佐々木融 JPモルガン・チェース銀行 債券為替調査部長
[東京 19日] - アベノミクスからちょうど2年が経過したところで、安倍晋三首相は消費増税延期と衆議院解散を決めた。増税延期の是非をめぐっては議論はあろうが、2四半期連続のマイナス成長の下では、間違った判断と言い切ることはできないだろう。
しかし、政治とはよく分からないものだ。筆者はここ数日、多くの海外投資家から「なぜこのタイミングで解散する必要があるのか」と何度も聞かれた。その度にいろいろと説明はするが、一番納得してくれるのは「これは政策(policy)ではなく、政治(politics)なんだよ」という説明だ。
また、解散と聞いて、多くの日本の市場参加者は2年前の11月14日に行われた野田佳彦首相(当時)と安倍自民党総裁の党首討論を思い出すだろう。アベノミクスの始まりと考えられている、この党首討論で野田氏は国会議員の定数削減実施を約束するなら解散すると明言し、安倍氏は「約束しますよ」と応じた。この話はどうなったのだろうか。マーケットも分からないことが多く、理不尽な動きもするので、あまり批判はできないが、政治も全く分からない。
ともあれ、アベノミクスについては、確かにそれなりに進捗しているとは言える。しかし、これまでのところ、やたらと第一の矢ばかりが目立つ政策となっている。気がつけば、今や政府が発行する国債の90%は日銀が購入することになってしまっている。中央銀行による国債引き受けは世界的に禁じ手と習ったはずだ。歴史の教訓が生かされず、同じことを繰り返す時には、このようにどんどん進んでいってしまうのだろうか。
現在、日本国債の1年物利回りはマイナス金利になった。政府は国債を発行して借金をすると金利を受け取れることになる。2年債の利回りは0.01%だ。1億円借金をしても利息はたった1万円だ。だからと言って、政府が調子に乗って国債を増発すれば、すぐに国債の価格が下落して、金利が上がることになるのが通常だが、今はそうならない。日銀が大量に購入するからだ。
今後、紙切れ(国債)と紙切れ(お札)の交換が盛んに行われ、歳出が増加するかもしれない。そんな時、結局どこかの時点で、両方の紙切れの価値が大きく下落する(インフレになり長期金利が上昇する)局面が来るのだろうか。
米連邦準備理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)、イングランド銀行(BOE)はそれぞれ日銀と同様の政策を行っているようにみえながら、結局これらの中銀のバランスシートは国内総生産(GDP)の20―25%前後でしかない。日銀のバランスシートはいつの間にかGDPの57%にまで拡大している。日銀が言うペースで拡大が続くと、来年末までに77%に達する見通しだ。
11月19日、JPモルガン・チェース銀行の佐々木融・債券為替調査部長は、低インフレは今や世界的な現象であり、日銀も2%の物価目標にこだわる必要はないと指摘。
第一の矢(金融政策)、第二の矢(財政政策)は、単なる痛み止め、時間稼ぎの政策でしかなく、第三の矢(成長戦略)が実行されなければ、日本経済の潜在成長率を引き上げるような結果にはつながらない。
安倍首相は18日の記者会見で「アベノミクスに対して失敗した、うまくいっていないという批判があります。しかし、ではどうすればよいのか。具体的なアイデアは残念ながら私は一度も聞いたことがありません」と発言した。本当にそうなのだろうか。少なくとも市場参加者は、第三の矢の実行、そして目に見える形での成果をずっと求めている。しかし、現実の成果は第一の矢によるものばかりが目立っている。
実際、最近の株式市場もアベノミクスの停滞を見越しているようだ。アベノミクスの2年間で日経平均はほぼ倍になった。しかし、その上昇のほとんどは最初の1年間に発生しており、直近の1年間では15%しか上昇していない。さらに重要なのは、ドル建ての日経平均株価は過去1年間で1.7%下落していることだ。つまり、過去1年間の日経平均株価の上昇は、建値である円の価値が下がったことが原因であり、企業の価値が上昇したと市場がみているからではないと言える。
本来は投資が活発化し、賃金がインフレ率以上に上昇し、活発な経済をつくり上げていくことがアベノミクスの目的であるはずだが、日銀は目先の通貨価値を下げる(インフレ率を高める)ことに躍起になっていて、賃金の伸びが追いついていないことから目を背けてはいないだろうか。
