やまなみ工房映像作品「A Short Film About DISTORTION」を鑑賞。
やばい。
かっこいい!
「障害者」という言葉がある。
私はこういう障害を持っています、と自ら発するのとは別で他人が勝手に呼ぶことでもない気がした。
大変そう、とかかわいそう、とか周りが勝手に想像した呼び方じゃないのかな。
「障害者」と一括りにされている人たちの中に「障害」と感じていない人だっているからだ。
一旦カテゴライズされてしまうと、思い込みの力が働いてありのままを視られない悪循環に陥る。
ひとそれぞれ得意、不得意なところがある。
気の合う人、合わない人がいる。
個性的なところがある。
ただそれだけ。
やまなみ工房のアーティストたちの作品から溢れ出る強い個性に惹かれた。
体裁などない、素直、自由、あるがまま・・・
自分にないものを持っている人たちだ。
うらやましく感じる。
そんな風に思う私にも何かしら弱い部分があるのだ。
心に残る詩があった。
(彼ら、私たちの境界線がよくわからないので全く同じ考えではないがけど。)
「白痴、知恵おくれ、気狂い・・・
個性を障害と捉える野蛮な社会が着せたレッテルを剥ぎ取り、
ありのままの姿を写真に収めたいと思った。
撮影現場で彼らは笑い、歌い、踊り、輝いた。
その光がどこまでも真っ直ぐに、ずっと遠くまで届くように、
阻むものすべてを排除したいと思った。
彼らはひとりでは生きていけない。
私たちはひとりで生きていけるのか。
彼らのアウトサイドにいる私たちは、
彼らが放つ光を感受できないという障害に冒されてはいないだろうか。
視界を妨げる鬱々たる影は、
始点の歪みによる私たち自身の影ではないだろうか。」