2025.4.20
5:44
本日最初の(確定出来るほどの記憶力はないが)朝食会。ポテトチップスと発泡酒。
絶対助けるまで観る。
十度は観てるが、今回初めて泣かなかった。
6:30
屋上での抱擁の二度目か三度目まで観る。
10度以上観た前回に初めて里美先生はお手々を本当に屋上に叩きつけたのかの血を認めたが、それが前回の鑑賞会の記憶だと拳だと思ってたが第二関節に認められる。前回のその拳論をどこにも書いてないという記憶力は完璧でもある。今回初めて泣かなかったのは、今回初めて小松先生との抱擁がスタンディングではない僥倖によっておっぱいに顔を埋める里美先生いいなと思うことになった。今までは泣いててというより基本号泣レベルでそれどころじゃなかったが、冷静に己の本質的な鑑賞会の直感を実現するに当映画は10度以上観なければならなかったというわけである。
13:35
煙草がないと思って買い物に行こうと思うも1箱まだあったので買い物は明日にしようと思い、鑑賞会と食事会再開。
鑑賞会終了後、本広監督コメンタリー版鑑賞会開始。
贅沢だが、英語音声があると良かったと思う。号泣出来る映画だから、里美先生はジェームズ・スチュワート、小松先生はメリル・ストリープとかで。里美先生はオーソン・ウェルズもいいな。
2025.4.21
4:55
当映画鑑賞会で初めて泣かなかったけれども、ちょいと咳き込みで涙が出るもんだと思うほど咳き込む。ロマンチックだったら、きっとそれは映画で泣けなかった神様の思し召しで人間は涙を流すもの、それで涙を流せないったって、涙を流させるわけにゃぁいかんことぐらい神様はわからんのかと神様に問いかけたいほどだが、里美先生は無人島では神様は信じてないらしい時期と体裁とカレー作りは別としてテントでセックスもしなかったのか事後ということの暗示はあったのかよう分からんが小松先生がよっぽど神様だろうけれども、
とまで書いて、テントでは何もなかった、少なくても就寝はしたけれども、セックスはなかっただろう。シラキシゲフミさんとのきかん後の病院内での小松先生のつれない態度と、おれなにかわるいことしたかなぁ里美先生ということは、フェラチオとクンニすらしてないと、二人は潔白であると見るべきである。結ばれることを願う観客がいるからこそでもあるだろうか。漫画では小松先生ご懐妊辺りまでスマホ漫画アプリで最近読んだので一過性のことでもないことと、それは里美先生相手ではないから、小松先生は里美先生との関係、目的は果たせなかったが、やはり映画としての最後の里美先生と八千草さんの最後?をオクミノチョウ全体で守り抜くことはオクミノチョウの責務と誇りとしてはあるにせよ、小松先生は里美先生が内山理名ちゃんに渡したかったネックレスを最終的に身に纏うということは、役目を終えたわけでも、国家的財産里美先生との今後というよりも、観客に蟠りのないことを第一としたことと、恐らくこの件を書くのに珍しく数分想い悩んだが、書こうとしたことを忘れた。
いいよという年季、人によっては運動が入って忘れた。
範囲を先ず考えることにした。
オクミノチョウという範囲とネックレスという範囲。
そこから書こうとしたことを忘れた。
思い出せない。
オクミノチョウに70億人の人口だとか、小松先生がオクミノチョウに留まるだとか書こうとしなかったことを思い出すんだが、書こうとしたことだけを忘れた。
19:22
タバコを吸い終えたのでタバコを買いに行き、主婦のように葱をより新鮮、賞味期限が長いのを選別して買う。
久しぶりに目玉焼きとシャウエッセンではないがパリッウィンナーを一つで、包装米飯、牛乳、納豆で鑑賞会開始。花火大会の第二ステージだったかの開始場面まで観る。
ジンルイゼンギとはいかなるものかを一応初めて思う風を装いながら観る。
テイコクゼンギというのは相対的にそのようなことが可能であっても不可能である。テイコクゼンギは必須のテイコクゼンギだが。
20:29
アダムとイヴの獲得と生産を合算で数時間思ってる風を装ってもきたから、飽きてきたころあいで書く。
