シベリウス作曲 ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47
先日、久々に神尾真由子のライブを聴いた。曲目はシベリウスのヴァイオリン協奏曲である。オケはロト指揮の南西ドイツ放送交響楽団。シベリウスは神尾の最も得意とする協奏曲で、今回も期待にたがわぬ素晴らしさだった。会場のサントリー・ホールはそれほど奥行きはないとはいうものの、神尾の1727年製ストラディヴァリウスは、最後列近くの私の席までクッキリと音を通してくれる。柔らかいが芯のある美しい音が抑制の利いた自然な歌心に乗って実に心地よく響いた。
これまで聴いた2度のライブとデビュー&第2弾CDまでは文句なしによかったものが、期待したチャイコフスキー:ヴァイオリン・コンチェルトのCD(2010年録音)が原因不明の不調だったため、今回杞憂はあったがそれは見事に吹きとんだ。
そんなわけで今回は、20世紀のヴァイオリン協奏曲随一の傑作・シベリウス「ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47」を採りあげたい。
当日買い求めたコンサート・プログラムの中のインタビューで、神尾は「シベリウスはキッチリ弾かないとダメ。ロマン派風に崩した途端にオケとバラバラになってしまう」と言っている。この曲は1903年シベリウス38歳のときの作品。ところが2年後に改訂する。ノミネートしたカヴァコス盤は、その新旧2つのヴァージョンが聞ける。
1903オリジナル版。第1楽章では、特にオーケストラ部に無駄な装飾音が多く実に散漫な印象。独奏パートも重心が高く厳しさが不足している。第2楽章はあまり変わっていない。第3楽章は、民族的な第2主題の出が随分遅く印象もかなり希薄。このままではせいぜいグラズノフ止まり、現在の名声はなかっただろう。
1905年、シベリウスはこれらの要素をガラっと変えて現行のスタイルに改訂した。余分な音を排除し構成を練り直し、軟弱で散漫な楽想を緻密で厳格で重厚な趣に変え、結果北欧の情熱も濃厚になった。演奏のポイントも正にここにある。
ハイフェッツのソロは神がかり的である。固く鋭い音はまるで鋭利な刃物のよう。一糸乱れぬテクニックは厳正なシベリウスの楽想を理想的に表現する。しかもその底には静かな情熱が燃え滾る。オケに甘さがあるが、それを補って余りあるハイフェッツ独自の名人芸がここにある。
これほどの名演のあとにはほとんどが霞む。チョンはスケールの点で見劣りするし、五島みどりはうまいが円満過ぎてスリルがない。ムターは、吸引力は凄いが粘り気が強すぎてシベリウス的じゃない。逆に、バティアシュヴィリはスッキリしているが生硬すぎる。諏訪内晶子はゆとりある構えで堂々と押し切る好演だ。
そんな中、ハイフェッツ盤に匹敵する名盤が現れた。ハーン盤である。ヒラリー・ハーンの響きは、適度に豊かで粘らずまさに北欧的。確かなテクニックは、輪郭をしっかりと型取り、風土の厳しさと呼応する。基本インテンポの進行は抑制した歌を紡ぐ。サロネン指揮:スウェーデン放送交響楽団のサポートも素晴らしい。表情も過不足なく起伏も自然、醸しだす響きが北欧そのもの。間違いなくベストのオーケストラである。この“音色そのものが北欧”というオケ体験は、グリーグのピアノ協奏曲で「究極のベスト」に選定したカーゾン盤のフィエルスタード指揮:ロンドン交響楽団以来だ。
ハーン盤は、すべてにバランスが取れた真にシベリウス的な名演であり、総合力で唯一ハイフェッツ盤に匹敵する。
近い将来、神尾真由子は必ずシベリウスをレコーディングするだろう。彼女の敬愛するアーティストはハイフェッツ。レコーディングが成ったとき、「究極のベスト盤」争いに必ずや加わってくれるものと思う。(清教寺
茜)
[究極のベスト]
ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
エサ=ペッカ・サロネン指揮:
スウェーデン放送交響楽団07
ヤッシャ・ハイフェッツ
(ヴァイオリン)
ワルター・ヘンドル:
シカゴ交響楽団59
[ノミネート一覧]
ヌヴー/ジュスキント:フィルハーモニア管45
ハイフェッツ/ヘンドル:シカゴ響59
フェラス/カラヤン:ベルリン・フィル64
チョン/プレヴィン:ロンドン響70
カヴァコス/ヴァンスカ:ラハティ響91
五島みどり/メータ:イスラエル・フィル93
ムター/プレヴィン:ドレスデン国立管95
諏訪内晶子/オラモ:バーミンガム市響02
ハーン/サロネン:スウェ-デン放送管07
バティアシュヴィリ/オラモ:フィンランド放送響07