日銀は山の上に立って、大きな岩を一生懸命押して転がそうとしているが、岩はなかなか動かない。だから、さらに力を入れて押すと決めた。岩が本当に転がり始め、山を下り始めた時、本当に止め方を分かっているのだろうか。日銀は「出口政策を論じるのは時期尚早」と言うが、もうそんなことを言っている時期ではないだろう。むしろ、岩が転がり始めても止められるという処方箋をしっかり示してもらった方が市場参加者は逆に安心できるはずだ。
<コア消費者物価指数の落とし穴>
日銀は来年に向けて、政策目標をある程度柔軟に変えることも考えた方が良い。まず、コア消費者物価指数の前年比プラス2%(消費増税の影響除く)は本当に適切な目標なのだろうか。
先進国の消費者物価指数前年比の加重平均値は現在プラス1.4%で、実は過去2年半の間2%台まで上昇したことは一度もない。今や低インフレ率は世界的な現象だ。それにもかかわらず、日銀が2%にこだわるのはなぜなのか。米国、ユーロ圏、英国、スウェーデン、ニュージーランドなど、多くの先進国のインフレ率は現在2%に達していない。それでも米国や英国は資産購入をストップしているのだ。
(中略)……
統計はどれも完璧なものではない。様々な前提を置いて作成しなければならないことが多い。それだけに、一つの統計結果をターゲットにして金融政策を遂行して大丈夫なのだろうか。
今の日本経済には、日銀によるバランスの取れた金融政策の実行と、政府による目に見える形での構造改革・規制緩和などの成長戦略の実行が求められている。これらが早期に実行されなければ、その行く末は、やはり経済史の教科書に書いてある通りになるのではないだろうか。
*佐々木融氏は、JPモルガン・チェース銀行の債券為替調査部長で、マネジング・ディレクター。1992年上智大学卒業後、日本銀行入行。調査統計局、国際局為替課、ニューヨーク事務所などを経て、2003年4月にJPモルガン・チェース銀行に入行。著書に「インフレで私たちの収入は本当に増えるのか?」「弱い日本の強い円」など。
[東京 19日] - アベノミクスからちょうど2年が経過したところで、安倍晋三首相は消費増税延期と衆議院解散を決めた。増税延期の是非をめぐっては議論はあろうが、2四半期連続のマイナス成長の下では、間違った判断と言い切ることはできないだろう。
しかし、政治とはよく分からないものだ。筆者はここ数日、多くの海外投資家から「なぜこのタイミングで解散する必要があるのか」と何度も聞かれた。その度にいろいろと説明はするが、一番納得してくれるのは「これは政策(policy)ではなく、政治(politics)なんだよ」という説明だ。
また、解散と聞いて、多くの日本の市場参加者は2年前の11月14日に行われた野田佳彦首相(当時)と安倍自民党総裁の党首討論を思い出すだろう。アベノミクスの始まりと考えられている、この党首討論で野田氏は国会議員の定数削減実施を約束するなら解散すると明言し、安倍氏は「約束しますよ」と応じた。この話はどうなったのだろうか。マーケットも分からないことが多く、理不尽な動きもするので、あまり批判はできないが、政治も全く分からない。
ともあれ、アベノミクスについては、確かにそれなりに進捗しているとは言える。しかし、これまでのところ、やたらと第一の矢ばかりが目立つ政策となっている。気がつけば、今や政府が発行する国債の90%は日銀が購入することになってしまっている。中央銀行による国債引き受けは世界的に禁じ手と習ったはずだ。歴史の教訓が生かされず、同じことを繰り返す時には、このようにどんどん進んでいってしまうのだろうか。
現在、日本国債の1年物利回りはマイナス金利になった。政府は国債を発行して借金をすると金利を受け取れることになる。2年債の利回りは0.01%だ。1億円借金をしても利息はたった1万円だ。だからと言って、政府が調子に乗って国債を増発すれば、すぐに国債の価格が下落して、金利が上がることになるのが通常だが、今はそうならない。日銀が大量に購入するからだ。
今後、紙切れ(国債)と紙切れ(お札)の交換が盛んに行われ、歳出が増加するかもしれない。そんな時、結局どこかの時点で、両方の紙切れの価値が大きく下落する(インフレになり長期金利が上昇する)局面が来るのだろうか。
