柳原キャンパス

美術と音楽について

柳原キャンパス第18回

2010-05-01 15:34:13 | 日記

チャイコフスキー作曲 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35

「オーケストラ」というフランス映画が上映中です。元天才指揮者が、理由あってオーケストラの清掃係となっている。ある日、パリからそのオケに届いた出演依頼のFAXを偶然見てしまった彼は、昔の仲間を集めてパリに乗り込むことに。果たして彼の計画は成功するのだろうか?・・・そんな筋書きに誘われて映画館へ足を運ぶクラシック・ファンも多いようです。内容はともかく、この映画のクライマックス・シーンで演奏されるのが、今回のテーマ、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」なのです。
 このように、現在では映画の主題曲になるほどの大人気コンチェルトなのですが、完成当座の評判は惨々たるものでした。ハイフェッツ、ミルシテインなどの先生で、当時世界最高の名手といわれたレオポルド・アウアーからは、「演奏不能の楽曲」と拒否され、毒舌の評論家ハンスリックには「悪臭を放つ」と酷評される。わが国でも、評論界の重鎮・大木正興氏が、ハイフェッツ盤がリリースされたときの「レコード芸術」誌上で、この曲を、「外面的効果に走り内容が貧弱。特にオーケストラの扱いはひどく単純で、独奏部のかけあいにもほとんど魅力がない。どの楽章にも気のぬけたような部分が割り込んでいて、全体の有機的な流れを停滞させているのは、協奏曲としてそういう大きな欠陥を持っているからに他ならない」と、ハンスリック真っ青の酷評を与え、ハイフェッツの演奏に対しても、「技巧を売り物にしようとする傾向が露骨すぎ、ほとんどなんの魅力もない演奏で、幾分の悪臭がある」とバッサリ、五味一刀斎顔負けの切捨てをした。
 時は巡り、初演(1881年)から130年、ハイフェッツ盤録音(1957年)から50数年を経た今日、楽曲は映画の主題曲となり、ハイフェッツ盤は「21世紀の名曲名盤」で堂々の第1位となっています。

「柳原キャンパス」でも、究極のベストはハイフェッツ/ライナー指揮:シカゴ交響楽団で決まりです。大木先生の言う「幾分の悪臭」というのは、ハイフェッツがこの曲を手の内に入れたがために生じた余裕の歌い振りのなせる業。美空ひばりのデビューを聞いたサトウ・ハチローが「グロテスク」と評したケースに似ています。彼にとっての悪臭は、私にとっては、クセになるほど魅力的だということです。早いパッセージでの快刀乱麻の切れ味やカデンツァで見せる輝きに満ちた高貴なリリシズムは、まさに至高の境地。その完成度の高さは余人の追随を許しません。録音から50数年を隔てた現在、それ以降の録音は数々あれど、未だこれを凌駕する演奏が現れていないのは、ハイフェッツが図抜けた存在であることの証明に他なりません。が、その一方で、ヴァイオリン界の不毛を物語ってもいて、淋しい限りです。この窮状を救うのは、ヒラリー・ハーンでもワディム・レーピンでもマキシム・ヴェンゲーロフでもない、神尾真由子(2007年 チャイコフスキー国際コンクール優勝者)だと私は思います。彼女はまだこの曲を正規にレコーディングしてはいませんが、2007年10月21日、サントリー・ホールでの演奏は素晴らしいものがありました。的確な技巧、強くて美しい音色、心揺さぶられる歌心。例えば、第1楽章第2主題の出からオケの薄い響き(ここも、大木先生は貧弱なオーケストラの作りと言うのでしょうね)をバックに歌う2分間は、筆舌に尽くしがたい素晴らしさ。まさに、こころ掻き乱され胸にジンとくる魅惑の世界で、ここはハイフェッツも敵わない。さらに、第3楽章最後のスリリングなかけあい(この部分も、大木先生はほとんど魅力がないと仰っています)もハイフェッツに比肩する切れ味となれば、これはもう正規録音を期待しないわけにはまいりません。
 次点のヴィニコフは、ビオラのような落ち着いた音色でしっとりと歌い上げてユニーク。これは日本一の耳利き・湧々堂の田中利治氏の推薦です。彼の「湧々堂」サイトも是非ご覧ください。新たな世界が開けること請け合いです。(清教寺茜)

[究極のベスト盤]

ヤッシャ・ハイフェッッツ(ヴァイオリン)
フリッツ・ライナー指揮:シカゴ交響楽団57


*次点

ジーノ・ヴィニコフ(ヴァイオリン)
ユーディ・メニューイン指揮:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団94


[ノミネート一覧]

ヤッシャ・ハイフェッツ/ライナー:シカゴ交響楽団57
クリスティアン・フェラス/シルヴェストリ:フィルハーモニア管弦楽団57
ダヴィッド・オイストラッフ/オーマンディ:フィラデルフィア管弦楽団59
イヴリー・ギトリス/ホルライザー:ウィーン交響楽団60年代
ナタン・ミルシテイン/アバド:ウィーン・フィルハーモニー70
チョン・キョンファ/プレヴィン:ロンドン交響楽団70
庄司紗矢香/ミュンフン:ベルリン・フィルハーモニー91
ジーノ・ヴィニコフ/メニューイン:ロイヤル・フィルハーモニー94
アンネ・ゾフィー・ムター/プレヴィン:ウィーン・フィルハーモニー03
ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ/オールソップ:コロラド交響楽団04