ジンルイゼンギのいっかんは、例えばサッカーならばマラドーナだけだと新鮮でもないし、そもそもマラドーナは近代的、近代的というとオランダのクライフ?とかのかも知れんけれども、クライフ以前はクライフを誰も見たことがない新しい時空間があるだろう。獲得、アダムとイヴだけの適用ならばリンゴへのそれは、基本としては殺戮、狩猟、搾取、冒涜、骨まで残さねぇ証拠隠滅、リンゴの命を尊ぶことなしに忘却の彼方への前進力、暴行、蹂躙などがリンゴに対してというタサツならば、それはジサツでもあるわけだが、それはリンゴであるというのはパイプが主流派だが、それらの基本を生産していかないとそれ以外に取り組めない奴等として、アダムとイヴならばダビデにしてもソロモンにしてもブッダにしてもアッラーにしても祖先という論理というか一応その辺りは大人の事情、大人よりもっと大人を大人という単語を大昔という同義語的な物語で、当映画の場合蛇に相当するシラキシゲフミのメデューサ論があるのかも知れんけれども、メデューザ論では排斥したと受け止められなくもない。そもそもリンゴを育てる段階の人類だから、自然にリンゴがある無人島であるはずもない。リンゴの樹があったところで、シラキシゲフミか他の動植物の獲得が生産に負けるし、移動がないと難しい生命大躍進としてでは、現代リンゴ論では青森県から富士だとか王林だとかが移動されてだとシラキシゲフミは不味いわけだし、移動がない極論だとシラキシゲフミが無人島でリンゴを人類として初めて認識しなければならない論理もなくもない。少し書いたから書くのは勘弁しといてやるか。疲れちゃうから。
2025.4.22
5:44
何時直前に食事をしたか確認しようとしたが書いてなかった。直近の食事会は包装米飯、納豆、水、サッポロ一番味噌ラーメンだから、恐らくは今日の午前0時辺りまで一眠りぶっこいて起床後に、小松先生が里美先生からプレゼントされたネックレスをしてない院内までを見た鑑賞会感想は特になかったから健康的な食事とともに、喫煙は今のお部屋の間取りでいうルームでは吸わないから、飲酒だともっと長く鑑賞会したから短い鑑賞会に過ぎたからでもあると思う。前回初めて当映画で号泣どころか涙目にもならなかったからもあるか、見飽きてることも一因で特にわざわざ食事会を充実させたい目的が深層心理としてあるのかも知れない。飲酒せずに鑑賞会だと食事の継続がないから痩せていくので、食事量への肉体の活動だろうけれどもうんちが出やすくなり、うんち保存量を調整している肉体だと思わなくもない。
6:27
包装米飯、納豆、目玉焼き&シャウエッセンではないけどパリッウィンナー(粗びきウインナーというやつだろうか)、味噌汁の食事会にて鑑賞会再開。
前回アダムとイヴまで観てたので、今回は里美先生が墜落事故で生存したということは衝撃でもなんでもない(ある意味国家的財産の人間が墜落事故で一人生き残る、ある意味サトラレだから声なき声によってスプラッター状態の現場から救助活動が里美先生の生存に繋がったということでもあるんだろうけれどもといったような基本ならばそれは衝撃として、里美先生が生き残ったことを知ることは衝撃にならないというか基本的社会性な人々として)小松先生へのカミングアウトから鑑賞会スタート。小松先生と里美先生の二度目の抱擁開始前までで食べ終えたので鑑賞会も停止く。
2025.4.23
19:33
昨日の食事会だったか、里見先生がばぁちゃんに担当医としての会話の場面まで見たから、これから包装米飯、鮭フレーク、まるちゃん麺づくりで鑑賞会再開。
号泣どころかうるうるしなかった前回同様、今回もうるうるしなかった。鑑賞会終了後、暇をもて余さない態度でYouTubeで好みの曲とかないか探していたら、ご懐妊判明での母体に発生したのが三つ子とか双子とかの動画で涙を流す。
まるちゃん麺づくりがそろそろ出来る頃だから台所まで歩いて2秒を生きなくてはなるまい。
20:13
鑑賞会終了。食事会も早く終わり、鑑賞会のためと食欲のためハムマヨネーズコッペパンも食べながら。
里見先生が屋上に上がってからは、再び落涙しちまった。
本広監督コメンタリー版だったので最後まで見たが、毎回思うのは、ヘアメイクの熊谷さんという方は、八千草さん本人のヘアメイク用の芸名なのか、八千草さんが誰にも渡さないヘアメイクさんなのか。
鑑賞会の感想というより、泣いたか泣かなかったかしかほぼ書いてないような鑑賞会の感想でござる。
20:31
