市のあちこちで今だに残っているのだから
廃墟としてよりも、「生の記録」としてみる方が面白いと思うのだが
とうだろうか。



新橋「古本まつり」にてヴェルーシュカ『変容』購入

2009-05-28 00:01:02 | 
新橋古本まつり ヴェルーシュカ『変容』



打ち合わせの帰りに新橋を経由したのが運の尽き、というか
SL広場の「古本まつり」に遭遇。

この手のイベントにありがちな「文庫本100円コーナー」が並ぶ中
あまり期待せずに覗いたテントで
ヴェルーシュカ(モデルでアーチスト)の『変容』という写真集を発見。
見ての通り、ボディペインティングされた人物と風景の融合が
実に見事である。今風に言えば(?)光学迷彩の現実版というところ。



初版は1987年、SF映画「プレデター」がアメリカで公開されたのと同じ年のこと。
本書の解説では当時流行だった「記号論」の文脈で
小難しいことを書いているが、見た目のインパクトだけで十分だ。
カバーに多少汚れあり、第二刷で6,300円はまあまあの価格か。
アマゾンで検索すると、最低は7,000円からだ。

古本屋というのは従来、分かる人が分かればいいという
おおよそ商売っ気のない業界だから
特にこういうイベントでは、分類はメチャクチャ
POPひとつ付いているわけでもないということが
当たり前のようになっている。

神保町あたりではお店ごとに得意分野があって
純文学に強いとか山岳図書ばっかり、楽譜専門とか
見て歩くのがとても面白い。
それと同じにというのは無理かもしれないが
「一般大衆」相手だからといって、辞書だの文庫本だのでは
古本に対する興味はますます失われるであろう。

この業界の「専門性」を払拭することで
新しいビジネスを構築したのがBOOK OFFだと言われている。
BOOK OFFが出版社や新刊書店に脅威であることは確かだし
古本業界に与える影響も大きいのだろう。
買取~販売の値付けをマニュアル化して
本をリサイクル化したのは確かに画期的だった。

しかし、一般の小売業界、接客業界では既に
サービスや接客を省略して価格を落とす戦略は終焉を迎えている。
「コンシェルジュ」という言葉が流行していることからも分かるように
顧客はお店に対して専門性を求め、ナビゲートしてもらいたがっているのである。

BOOK OFFで購入できる本は、所詮その程度のモノでしかないし
サービスクオリティは残念ながら、限界が見えている。
その一方で、旧態依然として進化のスピードが遅かったがゆえに
小さな古本屋には、むしろ勝機が巡ってきたとは言えないだろうか。

つまり一般大衆相手の「古本まつり」だからこそ
BOOK OFFが切り捨てた本来の専門性をもっともっとアピールすべきなのだ。
ただし、分かりやすく、楽しめることが必須。
ヴィレッジ・ヴァンガードの真似をしろとは言わないが
個性的な古本のプレゼンテーション方法を研究すべきだと思う。

ちなみにこの『変容』を見つけたのは茶々文庫という
入間市のお店のテントで
文芸、美術、音楽CD(輸入もの)が並んでいたのだが
そのセレクトに一本筋が通っている。
店番をしていたのは髯のじいさんとメガネのじいさんで
なかなかいい味を出していた。

本日はこの茶々文庫にて上記写真集のほかにCD
メシアン/幼子キリストに注ぐ20のまなざし Pf:ベロフ ¥1,050 を購入、
30分で合計7,350円の衝動買いだ。
1冊100円の文庫本だの300円の料理本が1日何冊売れるかは知らないが
商売として、どちらが面白いだろう。

携帯プレーヤー市場では
30周年を迎えたウォークマンが音質にこだわった製品を投入して頑張っている。
「大」が切り捨てたものにこだわり続けることで
付いて来る顧客は必ずいるのである。


<本日の収穫(ムダ使い・・・?)>

ヴェルーシュカ『変容』 1988年6月10日初版第二刷
            リブロポート刊 定価5,000円

Oメシアン/幼子キリストに注ぐ20のまなざし Pf:Mベロフ
      EMI Records 2005 2枚組み \1,050(税込)


