この度、母親が手術をいたしました。
病名は腰部脊椎間狭窄症とヘルニアの併発。
手術…ここに辿り着くまでが本当に長かった。
今回も母を褒めてあげたいし、すごいなと尊敬。
始まりは2020年4月。
トイレで急な腰痛、下肢痛から動けなくなり、トイレから同じ屋根の下にいる父に電話。
父は驚きトイレへ。
動けない母を見て、救急車要請。
そのまま緊急入院となるところから今回の出来事が始まった。
両親は地方在住のため、私とは離れて暮らしており、詳細はわからないことも多かったけど、とにかくMRIを撮ったけど明らかに『ここか!』と言う部分がわからない。
と言うわけのわからない診断。
症状的には腰のL4と言う部位が怪しいけど…と。
結局、保存的に。
と言うことでしばらく安静入院してたけど、何も変わらなく、とりあえず退院。
そこから、他の病院、大学病院、リハビリなどセカンドオピニオン、サードオピニオン。転々とするあいだに再度撮ったMRIではっきりヘルニアが写し出されたが、神経症状が無いので手術の適応では無いと言われ、どこに行っても痛み止めを処方されたり、硬膜外ブロックでその場しのぎ(言い方は悪いが)の処置が続いた。
もともと明るく活発な元気でお節介おばさんだった母。
そんな母が、歩けなくなり、家事もままならなくなり、車も運転できず、家で寝てることが増えて…
『これからどうなるのか、先が見えなくて辛い』
と泣きながら電話をしてくる事もあった。
もともと更年期頃からうつの気があったものの、子供に弱音を吐くような人では無かったので、それだけ辛かったのだと思う。
そこからは、心を整えるため精神科に通ってもらいながら、とにかく痛みに対して安静、少し動いては安静の繰り返し。
事が動いたのが2021年1月。
これから長くない人生、自分の人生、とにかくやりたいようにやりたい!
ダメでもいい、手術をしたい!
と母が強く希望。
父の制止も聞かず東京へ。
私の知り合いの整形外科医の元を受診。
診断結果は、1年前にあったヘルニアは引っ込んでいる。画像上改善しているので手術をしても症状的には変わらないのでは。
と。
それを聞いて、1度地方の自宅へ帰宅。
それでも当然症状は良くならず、悪化している、何より本人が諦められない。
東京でヘルニアの手術をした友達が行った病院へ、一縷の望みをかけて再々上京。
そこでようやく、手術をすれば良くなる可能性があるから手術しましょう。と言ってくれる先生と出会えて。
途中、心からくる下肢の痛みや痺れなのでは無いか?と、父と話したこともあった。
父は『わがまま言って!』と諦めの気持ちとか苛立ちもあったと思う。
それでも揺るがない母の希望と決意。
私は何度も母に確認。
手術したって良くならないかもしれない、むしろ悪くなるかもしれない、コロナの時期だしコロナにかかって最悪死ぬかもしれない。
それでもいい!東京で手術したい!
そこまでの決意を聞いたら、私は覚悟を決めてしっかり支えていくしかないんでね。
コロナワクチンを接種して、体調を整えて一昨日手術に至りました。
今回思ったことは、母の芯の強さと行動力に脱帽、心から尊敬。
活発に動くこと、やりたいことたくさんある人だから、それが何もできず、少し動いては横になるなんて生活は母にとっては生きることでは無かったと思う。
残り少ない母の人生を台無しにするところだった。
痛みとか痺れなどは目に見えない、自分の感覚でしかないものだから、他人にはわかりにくいんだけど、ちゃんと耳を傾けてちゃんと会話をして解決に向けて動くことの大切さが身にしみました。
うちの親子間ではしっかり話し合っていこうと確認しあった出来事でした。
退院してこれからの生活がどうなるかわからないけど、我が家の問題が1年4ヶ月ぶりに解決致しました。
これで私の悩みも一つ減りましたとさ。
最後まで読んでいただける方がいるかはわかりませんが、長文失礼しました。
ありがとう。