イリョウケンを足りない脳ミソで少し思う。例えばレンゾクサツジンキを連続殺人鬼のワンコンプだけで指名手配というそれなりの確定があった場合、その枠の人民はそいつらを確保或いは脳漿をぶちまけないとならないから、ガン見しなければなるまい。喧嘩を売ってるのではなくて、連続殺人鬼を探し、そしててめぇじゃねぇという確定を繰り返すということならば、連続殺人鬼はまんこではある。ちんこながらまんこのワンコンプ。難しいのは存続として肉体がクラーク・ゲーブルだとかイングリッド・バーグマンだとかだと五体満足としてはあるがイリョウケンの発動としてを先手にしても羽を生やすとか鰓の創造だとかでも、人間そのものがイリョウケンによってという限りある時空間をより快適に、そしてより生存能力の向上というべきは、将来のクソガキどもが羽を生やす機会や鰓の場合復活なのか知らんがその成長、発展を喪失、死滅せしめなければならないと思う。陸上と海中よりも恐らくは空中で生きる、生きたところで発達のインテリでもクソガキでとねぇから分からんが、空中でのセパレートの発達と同時に進行するのが生命体のように思わなもなく、肉体そのものがセパレートというよりは、空中での肉体そのものがセパレートでもあるとか思うと、肉体が時空間とはどういうことかを昨日久しぶりに思うか思わないかの瀬戸際で生き過ごしたが、時空間になりたい奴はいねぇとしても人間になりたい奴はもともと地球にいなかった、最近のトレンドで書くならばgooブログは最初からあったかなかったかとインターネットは最初からあったかなかったかとかと論理では変わりないとか思うけれど、クソガキが時空間になれる、なれたとしても、風邪引いて不味いし、あれ?今日は何日だっけ?とかも不味いし、痩せても不味い。クソガキが時空間でその時空間で地球、そして生命大躍進があった場合、太陽系ということが人間としての特に時空間の根本的なロジックだと思うだけもある私は、人間としては爪が少し伸びた程度ですらクソガキは太陽系を思わないから思えるわけはない。太陽系が肉体にあることを望むクソガキはいないわけだし、それは最早太陽系でも人間でもないと言えばないんだが、クソガキの誕生がどういうことかと、それからのことのみならばクソガキが死ぬことだけは太陽系全体で阻止しなければならないこととしての対価、死をもってというのは特に今日日は労働とか学業とか男と女のラブゲームが本質的な自害と自殺の積み重ねということとしてはあるにせよ、クソガキの死を阻止することが太陽系にとって正当化が出来ないというか、クソガキの死を阻止するということは、太陽系の死を阻止出来なければ論理としては論理にならないのではないか。太陽系の死を阻止するということは、地球の死を阻止するということであるが、私はそこは恐らくは天と地程にインテリとクソガキと思考回路が、忙しくいきたことがない暇をもて余さない態度として異なるけれど、地球の死を阻止するということの正当化は人間も死を阻止しなければならない。人間の死を阻止するということは人間の存在、創造、実現がそれ以外の死の数の論理が圧倒的だとしか私は考えないし思わないけれども、お父さんの玉袋の中で精子でずっといたかった奴もいねぇわけだがとか書くのちょっと疲れたのと上手くは書けないが小学校低学年レベルの国語力も覚束ないことしか思い浮かばないから一時中断しとこう。クソガキ時空間論も随分思うか思わないかの瀬戸際を合算で数時間に及ぶ暇をもて余さない態度で生きてるだけのその数時間の思考回路を思い出しても意味はないが思い出せるほど書き留めるためでもなし、その過程に過程のためにでもあるから過程を書こうとすることを思い出して書けないと書けないから思い出せないというべきとして書くのを中断。
次は製作者コメンタリー版の鑑賞会予定。その次は俳優さんコメンタリー版鑑賞会も予定。計画的である。
2025.4.25
20:06
発泡酒を買えない金銭感覚が発達したのでプロデューサーコメンタリー版鑑賞会が殊の外断片的且つ短時間で何時から鑑賞会開始したか書いてないから覚えてないが3日前位だろうか。本日空耳かよそのチャイムかで一応メルカリで煙草のフィルターと巻き紙を買ってあるので届いたかも知れないと一眠りぶっこいてた幸せを思わない幸せから目覚め玄関まで五歩も歩いて活動し玄関開けたら誰もいなかった。
起きてから、鑑賞会再開と包装米飯、鮭フレーク、サッポロ一番塩ラーメン食事会。里美先生と小松先生のバカンス提案会まで観る。井上さん?の声はいい声だと思う。穢れてしまったとか会話では、米千粒を千人か数人にか育てるにしても状況ら環境の差違が異なるから千人に1粒では腹の足しにならないけれども、数人に間引きさせるための上塗り運動としても、その現在を回避させる基本並びに目的がないか喪失というよりも原理とは違うということとかを毎回思う。ホリベリンさん、ホリベロンがベター論もあったようだが、個人的にホリベポラップとかホリベレータムとかホリベナイン軟膏とかでもいいと思ったが、人柄がいい時期、枠としての、何となく井上さんは顔がかっこよさそうで、ホリベリンさんは三枚目な顔面と失礼極まりないことを思う。