追記

UCCの缶コーヒーが今年で40周年なんだそうだ。



個人的には、決してエヴァは好きではないのだが
だからと言って、レイやアスカを否定するほど
了見は狭くない(?)のだ・・・

キャラクターエイジ

2009-04-12 21:52:37 | 
キャラクターエイジ VOL.2



プラモデルというと、今なら普通にガンプラか
スケールモデルということになろうが
オジサンが子どもの頃は
現物がない、文字通り空想のメカ物は大流行だった。

宇宙戦車とか深海戦車とか、
日の丸やアメリカ(らしき)白い☆が付いているが
まったくの空想の産物で、映画やマンガなどの
オリジナルがあるわけではない。

大体がモーターまたはゼンマイ、ゴム動力で走行し
背中のミサイルがスプリング内臓で飛ぶ、というのが定番だった。

本号でも取り上げられている緑商会や今井科学、青島文化教材社など
巻頭の写真で紹介されている模型はおそらく半分くらい
作った記憶がある。



多分小学校の低学年の頃はこうした空想系が当時の主流だった。
高学年くらいになると、田宮模型から精密・リアルな
スケールモデルが次々と発売されるようになる。
大体昭和40年~43年をピークにして空想系は次第に衰退していった。

プラモデルの発祥は欧米ではあるが、スケールモデルが主であり
こうした空想系のモデルが隆盛したのは日本だけだったようだ。
いまやマンガやアニメは世界に誇る日本の文化になっているが
そうしたヲタクの源流が、空想系のプラモデルにもあるに違いない。

40代後半のオジサンなら誰もが懐かしく思い出されることであろう。


『キャラクターエイジ VOL.2』 GAKKEN 定価1,680円(税込)


<追記>



たまたまヨドバシのオモチャ売場で
初音ミクのデカールを見つけてしまった!
これで昨年入手したポインターを
痛車に仕上げてやろうと目論んでいるのだが
いつになることやら・・・



高架下建築 大山顕

2009-04-11 19:27:40 | 
高架下建築 大山顕



またしても、大山顕である。
今度は高架下建築だ。

工場やジャンクションは人間の生活感を拒否するような
合理的で排他的な図体に、設計者の意図しない
見るものの(M的な)美意識をくすぐるところがある。

団地は生活の場ではあるけれど遠めに引いてみると、
コンクリートと鉄でできた幾何学的な構築物は
工場とさほど変わらない無機質さを露呈する。
唯一人間界との仲介役になるのが布団であることは
前にも書いたとおり。

今回の高架下は、もちろん構築物としての面白さもあるが
人間の生活臭がむしろ勝っているところに
本質があるのではないかと思う。
写真の見方にもよるのだろうが
裏道とか下町に接点を求めるアプローチもあるかと思う。



大山氏の目線は相変わらずウォッチャーとしての
客観性を保ちながら、いずれの「物件」にも
等しく愛情を注ぎ、やさしく語られている。

自分は北海道の出身なので、
あまり高架下の建築物には縁がなかった。
北海道で効果があるのはおそらく札幌かその近郊程度で
鉄道も高速道路も殆んど地べたを走っている。
あるとすれば地形や気候条件によるもので
「都市空間の有効利用」とは意味が違うものだ。
ちなみに北海道では高架下や線路脇の補助の敷地には
畑がつくられて、トマトやとうきびが植えられていたりする。
(とても全てが合法的に使われているとは思えないが・・・)

転勤でこちらに来てからは有楽町駅界隈の高架下をよく通ったが
最近ではイトシアができて、すっかり風景が変わってしまった。
東京駅側に若干まだ残っているが、それも時間の問題だろう。

東京から品川にかけて再開発の真っ盛りで
その風景は年々劇的に変化している。
詳しいことはもちろん知らないが、
電車の窓から見る限り、その計画はあまりにも完璧で
異物の入り込む余地もないようだ。

高架下の建築物というのは、
まさにこうした都市計画からはみ出た異物のようなものではないかと思う。
それがゆえに、人間のしたたかさというか、エネルギーの凝縮を
感じるのではないだろうか。
街はそのエネルギーによって新陳代謝を繰り返し
微妙なバランスを保ちながら、役人やランドプランナーの思惑を超えて
活力を維持している。
新宿がその典型で、高層ビル街にの足元に張りつくような
喧騒と猥雑な風景はあぶくのように消えては生まれ、無くなることはない。