米連邦準備理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)、イングランド銀行(BOE)はそれぞれ日銀と同様の政策を行っているようにみえながら、結局これらの中銀のバランスシートは国内総生産(GDP)の20―25%前後でしかない。日銀のバランスシートはいつの間にかGDPの57%にまで拡大している。日銀が言うペースで拡大が続くと、来年末までに77%に達する見通しだ。
11月19日、JPモルガン・チェース銀行の佐々木融・債券為替調査部長は、低インフレは今や世界的な現象であり、日銀も2%の物価目標にこだわる必要はないと指摘。
第一の矢(金融政策)、第二の矢(財政政策)は、単なる痛み止め、時間稼ぎの政策でしかなく、第三の矢(成長戦略)が実行されなければ、日本経済の潜在成長率を引き上げるような結果にはつながらない。
安倍首相は18日の記者会見で「アベノミクスに対して失敗した、うまくいっていないという批判があります。しかし、ではどうすればよいのか。具体的なアイデアは残念ながら私は一度も聞いたことがありません」と発言した。本当にそうなのだろうか。少なくとも市場参加者は、第三の矢の実行、そして目に見える形での成果をずっと求めている。しかし、現実の成果は第一の矢によるものばかりが目立っている。
実際、最近の株式市場もアベノミクスの停滞を見越しているようだ。アベノミクスの2年間で日経平均はほぼ倍になった。しかし、その上昇のほとんどは最初の1年間に発生しており、直近の1年間では15%しか上昇していない。さらに重要なのは、ドル建ての日経平均株価は過去1年間で1.7%下落していることだ。つまり、過去1年間の日経平均株価の上昇は、建値である円の価値が下がったことが原因であり、企業の価値が上昇したと市場がみているからではないと言える。
本来は投資が活発化し、賃金がインフレ率以上に上昇し、活発な経済をつくり上げていくことがアベノミクスの目的であるはずだが、日銀は目先の通貨価値を下げる(インフレ率を高める)ことに躍起になっていて、賃金の伸びが追いついていないことから目を背けてはいないだろうか。
日銀は山の上に立って、大きな岩を一生懸命押して転がそうとしているが、岩はなかなか動かない。だから、さらに力を入れて押すと決めた。岩が本当に転がり始め、山を下り始めた時、本当に止め方を分かっているのだろうか。日銀は「出口政策を論じるのは時期尚早」と言うが、もうそんなことを言っている時期ではないだろう。むしろ、岩が転がり始めても止められるという処方箋をしっかり示してもらった方が市場参加者は逆に安心できるはずだ。
<コア消費者物価指数の落とし穴>
日銀は来年に向けて、政策目標をある程度柔軟に変えることも考えた方が良い。まず、コア消費者物価指数の前年比プラス2%(消費増税の影響除く)は本当に適切な目標なのだろうか。
先進国の消費者物価指数前年比の加重平均値は現在プラス1.4%で、実は過去2年半の間2%台まで上昇したことは一度もない。今や低インフレ率は世界的な現象だ。それにもかかわらず、日銀が2%にこだわるのはなぜなのか。米国、ユーロ圏、英国、スウェーデン、ニュージーランドなど、多くの先進国のインフレ率は現在2%に達していない。それでも米国や英国は資産購入をストップしているのだ。
(中略)……
統計はどれも完璧なものではない。様々な前提を置いて作成しなければならないことが多い。それだけに、一つの統計結果をターゲットにして金融政策を遂行して大丈夫なのだろうか。
今の日本経済には、日銀によるバランスの取れた金融政策の実行と、政府による目に見える形での構造改革・規制緩和などの成長戦略の実行が求められている。これらが早期に実行されなければ、その行く末は、やはり経済史の教科書に書いてある通りになるのではないだろうか。
*佐々木融氏は、JPモルガン・チェース銀行の債券為替調査部長で、マネジング・ディレクター。1992年上智大学卒業後、日本銀行入行。調査統計局、国際局為替課、ニューヨーク事務所などを経て、2003年4月にJPモルガン・チェース銀行に入行。著書に「インフレで私たちの収入は本当に増えるのか?」「弱い日本の強い円」など。