日本人のための「憲法改正」入門

日本人が日本のために、そして世界の平和と繁栄に貢献できる国家となるために、必要となる憲法改正について考えましょう。

平和主義を問い直す

2014-11-02 | 日記
日本国憲法の基本原理の一つが「平和主義」であると言われています。この「平和主義」に関して考えてみましょう。

現在の政権(2014年11月)のもとでは「積極的平和主義」というものが外交政策の基本方針となっていますが、この方向性は基本的には正しいと言えると思います。

日本国憲法の平和主義は、前文の解説でも述べたように「消極的平和主義」です。これは前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文言に非常によく表れています。

もちろん前文の中には「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」などとも書いてありますから、国際社会の平和に積極的に貢献しようとしているようにも読めるのですが、実際にはこのような行動はとっていません。

日本で平和活動を行う人は多々いますが、戦乱の中で苦しむ人々がいる国に自ら出向いて平和活動をする人はほとんどいません。

世界には平和を愛しない諸国民がいるという事実のもとでは、このような憲法の平和主義の前提はあっという間に崩れてしまうのです。

そして消極的な平和主義は、逆に戦争を誘引してしまうという最悪の結果をもたらすこともあるのです。

平和というものは自らが戦争や戦いをしなければ得られるというほど単純なものではなく、積極的に平和を創造する努力なしには、決して得られないものだということを知らなければなりません。

「奴隷の平和」という言葉があるように、何をされても服従し、争わないという考えもあるでしょうが、そこには自分らしく生きることや、自由や繁栄は決して訪れないのです。

また、世界の様々なところで起こっている不幸に目をつむり、自分だけが安全な場所で平和を語っても、それが世界に誇れる平和主義と言えるでしょうか。。

日本国の独立や安全を脅かすものから、国民の生命や財産、そして日本の独立を守るためにも、日本国憲法の前文や9条は変えていかなくてはならないのです。

大きな前提は、日本は外国を侵略しないが、決して侵略もさせない、という決意と、それを実効たらしめるための軍備や法整備が必要であるということです。

その意味では国防軍というものは必要なものであり、それがなくなる世界を究極の理想としつつも、現段階では平和を脅かす様々な勢力に対しての備えは怠ってはならないわけです。

現憲法の9条に関しては、様々な解釈がなされて、非常にわかりにくい条文になっていますし、日本にすでに存在し、国民の安全と生存を守っている自衛隊が、戦力でないわけはないのですから、必要なものは必要なものとして、きちんと憲法上の地位を与えるべきなのです。

「戦の一字を忘れるな」

これは西郷隆盛が常々口にしていた言葉です。

必要な時に戦うことを恐れ、それから逃げる者に、真の平和は訪れないのです。

日本国民は「平和」というものをどのように捉えているのか。例え奴隷になっても、ただただ争わないという平和を希求するのか、それとも自分たちの自由や独立、生存や安全を脅かすものに対して自らそれを排除し、努力して平和を作り出すつもりなのか。

その「平和主義」の概念に関して、国民的な合意が必要なのだと思います。

平時には、できる限り武力や戦力に訴えることなく平和を維持する努力をしながらも、日本の独立や繁栄を脅かすような武力による干渉がなされた場合は、断固としてそれを排除し、自らの力で積極的に平和を創造する勇気と気概を持たなければならないでしょう。

そしてその「勇気と気概」こそが、実は平和主義には最も必要なものであるのだと私は思います。

自らの平和のみならず、日本が世界平和に貢献するのであるならば、絶対に失ってはならないものなのです。

以上、憲法の平和主義に関して簡単に述べました。この部分に関しては現実に差し迫った危機が存在しています。

早急に「平和主義を問い直す」ことが求められているのです。











コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。