東京~品川沿線にはそうした人間臭いエネルギーは、全く感じられず
まるで無菌室の中の模型のように、美しいビルが建ち続けている。

50年経って有楽町の高架下がどうなっているのか
見てみたいと思うのは自分だけだろうか。


『高架下建築』 大山顕著 洋泉社 本体1,700円+税


<追記>



チバラキ限定だったはずのMAXコーヒーが
横浜の自動販売機でも見かけるようになった。
(気づかなかっただけ?)
早速、飲んでみたのだが、聞きしに勝る甘さにはビックリ!
と、言いながら、この味どこかで飲んだことがあるような・・・

そうそう、小学生の頃飲んでいた
インスタントコーヒーの味にそっくり!

ネスカフェ・エクセラをスプーン1杯に
クリープ(もちろん粉末)を山盛り1杯。
さらにグラニュー糖を2杯!
・・・でこんな味だったのではないかと思う。

あまりの美味に感激して
1日でネスカフェの大ビンを空けるほど飲んでしまい
大層怒られた記憶がある。

一時発売されたことがあるネスレ(当時はネッスルと言っていた)の
缶コーヒーもその味に似ていて(もちろんそんなに甘くない)
感激したものだ。

ちょっと、懐かしい気がした。

団地の記憶

2009-04-07 22:48:41 | 
団地の記憶 長谷 聰+照井 啓太著



工場の次は団地だ。
これも出たのは去年だから、ネタとしては古いが。

工場の写真は、生産機能飲みに特化して
合理的・抽象的に構成された直線的な非人間性に
なにやら突き放された、M的な美感をそそられるのだが
直線的で合理的という点では団地にも共通するものがある。

コンクリートと鉄で構築されたアパート群は
その素材だけ考えれば、工場とさして変わらない。
大きく異なるのは、「そこに人が住んでいる」という生活感であり
それはベランダに干されている布団が最もよく象徴している。



通の方はどういうのか知らないが
自分にとって団地をを団地たらしめているのは
まさにこの布団ではないか、と思うくらいだ。
さらに言えば、外観からは分からないけれど
コンクリートには明らかに似合わない、内装の畳と襖。

最近のSFでは近未来の世界でも新しいものと古いものが
混在するのが表現方法として定番になっている。
デジタルとアナログ、西洋と東洋と言ってもいいのかもしれないが
相反するテクスチュアが混在する空間は
まさにこの団地の空間にほかならないと思う。

さらに大げさな言い方をすれば
デザイナーが苦心して仕上げたシンメトリーな幾何学模様を
この布団がものの見事に崩してしまっているわけで
それは画一的なテクノロジーに反する
人間のささやかな抵抗と言えなくもない。

団地の写真を見てなんとなく懐かしかったり、ちょっと安心するのは
そうした抵抗を感じるからなのかもしれない。


『団地の記憶』長谷 聰+照井 啓太著 洋泉社  本体1,600円+税

<追記>

団地といわれてどうしても思い出してしまうのが
大友克洋の『童夢』。
ストーリーの面白さもとにかく
緻密なタッチで描かれた団地の情景は
その後の漫画の歴史を変えたと言われるほどのインパクトがあった。
団地好きにははずせない1冊ではある。







工場萌えF

2009-04-05 22:40:01 | 
工場萌えF 石井哲(写真)×大山顕(文)



出たのは2月だから
ネタとしてはちょっと古いのだけれど。
前作にも増して夜のシーンが増えて
美観が強調されている。
「何度でも、うっとりしよう。」というオビのコピーに
その辺の思い入れが込められているようだ。
燦燦と輝く光に浮かび上がる幾何学的な美しさはもとより
丁寧に付けられた解説の文章には
作者2人の愛情さえ感じられてしまう。

今回の目玉、というか特典は
最後に世界遺産にも登録されているという
ドイツのフェルクリンゲン製鉄所と
デュイスブルク-ノルドパークが納められていることだろう。
こちらは昼の写真のみ。
稼動していない工場だからむしろ「廃墟」と言ったほうがいいのか
さび付いたパイプやら溶鉱炉やらが、なぜか生ナマしい。
前半の美しい夜景と好対照だろう。

