柳原キャンパス

美術と音楽について

柳原キャンパス第13回

2009-12-05 14:28:27 | 日記

モーツァルト作曲 レクイエム ニ短調 K626

「彼は、作曲の完成まで生きていられなかった。作曲は弟子のジュッスマイヤアが完成した。だが、確実に彼の手になる最初の部分を聞いた人には、音楽が音楽に袂別する異様な辛い音を聞き分けるであろう。そして、それが壊滅して行くモオツァルトの肉体を模倣している様子をまざまざと見るであろう」 これは小林秀雄「モオツァルト」結びの部分で、完成まで生きていられなかった曲は「レクイエム」。今回は、12月5日モーツァルトの命日に因んで、この曲を取りあげたいと思います。

 小林秀雄は(モーツァルトの)「肉体=音楽」という図式でこの曲を捉えています。だから、壊滅してゆく音楽は肉体を模倣している、となる。
 現代モーツァルトの最高権威・石井宏氏はこう言います。「ここには、モーツァルトのどの曲にもみられない、激しい慟哭があり、激情の嵐がある。それが行儀のよい信仰的な感動でないことは、だれでもそれを感じた人ならわかるはずだ」さらに氏は、「これは死者を来世に送る安らかな音楽ではなく、人間の魂が“肉体に別れを告げる”ときの“異様なつらい別れ”の歌、慟哭の歌、呪いの歌、叫びの歌、そして自身への挽歌である」(中公文庫「素顔のモーツァルト」より)と続けています。すなわちモーツァルトの「レクイエム」は宗教的な作品というよりむしろ人間的な作品だと。また氏は、別のところで「レクイエム」は典礼の場で聞くべき音楽だとも言っています。これは一見矛盾して聞こえますが、実は、非宗教的音楽だからこそ宗教的な場において意味がある ということなのでしょう。
 五味康祐は、J・F・ケネディを追悼して1964年1月19日に演奏されたモーツァルト「レクイエム」のライブ盤について、こう書いています。「レクイエムを盛大にするのは結構なことだ。録音して永く記念するのもいい。しかし、何も世界に向かって売り出すことはない。けっきょく、アメリカ人はケネディを暗殺したことで間違い、未亡人をいたわることでもさらに大きな誤りを犯した」と(新潮社刊「西方の音」より)。 五味氏は、残された遺族、特にジャクリーヌ夫人に対する同情のあまり、個人的な悲しみの音楽をどうして世界に向かって売り出すのか、と疑問を投げかけました。
 五味氏はまた、この曲のカラヤンの演奏(1975年録音)を“穢い音楽”と決め付けていますが、同じ演奏に対してなかにし礼氏は「カラヤンは、オーケストラもソリストも当代最高のものを選んで世界の大レクイエムを作りあげた。モーツァルトの遺産と現代最高の才能とを結びつけて、カラヤンのパワーと練達の腕で提供している。これこそが“世界人モーツァルト”が作った「レクイエム」の、ボーダレスな世界へ向かうべき現代人にとっての、最も相応しい表現方法ではなかろうか」とその正当性を評価しています。
 このように、各人が様々な想いを馳せるモーツァルトの「レクイエム」って一体なんなのでしょうか? そこに私たちは何を見出せばいいのでしょうか。死者の魂を鎮めるべき安らぎなのか、死への恐れや呪いなのか、それとも激しい慟哭なのか・・・・・。(清教寺茜)

[究極のベスト盤]

エーリヒ・ラインスドルフ指揮:ボストン交響楽団他

(1964年1月19日 ボストン聖十字架大聖堂でのライブ・レコーディング)

 この演奏は、冒頭から異様なまでの熱気に包まれ、終始一貫、最後までその緊張感が途切れることはありません。凶弾に倒れた偉大な大統領の死を悼む、アメリカ国民の、世界の人々の、悲しみが乗り移ったかのような強烈な感情の発露がそこにあります。入祭唱「レクイエム」の、敬虔なソプラノ・ソロ直後の合唱「exaudi orationem meam」(わが祈りを聞きたまえ)が、これほど痛切に響くものはありません。「キリエ」「みついの大王」「呪われしもの」のあたり憚らぬむき出しの感情はどうでしょうか。死者の魂を天上へ安らかに送るのが「レクイエム」かもしれませんが、地上に残された人間の慟哭ばかりが聞こえるレクイエムがあったっていい。なぜなら、そこには作曲者自身のメッセージも共存しているからです。五味氏が、売り出すことを冒涜とまで言ったこの演奏を、敢えて究極のベスト盤に選定いたします。

[ノミネート一覧]

ラインスドルフ指揮:ボストン交響楽団64
ケルテス指揮:ウィーン・フィルハーモニー65
ベーム指揮:ウィーン・フィルハーモニー71
カラヤン指揮:ベルリン・フィルハーモニー75
コルボ指揮:リスボン・グルベンキアン75
マリナー指揮:アカデミー室内管弦楽団77
ホグウッド指揮:エンシェント室内管弦楽団83
バレンボイム指揮:パリ管弦楽団84
バーンスタイン指揮:バイエルン放送交響楽団88
アーノンクール指揮:ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス03