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1989年11月9日、東ドイツを率いる社会主義統一党のスポークスマンだったギュンター・シャボウスキーは、記者会見の場で、これまで厳しく制限してきた西ドイツへの出国を大幅に緩和すると発表。「すべての東ドイツ国民に、東ドイツからの出国を認める」と発言したのです。それに対し、記者からいつから出国が認められるのかと問われたシャボウスキーは、「私の理解では、ただちに」と返答。ニュースを知った民衆が検問所に押し寄せ、ベルリンの壁を破壊していきました。
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1989年11月9日、東ドイツを率いる社会主義統一党のスポークスマンだったギュンター・シャボウスキーは、記者会見の場で、これまで厳しく制限してきた西ドイツへの出国を大幅に緩和すると発表。「すべての東ドイツ国民に、東ドイツからの出国を認める」と発言したのです。それに対し、記者からいつから出国が認められるのかと問われたシャボウスキーは、「私の理解では、ただちに」と返答。ニュースを知った民衆が検問所に押し寄せ、ベルリンの壁を破壊していきました。
トルコの世界遺産といえば、カッパドキアと口にする人も少なくないであろう、というくらい有名な街並みだ。
現地ツアーを申し込みワゴンのようなもので回った。まず最初に、これぞカッパドキア!!と感じる場所に着いた。
チャウシンというところだ
このような奇岩になった理由は、火山が活発に噴火を繰り返していた頃、熱い溶岩流は固い岩となった。噴煙は火山灰を降らせ、柔らかい土となり、それらが交互に重なっていった。長い間には、雨が降り風が砂を払う。雨はやがて川となり、大地に溝を造る。こうして固い溶岩の部分だけが浸食が遅く、岩峰として残っていった。
これらの岩は、まるでニョキニョキと顔を出すツクシのようだ。
次にバシャパーというキノコのような岩が連なっている場所に行った。
先ほどとは少し異なり、本当に茶色いふたがついているようで、お菓子のたけのこの里にもみえる。
大体仲良く2~3本のキノコが一緒に立っている。
いよいよギョレメ屋外博物館。
博物館は入場料(15TL)と日本語オーディオガイドのサービスをつけることができる。
キリスト教徒が残した素朴なフレスコ画もある。
ここにカッパドキアが自然遺産としてだけでなく、文化的にも価値があって複合遺産とされている理由がある。
3~4世紀には修道士がいたようだ。現在残っている岩窟教会のフレスコ画は9世紀後半以降のものであり、かなり色鮮やかなものも相当残っていた。