文明開化と宇和島 観光地図をみながら町をとことこ ここに行きつくまでだいぶ歩きましたが 行った甲斐がありました
江戸時代後期、黒船と呼ばれた外国船が日本近海に出没しはじめたころ宇和島では・・・・
宇和島湾の防備として築造された樺崎町砲台とその跡です 昭和の時代ではまだ海沿いでしたが 今ではごらんのとおり
砲台は5門 だったんだそうですが 一方の建物は
明治の時代 宇和島警察署として建てられた建築物・・・・ 日本建築とは異なった西洋建築
ポストが 建物にマッチしていい感じです
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樺崎町砲台跡に復元されて 今では宇和島歴史資料館とし利用されていました
又 駐車場まで とことこ帰るのが しんどかったなー・・・・
ブログへのご訪問に 感謝
宇和島は四国遍路をしているとき、またゆっくり来たみたいと思った処ですから尋ねてみたんですが・・・
いいところが沢山ありましたね・・・・
心残りは段々畑ですかね 場所がよく分からなかったんです
この辺も変わりましたね
私の子供の頃は砲台そのまま残ってましたので
そこから竿だして釣りしてました
今は徳洲会がありますが徳洲会ら50m沖ぐらいまでが陸地その先はすべて海でした
カレイとキスがよく釣れる場所だったので何時も釣ってました
砲台の後ろに写ってる住吉山ここの測候所があり桜の標準木がありました その当時は開駅近くの山の山の北向きの斜面に移され開花が遅れるんでアマル名前が出なくなってしまいました
交通手段の少ない宇和島歩くと大変だったことだと思います
お疲れさまでした