前作が結構評判で、流行語大賞にノミネートされたり
工場見学のバスツアーが企画され、大人気となったりと
「工場好き」がそれなりに認知されたというか
人前に出しても恥ずかしくない、くらいの趣味にはなったようだ。
とはいえ、そこは日本のこと、いつまで続くかはわからない。

ドイツの工場は「公園」として管理され
一般に公開されているそうだ。
テーマパーク的な遊びの施設も加えられているようだが
「生活」と切り離さずに考えられているところが
根本的な思想の違いを感じる。

キレイなとこだけ眺めて、写真を撮って帰ってくるなら
工場見学もただの○協ツアーと変わらない。

この写真集シリーズが、ただの観光ガイドブックで
終わらないことを望むばかりである。


『工場萌えF』石井哲(写真)×大山顕(文) 東京書籍 本体¥1,900(税別)


追記

横浜は桜が満開である。
京急沿線の日の出町から黄金町あたりの川沿いが
花見の真っ盛りで、たくさん人が繰り出していた。



確かに、桜は歩道に沿って並んでいるのだが
見る人もみんな歩道にブルーシートを敷いて
酒盛りをしているのには、さすがに驚いた。
お祭りのような出店まで出てるし(それも歩道に)。
多分毎年の恒例なのだろうが、
ちょっと面食らってしまいました。


石渡 治 オッズ odds GP!

2009-02-03 22:08:17 | 
石渡治 オッズ odds GP!



YSスペシャルが終了してさびしくなったと嘆いていたら
石渡治氏の「オッズ odds GP!」が
漫画アクションに引き継がれてスタートした。

こうの史代氏の「この世界の片隅に」が終わってしまったので
アクションを読む理由がなくなった、
と思っていたら、これである。

話はいよいよ麟太郎のプロデビュー戦から始まる。
今後の展開に期待しよう!


石渡治「odds GP!」 
漫画アクション No.04から (株)双葉社 定価300円(本体286円)


YSスペシャル 終了

2009-01-24 22:55:28 | 
ビッグコミックスピリッツ増刊『YSスペシャル』 終了



昨年休刊になった『ヤングサンデー』の一部の漫画が
ビッグコミックスピリッツの増刊号という形で
月1回発刊されていたのだが、
残念ながらそれも5号で終了となってしまった。

「鉄腕バーディ」や「とめはね」などスピリッツ本体に
隔巻連載という形で生き残っているものもあるが
比較的に好きだった漫画が月刊にまわされていたので
ちょっと悔しい思いをしていたのに・・・

中でも石渡治氏の「オッズ」という競輪漫画が非常にいい出来で
月刊になってからのサブストーリーも結構面白く読んでいた。
直球ストレートの根性系、正義は必ず勝つ型のスポーツマンガで
スポーツオンチの自分には、個人的な体験のあるなしを置いても
なおかつ感情移入、共感できるものがあった。
こういうマンガが続かないのは、本当に惜しい。



単行本を待とう。


ビッグコミックスピリッツ増刊『YSスペシャル』vol.5 2009年2月25日号
小学館発行 500円(本体476円)

こうの史代この世界の片隅に 最終回

2009-01-23 21:45:16 | 
こうの史代『この世界の片隅に』最終回



漫画アクションに連載の
こうの史代『この世界の片隅に』がとうとう最終回。

いつも彼女が描き続けている
自分の居場所がある、という幸せを
またしみじみと読ませてくれた。

家族の幸せ、ということでは
同じアクションの中の『おちけん』(川島よしお)というマンガで
落語の師匠が
「どうせならみんながうっとりするような大きなホラ噺を演りな!!」と
弟子を励ますなかなかいいセリフがあるのだが
『この世界の片隅に』も
まさしく「うっとりするようなホラ噺」には違いない。



ボロ泣きです。


こうの史代『この世界の片隅に』(最終回)
川島よしお『おちけん』
ともに漫画アクションNo.3 2009年2月3日号 330円(本体314円)