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日本の思想

2020-02-04 15:16:00 | お図書紹介篇
柳田太郎図書館 図書No.24
日本の思想
著者 丸山真男

本を読むことの素晴らしさと無意味さを教えられた一冊。
人間同様、どんな本と向き合ったかで当然考え方、感じ方が違いますが、思想書ですからいつ読んでも学ぶものがあります。

知的な痴的な教養講座

2020-02-04 11:22:00 | お図書紹介篇
柳田太郎図書館 図書No.23
知的な痴的な教養講座
著者 開高健

『池澤夏樹の世界文学リミックス』で開高健さんの文体の密度についての一編がありますが、こちらはエッセイなので読んでいて疲れない。
私は、密度の高低、良し悪し、好き嫌いというものを考えると、開高健さんが頭に浮かぶようになりました。

叡智の断片

2020-02-04 09:40:00 | お図書紹介篇
柳田太郎図書館 図書No.22
叡智の断片
著者 池澤夏樹

各テーマについて、数々の叡智の断片である引用句で構成。
素敵な本。

2023.6.17
ちょっと前に随分、最近とある事からやや思い出す。
南北。
このおっさんは、文才すげぇんで、常人とはちと違うなぁということを痛感したのは、南北の件。
社会一般的には、シゲンとジョキョウだが(そんなもんとして書いてあるというか、書く性根がある奴の活字がこの世にもあの世にもあるか知らんけども。)、パコパコソンゾクセイジュウサークルとシニンニクチナシコウツウアンゼンとして捉えている。
これは慧眼だと当時(その活字を拝読したのは、この図書紹介から長くても二年か三年前だから、私は40過ぎて、その慧眼、文学的天才を知ったかぶりだけども。)思いました。
人類の論理がなかった四千年モダニズムを、この視点で把握していくというのは、どういうことなのか当時、断片的且つ合算して数時間にも及ぶほどの私は、より未発達の脳ミソが、まったくの未発達の脳ミソの安定にしかなってないことをも考えてもいたような時期でございました。
今日日で考えると小学校よりも先手でかていのもんだいからして、人類の論理が人類の論理にならねば、人類の論理にならぬということに、イモ引く考え方もあるだろう。
永遠なるチョウドキチガイオヤマシの論理だがな。
24世紀ゼンゴショウに、世界大戦をお届け中だ。それは。

現在人類の論理が基本原理になれば、24世紀のゼンゴショウに、違うことが可能である。200年あれば出来る。
てめぇらのクソガキの世代、時代に。
アンダー140では足りんということでは、24世紀のクソガキどもらも、同じ論理になってるだけである。
皆様お忙しいのと、何か天才だから、なかなか人類の論理に関わってる時空間が足りんというか、そのためにドリョクショウブンとそのためをドリョクショウブンがある部分なら未だしも、それがドリョクショウブンと、難しいのは必ずそれからのドリョクショウブンということでしょ。

THE LAST OF THE MOHICANS

2020-02-03 16:12:00 | お図書紹介篇
柳田太郎図書館 図書No.20
THE LAST OF THE MOHICANS
著者 James Fenimore Cooper

映画『ラスト・オブ・モヒカン』の原作のリトールド版。
映画と筋は同じですが、この映画が好きな私は内容の違いが楽しめました。
私は、映画、小説等、作り手の情熱と努力の偉大さと共に、受け手の情熱と努力の偉大さをラスト・オブ・モヒカンに教えられました。


2023.2.8追記
ボーンガンソウでの下手うちではない下手うちでもない下手うちをマルダシドコンジョウにしていくには、それ自体に人間性と社会性が存在してないので、この場を借りて一頁分を遠慮して。

昨年に入りめっきり体がいてぇし体が動かねぇしで、昨年はしっかり二度ほどボーンガンソウをやったんが、段差ぁ使い。
ふらっと出来なくなった心の弱さを露呈したマルダシドコンジョウ。
思川のドマンナカでは、見えづらいし、言わなければ大多数に分からないんだが、段差ぁ使った。あの当時で既にふらっとは嫌もなにも、ふらっとでも嫌だったんだが、それでも嫌と言えるほど誰に筋立てしてんだということでもないんだが、人類愛が架かってるという一種の強迫観念創造性だったんが、実は思川のドマンナカに段差ぁがある。
あそこまで盛大にボーンガンソウやるよりは、その後に実はあることとのリョウシキで一撃オナニーかまそうとして、思川ドマンナカでの段差ぁで、最早体がいてぇし体が動かねぇしということで、キャッチボールだけしてとぼとぼただ帰った。
そしてユビケガと38ダンパンのドマンナカではマルダシドコンジョウで、バトウゴウショウであるまじき段差ぁでやるほど、それはアワオドリとして嫌も嫌でそれでもそこでということをなんとなくやるしかないということで。