DIC研究所山田 一先生追悼(6)

2014年01月14日 | インポート
DIC研究所山田 一先生追悼(6)

DIC研究所通信「最終号」編集記(その4)
 
 研究所通信の発行を終えたら少し気が抜けています。
 そろそろ感傷で山田先生を思い起こすのはやめにして、これまでの教えをしっかりと踏まえて歩み出す時期が来たと考えています。

 最終号を送付できなかった方につきまして、多くの皆様から情報をいただき、何名かにお送りすることができました。
 ご協力に感謝致します。

 「最終号」の発行費用につきましては、全て支払いを終え、残額を寄付し、会計を終了致しました。
 皆様からの多額のご援助にお礼申し上げます。
 決算報告をする場がありませんが、ご了解をお願い致します。
 領収証等は保存してありますので、ご覧になりたい場合はお知らせ下さい。

 山田 一先生追悼というタイトルは今回を最後にします。
 今後は折に触れて関連情報をお伝えしたいと考えています。


 それにしても、存在感の大きな先生であったことに思いを新たにしています。
 
 思い出の写真から
  
        DIC研究所にて 2010年2月

  最後の事務所はマンション・ベルエールの1室であった。
  左奥にパソコン、その上に電話機、その右下にプリンタ。
  右側に事務用デスク、その向こうにファイリングキャビネット。常に整然と整理されていた。
  手前右側のパソコン机にはTVが置かれていた。
  有線TVと契約したら「つたや」へDVDを借りに行かなくなったと笑っていました。

 話は転じて
 松本市美術館で開催されている「モローとルオー」を見てきました。
 この有名な師弟コンビは多くの作品を残していますが、2人の往復書簡集が翻訳付きで展示されていました。
 弟子のルオーが師のモローに当てた手紙に対するモローの返事の中に、使われていた言葉(単語)に対する指導がていねいに書いてありました。

 山田先生にメールを出したら、内容以前に書き方が悪いと何回も指摘されたことを思い出し、思わず「ニヤリ」としました。
 立派な師にはそれを受け止め、さらにそれを越える弟子がいたことに感動するとともに、自分の至らなさを実感。
 でも、私を除く大勢の弟子は、それぞれ山田先生を超えていたことを考えるとき、山田先生も喜んで下さっていると思います。

 地方の美術館の良さは、これくらいの作家の展示があってもすいていることです。
 往復書簡の前でじっくり読んでいても他の人の鑑賞を妨害しなくて済んだように思います。それも日曜日に。


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